表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第4章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

426/520

11 ごく普通のことを

 第一報を耳にしたのが誰であったのか、そんなことにはもはや意味がなかった。

 報告を怠ったの遅れさせたの、そうしたことには、もはや。

 まるで出陣の合図でもあったかのように、一斉にそれらが現れたのだ。

 人の形をした白い影。それらは以前のときと同じように何の前触れもなく、ナイリアール中に現れた。

 初めて目にした者は自分の目がおかしくなったのかとまばたきを繰り返し、二度目の者はあのときの底知れぬ不気味さをすぐに思い出して顔を引きつらせた。

 「またか」などと余裕を見せられる者はいなかった。いや、幾人かはいたかもしれないが、ごく少数が冷静だったところで街中の恐慌状態に影響は与えなかった。

 人々は神殿に、王城に、果ては普段不吉だと言って近寄らない魔術師協会にまで駆け込んだ。あれは何だ、また出た、どうにかしてくれ、助けてくれ、世界の終わりか、噂の通り死んだ前宮廷魔術師の呪いではないのか――。

 神官や兵士ら、騎士たちも、かねてからの相談通り、街に出て「害のあるものではない」と説明しようとした。しかしそう聞いた者が全て納得して安心できる訳でもなく、声の届かない者もまた大勢いた。

 サクレンの考えでは魔術師たちが「そのような奇妙なものは見えていない」という一種の幻惑術をかけるとしていたが、協会を挙げて本格的に計画を立てたり、特別な訓練をした訳でもない。彼女の「相談」に賛意を見せた数名の導師とその助手らが動きはしたが、ナイリアール中で発生というのは想定外だ。仮に一定の範囲に術を施したとしても、まだ術のかけられていない人物が騒いでいるのを聞けば、幻惑も破れやすくなる。

 協会は、明らかなる脅威が街に――「彼らに」でもある――迫れば、驚くほどの即断をして街を――彼ら自身を――守ろうともするが、この出来事をそうだとは判断しなかった、ということになる。

 その辺りも、ロズウィンドは考えていたのかもしれなかった。神殿や協会に「どうしても全力で対処しなければ」とは思わせない程度の、混乱。

 そして、この問題を巧く処理できなければ、批判は神殿や協会よりも王家に向くだろう。

「俺が、出向く」

「なりません」

 一(リア)の間も置かず、キンロップは首を振った。

「殿下は王城に」

「俺が行っても何の役にも立たないという訳か?」

「殿下」

「すまん、当たるつもりはない」

 レヴラールは謝罪の仕草をした。

「だが座してもいられん。事態を平定せねば」

「平定したあとが殿下のお役目です。それまでは私や、騎士たちにお任せ下さい」

「判っている。ただ」

 彼は唇を噛んだ。

「どうするつもりだ。どうやって平定すればよいのか、判りはしないだろう。兵士を出して戦わせることもできなければ、神官や魔術師にもどうしようもないのだと」

「申し訳ありません」

「責めるつもりはない。悪いのは、このような真似をしでかした側だ」

 彼は手を振り、それから嘆息した。

「――さまよえる、死者だと言ったな」

 王子はぼそりと呟いた。

「そんなに、いるのか。世の中には。ラファランの導きを受けられなかった者が」

「ご説明申し上げた通りです。仮に一年でひとりいれば、百年分なら百人だ。それに、全てが悪党という訳でもありません。むしろ悪党であれば闇のラファランに連れられる」

「では何故だ、キンロップ」

 彼は祭司長を見やった。

「全て納得ずくで死にゆく者などそうそういないだろう。生への未練はたいていの人間にあるはずだ。ならば、導かれる者と導かれぬ者にはどんな差が」

「……殿下?」

「いや、すまん」

 彼はまた謝った。

「思って、しまったのだ。もし父上や……エルーシアがさまよっていたら、とな」

 死んだばかりの父親と、そして彼の妃だった娘。不意に思い出された。

「白い影が迷える魂なら、彼らは望んで残ったのか? 誰もが望むのであれば、冥界に行くことを祈るのは誰のためなのだ」

「無論、彼らのためです。未練を残したままさまよい続けても喜びは得られない」

「それでも、全て忘れて次の生を送るよりは永遠にさまよいたいと願うとしたら」

「……祭司長としては、それは正しい望みではないと言うほかありません」

 キンロップは息を吐いた。

「祈りは死者のため、同時に生者のため。ええ、殿下の仰ることは判ります。『残っても喜びはないのだから可哀想だ』というのは生きている者の傲慢ではないかと」

 レヴラールは黙っていた。

「しかしそれは流れに逆らって泳ぎ続けるようなもの。肉体のない魂とて疲弊する。人の心が疲弊するのと同じことです。そして泳ぐのをやめても、そこに助けの小舟は既にない。流され、滝壺に落ち、言うなれば二度目の死を迎えるだけです。その先にあるのは、消滅」

「消滅」

「それを望む、という者もいます。生に絶望し、次の生などご免だと考える。しかしそれも傲慢です。自然界の全ては循環している。その循環を拒むのは人間だけだ」

 説教調でキンロップは言ってから、はっとしたように咳払いをした。

「そのような話はまたいずれにしましょう。陛下やエルーシア様のことも、いまはお考えになりませんよう」

「そう、だな」

 目を伏せて王子は同意した。

「ですが、そのお気持ちは大切です。我々が、神殿が面しているのが、まさにその状況と言えます」

 神殿が影を払えない理由。彼がサクレンに話したように、「悪霊でもないものを祓うことはできない」というのは、大事な誰かを亡くしたばかりの者がレヴラールと同じように考えれば、再び苦しむことになるからだ。望んで残ったのやもしれないのに、何故と。

