13 罰だと
「だいぶ揃ってきたわね。こうなると、残りも見つけやすいわ」
街を囲う壁の東西南北に黒い杭のようなもの、間を埋めるように点々と漆黒の石らしきものが見つかった。等間隔ではなく、一方向に集中しておかれている場所もあった。
「魔術陣のようなものと考えて、閉ざそうとしているのは魔力線……いえ、違うわね。魔力の流れに異常は感じられないもの」
呟いて彼女ははっと顔を上げた。そして間を置かずに印を切る。
「おっと」
祭司長は予告なしに現れた魔術師に目をしばたたいた。
「どうされた」
「キンロップ殿。神殿に、何か書はありませんか。つまり、魔力線のような……神殿では何と言うのか浅学にして存じ上げないのですけれど」
「何だ、何ごとだ」
あまりに前置きのない話に、キンロップも戸惑った。
「魔力線? 地脈のことか」
「その一種ですわ。影響はそれぞれですが、たいていの魔術師は魔力線に近くあると術を使いやすくなりますわね。そうしたものは神殿、神官にはありませんの?」
「地脈に影響を受けるということはないが……」
「ああ、すみません、先走ってしまって」
サクレンはこほんと咳払いをした。
「街壁の各所から、陣を描くしるしと思しきものがどんどん見つかっています。通常の魔術陣であれば、ひとつでも動かせば崩壊するのですが、街ひとつを覆うような大きなものであればほかにも仕組みがある可能性が考えられますので、現状ではそのままにしてあります」
手早く彼女は説明した。後半は不要だったかもしれないが、念のためだ。
「そして陣は、ただ術を敷くためのものではなく、何かを防いでいると見えます。曖昧な言い方になるのですが、それは『聖なる場所』ではないかと」
「ふむ。聖なる場所、か」
キンロップは両腕を組んだ。
「祭司長としてはあまり望ましくない答えになるが、どちらかと言えばそれは自然神もしくは土地神の領分となろうな」
「土地神……」
それは少々意外な返答だった。
「うむ。貴殿らが魔力線とするものよりずっと深いところに、流れるものがあるとはされる。しかしそれは神殿の関知するところではないのだ」
「では、エク=ヴーとは関わるようなものは、何かありませんか」
「判らぬ。エクール湖から川が流れているということでもあれば判りやすいが、そうしたことはないようだ」
「地下水脈というような話でしたら、水の精霊師でも探さないとなりませんわね」
精霊師は魔術師よりも稀少な存在だ。少なくとも現在のナイリアール協会に水の精霊師という能力者はいなかった。
「地図を出す。問題の地点を書き込んでくれ」
彼は書棚から地図を取り出し、卓上に広げた。
「エクール湖との関わりはどうあれ、水脈の可能性は考えられる。どういう形であろうと、各水路を握られては大変なことだ」
ちょうど何か書いていたのだろうか、キンロップはすぐに彼女に筆を渡した。
「サクレン殿、聖なる場所と言われたが、八大神殿にはあまりそうした考えはないのだ。神はあまねく大地を眺め、信仰は人の心に宿るものだからな」
「特定の場所」が神に近しかったり、そこでだけ信仰が強くなったりするのは奇妙だとキンロップは言った。
「ですが『神殿』はそのような場所では?」
魔術師は返した。
「む」
「神に近しく人が信仰を深くする――それが」
言いながら彼女は何かを感じた。
「神殿」
ゆっくりとサクレンは呟いた。
「見て下さい、祭司長。現在、見つかっているのは杭と石で、四本の杭は東西南北を示していると思われます。石はこことここと」
彼女は手早く、地図に書き入れていった。
「……八大神殿の位置を入れていただけませんか」
「そうか、これは」
うなってキンロップは筆を受け取り、しるしをつけていった。
「魔術陣では中心が重要です。真ん中で術を安定させます」
彼女は解説した。
「南北、東西をつないだ十字の交わるところを中心と考えた場合、そこを通るように線を引くと――」
「全神殿が、線上にくるようだな」
気づいてキンロップはうなった。
「これはどういうことだ」
「可能性としては、申し上げづらいですが」
魔術師は顔をしかめた。
