09 本心ではどうでもいい
やれやれ、と騎士だった男は肩をすくめた。
「『そんなにナイリアールの様子が気になるなら』ってのは皮肉でしかないってのに、あの王子殿下が言うと親切心に聞こえるのがすごい」
「あっ、あの、まさか」
「ん? ああ、心配するな。何も解雇って訳じゃない。目算より早く、ナイリアンが自滅してくれそうなんでね。王子殿下方の代わりと言っちゃ不遜だが、ナイリアールに詳しい俺が状況を見張って必要なら調整をしとけって訳だ」
説明してからハサレックは片眉を上げた。
「もし帰りたいなら、連れてってやるぞ」
「なっ」
「お前、家族はナイリアールだったか? それなら三日程度でいい、田舎にでも避難しておくのが無難だと伝えたらいい。戦にはならんと思うが――」
「戦、ですって」
セズナンは目をしばたたいた。
「そっ、そんな事態になっているんですか? いったい、どうして」
「ならんだろう、と言ってるんだ。ただ、本当にロズウィンド殿下が湖神の力とやらを手に入れたら、ナイリアールを壊滅させることも可能だろうな」
「かっ、壊滅」
「もっとも、そんな真似をすれば復興に手間がかかる。無血開城が理想だろう。ま、王族の血は別途要求するだろうが」
「え、ええと、あの」
気の毒に、青年の姿をした少年は困惑した。
「どういう、ことなんですか。ハサレック様は、何を」
「俺は宮仕えの身だ。命令をこなすだけさ」
「で、でも」
「ああ、もちろん、賛同してるからこっちにいる。不本意な命令でも騎士なら従うしかないが、こちらの殿下は反逆と反論の区別はついていらっしゃるしな」
「反論……その、ハサレック様は、それで……?」
「ん?」
〈青銀の騎士〉だった男は片眉を上げた。
「つまり、反論をした、せいで」
「成程、俺がレヴラール殿下や、或いは祭司長辺りに異を唱え、それで濡れ衣を着せられたと。まあ、俺が彼らの気に入らないことをしたのは確かだな」
まるでレヴラールらが私怨で彼を排除したかのように言って、黒騎士は肩をすくめてみせた。
「そんな……」
何も知らない少年は、ハサレックの言うことをそのまま素直に受け取った。それを見ながら男はまたしても考えるようにする。
「セズナン」
「は、はいっ」
「やっぱりお前は、帰れ」
「はい……?」
彼は目をぱちくりとさせた。
「不穏なことが片付いてからでいいが、もう俺の傍にいなくてもいいだろう。何、いい仕事は紹介してやる」
それは突然の、解雇宣言と聞こえた。セズナンは目を見開く。
「ど、どうしてですか! ぼ、僕はハサレック様にお仕えしたくて」
「それは俺がナイリアンの騎士だったからだろう? いまの俺には何の名誉もない」
「そんなこと、関係ないです。だって僕は、ハサレック様のおかげで従者になれて」
「俺の?」
「僕を……推してくださったんでしょう? そうじゃなくちゃ、ろくなつてのなかった僕が選ばれるなんて」
「どう、だったかな」
かつての騎士は頭をかいた。
「正直、覚えていない。俺にとっちゃその程度ってことだ。つまり、恩に着ることなんかない」
「お、覚えていなくたっていいんです。あの日にたまたま話した子供の名を挙げてくれただけで、いいえ、たとえそうじゃなくたっていいんです。僕はハサレック様にお仕えし続けて、ただ『騎士』というだけじゃなくてハサレック様ご自身を尊敬――」
「幻想だよ」
ひらひらと彼は手を振った。
「そりゃ、俺は尊敬される騎士であろうと務めたさ。と言ってもそんなに無理をしていたつもりはないし、影で舌を出してたなんてこともない。そういう意味じゃ真面目に騎士をやってた。だが――」
彼はそこで言葉を切った。
「お前、ナイリアン建国の歴史は学んだか?」
次にハサレックは口調を変え、そんなことを尋ねた。
「す、少しなら」
「蛮族を退治してナイリアンの地を平定した、そんな感じだろうな」
「何か、違うんですか?」
「見方次第ってことさ。ナイリアンからすれば嘘じゃない。だが退治された『蛮族』にしてみればナイリアン王家の先祖こそが侵略者だ」