 もちろん、何であるかを公表しない方法もある。悪いものだったのだとすれば、祓うことは正義となる。しかし安全であるとした方が混乱が起こりにくいとの判断もあって、神官にそう言わせている。

 だが全ては後手だ。

「しかし、こうなってしまっては、何とかして彼らを祓うことを考えなければなりませんな。サクレン殿には、祭司長として前例を作ることはできぬと言い、その考えは変わっておりませんが……殿下」

「駄目だ」

 レヴラールは先取った。

「お前の祭司長職を解けと言いたいのだろうが、受けぬ」

「では辞するしかございませんが」

「それでも受けぬ。俺が受理しなければ同じことだ」

「しかし」

「ほかのやり方を考えろ。あるはずだ、必ず、何かが」

 彼は言ったが、それは確信ではなく希望に過ぎなかった。

「兵士の報告を聞いた。影は街中(まちじゅう)に現れているとのことだ。城内にまでちらほらと見えているらしい。と言っても俺を含め、見ていない者も多い。これは何か関係しないか」

「と仰いますと」

「城内で死ぬ者はそういないだろう。王族くらいだ。死んだ場所が出現に関係していないか。いや、関係していたところで、街中に現れたのであれば何の解決にもならんか……」

 言いながら彼は考えた。

「街中」

 キンロップはそこを繰り返した。

「神術にも魔術にも、有効範囲というものがあります。我々はたいてい、直接手で触れた相手に術を施しますが、魔術師は離れた相手や物体にも術を振るえる。いえ、手元から術を投げるという形ではなく、触れていないものを動かしたりというようなことですが」

 彼は説明した。

「サクレン術師が予定していた幻惑術というのは、やはり触れずに可能とすることです。ただ、術師の能力次第で有効範囲がある。街中に一度にかけるともなればかなりの人数と訓練が必要になるはず」

「それを……悪魔は一(リア)でやり遂げた、と?」

 悪魔の業である、と言い切ってしまってよいだろう。そうしたものの存在をレヴラールははっきりと知らなかったが、いまとなっては信じない方が馬鹿らしいくらいだった。

「人外の力は計り知れません。そうしたことも容易なのかもしれません」

「そうでなければ?」

 レヴラールは両腕を組んだ。

「サクレン殿はどちらだ。話をしたい」

「協会でしょうが、危急の際にはすぐ声をかけられるよう、魔術符を預かっております」

「使え。……あ、いや」

 王子はしまったという顔をした。

「もし、お前が立場上使いづらいのであれば、俺がやろう」

「お気遣いは、有難く」

 そう答えたキンロップは少しだけ優しい笑みを浮かべた。

「これは祭司長の仕事に必要なことと考えます。もとより、魔術師と交流を持ってはならない訳ではない」

「そうか。では」

 頼む、と王子は言った。了承の仕草をしてキンロップはローブから一枚の札を取り出した。彼がそれを両手で挟み込む以上の何をしたのか、レヴラールには判らない。しかしすぐにキンロップは顔を上げ、こくりとうなずいた。

「通じました。すぐにやってくるそうです」

「そ、そうか」

 知識では知っているものの、この場にいない相手と言葉で意思疎通ができるというのは、彼には何とも不思議な話に感じられた。

「失礼、緊急事態とお見受けしましたので」

 その言葉の通り、サクレンは一(ティム)と経たずにやってきた。無礼を詫びたのは、いくら魔術でその場にすぐ姿を見せることが可能だとは言え、非魔術師の前にいきなり現れるのはどうしても相手を驚かせるということもあって、礼節を重んじれば避けるのが普通だからだ。

「かまわん」

 実際、王子は少しだけぎくりとしたが、それを隠して咳払いをした。

「いま、魔術の有効範囲の話を聞いていたところだ」

 それからレヴラールはすぐに切り出した。

「悪魔が街中全てを範囲に納めたことについてどう思われる」

「人間では困難ですが、強い力を持つ人外ならば可能なことかと」

 問われている意味を探りながら、サクレンはまずそう返した。レヴラールはそうしたことを確認したかったのではなかった。彼は首を振る。

「俺は書物を読んだり、いまとなっては皮肉なことにコルシェントから学問として教わったばかりの知識しかない。しかし、ほとんど素人であるからこそ、言おう。貴殿らは人外の、悪魔の力を強いと知っているからこそ、ごく普通のことを見逃してはいないかと」

 彼はサクレンとキンロップを順に見た。

「術対象が目に見える場所にいるとは限らない場合……いや、対象を人や物体ではなく空間とする場合、貴殿らは何を使う」

「それは……たとえば、魔術陣ですとか……」

「――そうか!」

 キンロップが目を見開いた。

「有り得ることだ! サクレン殿、指示を与えられる魔術師に至急、街壁を廻らせていただきたい!」

「街壁?……成程、判りましたわ」

 魔術師も大きくうなずいた。

「殿下、ご慧眼やもしれませんわよ」

「その言葉は、目当てのものが見つかり、術を破ったあとに受け取ろう」

 レヴラールは手を振った。

「どうか頼む。術師らが最も迅速だ」

「お任せを。見つけてから呼ぶのでは二度手間というものですし、最良の判断かと存じますわ」

 導師は世辞でなくそう言った。

「では若い連中の尻を叩いてきましょう」

 上品とは言えない返答にレヴラールは目をしばたたいたあと、かすかに口の端を上げて、再びうなずいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