「神殿の力を利用して邪な力を強めている。……何て真似をするのかしら」
サクレンですら腹が立ちそうだった。さぞかし祭司長が気分を害しているだろうと彼女はキンロップを見上げた。
だが祭司長の顔にあったのは憤りではなかった。かと言って、懸念というようなものでもなかった。
「祭司長?」
サクレンが心配そうに呼んだのは、見る間にキンロップが顔色を青くし、苦しげに胸を押さえたからだ。
「どうされました。もしやご病気でしたか。宮廷医師を」
「――間に、合わん」
うめくように声が洩れた。
「何ですって?」
「このようなときに……起こる、とはな」
彼は床に膝をつき、かろうじて片手を卓の上に載せていたが、それもすぐに落ちた。
「祭司長、いったい、どうなさったんです」
「ウーリナ王女の拉致など企んだ……罰であるのやも、しれん」
「何を仰っているんです。祭司長!」
サクレンは強く問うたが、その言葉が彼に届いている様子はなかった。
「だが……これでよかったのだ。必要だったということになる。私は、間違って、いなかっ……」
「キンロップ殿! しっかりなさって下さい!」
彼女は卓を回ってキンロップを支えようとした。彼はその迫力に似ず、意外な小柄であったが、それでも完全に力の抜けた身体を女が抱えるのは困難だった。彼は床に座り込み、卓にもたれかかる形となる。
尋常ではない。たとえば疲労がたまったために目眩を起こしたとか、そうした様子でもない。心の臓に病の精霊を憑かせた者が陥る、発作のよう。
「薬は、どちらに!」
サクレンはキンロップに持病があるのだと考えた。だが祭司長は首を振る。
「そうでは、ない。私は……」
ぐっと彼は自身の胸を掴んだ。
「導師、殿。そこの、引き出しに、手紙を」
「無理に話さないで。負担になります」
厳しくサクレンは言ったがキンロップは聞かなかった。
「一通は、貴殿宛て、だ。あとは、届けて、くれ」
「キンロップ殿、どうか」
「――殿下の、前でなかったのが、せめても……やも、しれぬ」
声は切れ切れだった。何が起きているのか、起きようとしているのか、サクレンには判断できたが、同時に判らなかった。
「サクレン、殿。当座、必要なことは、全て記した……つもりだ。あとのことは、頼む。ナイリアンを……」
「お任せ……下さい」
彼女は差し伸べられたキンロップの手を取った。
キンロップに何が起きているのかは判らなかった。だが判ることもあった。
告げられた、この覚悟。
「このサクレン、力を尽くします」
何故。どうして。
不思議でもあった。いまだに。どうしてこんな熱意を持てるのか。
「あなたの……賭けた命を無駄にはしません」
どうして命を賭けられるのか。自分以外の何かのために。
「ああ、コズディムよ、いま……」
参ります、との声は小さすぎてサクレンにも聞き取れなかった。
カーザナ・キンロップの青い瞳からは光が消え、まるで神が慈悲を示したように、先ほどまで苦しげだった表情は穏やかなものにさえ、見えた。
「いったい、何をなさったのか」
サクレンもまた青い顔をしていた。持病であったのだとは、もう思わなかった。
必要だったと。
キンロップは命を賭けて、何かを起こしたのだ。だがそれが何であるのか、語られる時間はなかった。
あまりにも唐突な、死。
罰だと、彼は言ったか。
(手紙を)
遺言だ。覚悟の上の。
判っていたのだ。キンロップは。その術――だろうか――が発動すれば自分が死ぬことを。そのために、何か大事なことを書き記しておいた。そのことには疑いがなかった。
サクレンは唇を結び、そっとキンロップから手を放すと追悼の仕草をして、卓を見やった。そこにはいくつかの引き出しがあったが、彼はそれを隠そうとはしておらず、彼女の推測通りいちばん上の見えやすいところにしまわれていた。
サクレン宛てのもののほかは、レヴラール宛てと、それからイゼフ宛て。
彼女は自分の名が書かれた手紙の封を切り、中身に素早く目を通すと、残りの二通を大事に懐にしまった。
ナイリアールの混乱は収まらぬまま、次なる波乱を呼ぼうとしていた。
(第5章へつづく)