「はあ」
そうした考えに至ったことなかった少年には少し難しかった。
「ラシアッドは、ここの王家は、その『退治された蛮族』の末裔なのさ。侵略さえされなければ、いまでも」
ざっと説明しながらハサレックは、サレーヒとサズロの反応を思い出していた。
ふたりとも何とも言えない顔をしていた。それはそうだろうとハサレックも思う。彼が逆の立場でこんなことを聞かされたら、こいつは何を言っているのかとぽかんとするだろう。
過去は過去だ。それも、体験した者の孫の孫の孫ももういないような遠い。
もとより「本当の真実」は判らない。
ナイリアンもラシアッドも、自分たちに都合のいい解釈を歴史としてきたからだ。実際、どちらかが一方的に悪いとも限らない。戦など、ひとりの狂った独裁者が急にはじめるような場合を除き、いろいろな事情が積もり積もって起きるものだ。
ナイリアンとエクールの間もそうだったのだろう。だから侵略を認めるだのというものでは無論ないが、何の利もなく判定できる第三国でもいなければ、互いに互いの正義を主張するだけ。
もし相手の言い分を認めて折れれば、それはやはり敗北だ。武器を用いなくても戦と同じ。個人同士ならば認め合い許し合うのもいいが、国という単位で物事を見る場合、自らの非を認めることは降伏宣言をするようなもの。
もし誰かしらが「ナイリアンの正統な血筋」などを主張したなら大騒ぎだ。そんな事実はないはずだが、仮にレヴラールに隠された兄でもいて、自らが本当の第一王位継承者だとでも宣言したなら大騒動になるだろう。
しかしそうではない。もともと別の国――当時は部族という単位であったか――の話だ。たとえばナイリアンがカーセスタにでも「戦乱の世であればその土地も支配できたはずだから寄越せ」とでも言うようなもの。理由にならない。
「だがラシアッドにはこれが理由なのさ」
彼はそんなふうに言った。
「そしてこの点も重要だ。ラシアッドは明らかに、弱者。俺は騎士として、弱者を守る方につくことにしたって訳だ」
それこそ理由にはならないのだが、サレーヒへの皮肉にはなった。
だがそれを耳にしたとき、サレーヒは反論しなかった。〈赤銅の騎士〉は哀れむような視線で彼を見ていた。しかし何も気にならなかった。哀れなのは彼らの方だ。
正義がどちらにあるかなど、本心ではどうでもいい。ジョリスやサレーヒにはラシアッドが正統だと言ったが、実のところは大して興味がない。
ただ、かつては力を持っていたナイリアン王家が、もはや宮廷魔術師ごときにいいようにされるほど落ちぶれている。そのことはハサレックを――彼自身、知らぬ内に――失望させた。
ナイリアンの騎士が幻想? ならばナイリアン王家からして幻想だ。長らく続いたのは凡庸な王。
先代の王は自ら力を取り戻そうともしたが、結局レスダールの代になれば宮廷魔術師や祭司長に頼って楽をした。レヴラールは騎士ら――主にジョリス――に傾倒したために、潔癖性が強すぎて、他者や他国を圧倒するほどの素質がない。
彼らに、研鑽した男たちの忠誠を受ける価値があるのか?
その疑念は半年以上前、死に瀕したときから形になりだした。やはりあのときが彼の転換点であっただろう。
大した危険ではないからと〈ドミナエ会〉を放置しておく国の方針に嫌気が差した。しかしやがて、正義や平和のためと言うより、自分の鬱憤晴らしのような意味合いに変わっていった。
「ナイリアンの騎士」の制限が馬鹿らしい。
名誉を手放すことになろうと、自分は自分の思うところを進むのだと決めた。
その結果が「黒騎士」の銘というのは皮肉なことだ。何度も口にしたように、子供殺しを望んだ訳でも好んだ訳でもなかったが、取り引きならばと応じた。本来、ここで何よりも弱者を痛めつけた彼が、弱者だからラシアッドにつくなどとは言えるものではない。あれは性質の悪い冗談、サレーヒへの皮肉、そして自嘲という辺り。




