10 きっと信じない
「ハサレック、様?」
おそるおそるという調子でセズナンが彼を呼び、騎士だった男ははっとした。
「すまん。どうした」
「あの、僕は……難しいことはよく判りません」
躊躇いがちに少年は言った。
「でも、いまは僕、ナイリアンとかラシアッドとか関係なしにハサレック様にお仕えしたくて、それで」
「……三年」
彼は従者の真剣な言葉を遮った。
「え?」
「三年間、暇をやる。その間にいろいろ、ほかのものを見ろ。ほかの人物をな。それでもまだ俺に幻想を抱き続けるってんならそのときまた改めて考えるってのはどうだ」
「三年」
それは少年のセズナンには気の遠くなるような長い時間だった。
「どうして、そんなこと」
「俺はな、セズナン」
ハサレックは少し笑みを浮かべた。
「正直に言って、いま、俺にナイリアンの騎士を見られるのはきついんだ」
「それって……」
「いや、そうじゃない。その地位に未練があると言うんじゃない。あの地位を追われた訳でもない。お前たちは勘違いしてる」
彼は首を振った。
「お前たちが何と言おうと、俺は本当に……お前たちみたいなまっすぐな子供から尊敬を受けるに値する人間じゃ、ないんだ」
「ハサレック様?」
「――平気だと、思ったんだがな。あんまり真っ正直に、目ん玉きらきらさせて憧れだの尊敬だの言われると、もうなくしたと思ってたもんがな、うずくんだ」
苦笑してハサレックは言った。
「罪悪感ってのかね。それとも羞恥心? いや、良心ってやつか」
「あの」
「三年だ、セズナン。その間にはいまナイリアンが隠してる……ハサレック・ディアではなく青銀位の名誉を守るために隠してる事実も洩れてくるだろう」
「本当の、ことって」
「いまのお前に話しても、きっと信じないさ」
「そんなこと。僕は、ハサレック様も仰ることなら信じます」
純粋な少年は、彼がひたむきにハサレックを信じるからこそ信じられない事実もあるのだなどとは思いもよらず、きっぱりと言った。ハサレックは口の端を上げた。
「俺が黒騎士だ」
「……え?」
単純で短い告白は、しかしセズナンには理解できなかった。
「ナイリアン中を騒がせた黒衣の剣士。子供殺しの極悪人。それが俺だ。どうだ、信じるか?」
「な、何を仰ってるんです。そんな、性質の悪い……」
セズナンは弱々しく笑おうとした。ハサレックは首を振る。
「冗談なんかじゃない、生憎とな。だから言っただろう、お前は信じないと。だが残念なことに事実なんだ。俺が『死んだ』とされていた半年間だろう? 黒騎士が暗躍したのは」
「ば、馬鹿なこと……そ、そうだ。判りましたよ。それが、ハサレック様が受けた疑いで」
「事実だよ」
ひらひらと彼は手を振った。
「俺がやった。巡回する兵士たちの裏をかき、神出鬼没に見せかけて、夜な夜な子供たちをさらい、殺した。ジョリスだって殺そうとした。いや、殺したつもりが、生還しやがったがな」
「何、何を」
「冤罪なんかじゃない。俺は騎士位を剥奪どころか、捕らわれれば間違いなく処刑されるだけのことをした。だからナイリアンを逃げ出してラシアッドに雇われ、ナイリアンを滅ぼす算段をしてるのさ。あの国がなくなれば罰されることはないからな」
「ま、待って下さい、そんな馬鹿な」
「事実だ」
容赦なくハサレックは繰り返した。
「嘘をつこうと思えば簡単だ。たとえその罪が公表されたところで、俺が一言『冤罪だ』と言えばお前は信じそうだな。だが逆だ。お前が信じたくないことが事実」
セズナンは顔色を白くして押し黙ってしまった。
「お前たちをラシアッドに伴ったのは間違いだったよ。俺も、内心では不安だったんだな。ほしかったんだ。お前さんたちみたいに、無条件に俺を信じてくれる奴が。自覚はなかったが、その辺、ニイロドスは巧いよなあ」
ちらりと彼は上空を見た。悪魔は姿を見せなかった。
「まあ、俺も『死ぬ』まではそれなりに、きちんと騎士だった。面映ゆくはあるが、それなりに尊敬されることも有り得ただろう。だがいまは違うんだ。頼むから俺にこれ以上、お前たちを騙させないでくれないか」
少年は、何も言わぬままだった。
「――ま、知らない土地でいきなり放り出すのも非道な真似ってもんだ。マレサと違ってお前はきちんと仕事ができるんだし、俺と関わりのない一使用人として改めてここでやっていってもいい。ナイリアンに帰るならもちろん手は貸す。だが、そうだな、いま帰らないと言うのなら、ひと月くらいはこのまま様子を見ておくのが無難だろう」
返事のないまま、彼は続けた。
「悪かったな。こんな半端なときに言うつもりはなかったんだ。どうやらこらえ性がなくなってるようだな。……言いたかないが」
声は小さくなった。
「騎士であるというきっついまでの抑制は、あった方が、よかったのかもしれんなあ」
答えはどこからもなかった。
目の前の少年からも、どこかで聞いているであろう悪魔からも、彼の心から離れないかつての友の影からも。
「今日は休んでいい。俺も行くところがある」
何でもない調子で言うのは冷たさか優しさか。顔をうつむかせたセズナン少年をひとり残して、ハサレックはその場を離れた。




