06 何人も必要か
「そのようなことは言っていない。ただ、これだけは告げよう。その星巡りに生まれたからには、果たすべき責任がある」
そう言ったロズウィンドは、真剣な眼差しをしていた。リチェリンはどきりとする。
「責任……」
「そうだとも、神子姫。貴女にも責任がある。言うまでもないだろう」
「私は」
ロズウィンドがほのめかすことは判っている。
だが方法も判らなければ――この王子が望むことをしてしまっていいものかという気持ちもあった。
「私より、あなたはどうなの」
彼女は問うた。
「この土地の正統なる王を名乗って、王に返り咲いて、大陸の支配でもしたいの?」
「はは、面白いことを言う」
「ちっとも面白くなんかないわ」
「私は、話した通りだ。本来私たちのものである土地を取り返そうというだけ。それはエクールの民の望み」
「勝手に決めないで」
リチェリンは顔をしかめた。
「この村の人たちは誰もそんなこと望んでないわ」
「ほう? 十四年も村を離れていながら、そんなことが言えるのか」
「言えるわ」
彼女は引かなかった。
「エク=ヴーだって望んでいないと」
「それは私に対する反抗心が言わせるのか、それとも」
すっとロズウィンドは彼女に寄った。
「言っているのは、『神子』か?」
「私は……」
何と答えたらいいのか。リチェリン自身、判らなかった。
判らなかったのだ。ただの意地から出た言葉なのか、そうではないのか。
「神子、とは、何なの」
問うともなしに彼女は問うた。
「私の背中にあるしるしは、何なの。神子の証だとみな言うけれど、そういうことじゃない。何故……」
巧く言葉がまとまらない。
「何故、私なの」
それは必ずしも本心ではなかった。本心の全てではなかったと言おうか。ラスピーシュに神子であると指摘されて以来、心のどこかにはあった。
どうして、自分なのか。
運命だと言うのなら、何故そのような運命が自分に。
「リチェリン様」
守り人が神子を呼んだ。
「お下がりを。この男……望ましくないものを感じます」
「残念な誤解があるようだ、戦士殿。名は、ソシュランだったか」
「名乗った覚えはないが」
「知っているさ。名誉ある戦輪の使い手だ。クロスの子孫でもある」
王子はまた言って、ソシュランをじっくりと眺めた。
「ああ、やはりどこかノイと似ている。古い血がこうして現代に現れる。非常に興味深い」
「ノイ?」
「実は、まだはっきりとは決めていないんだが」
王子はあごを撫でた。
「クロスの血筋たる守り人は、何人も必要かどうか、ということ」
「――どういう意味だ」
警戒するようにソシュランは問うた。
「そのままだ。我がラシアッド王家はノイ・クロシアという立派な剣士を護衛につけている。ああ、便宜上『剣士』と言い、もちろん剣も学んだが、彼もまた戦輪も操ることができる。となれば守り人の伝統はノイが受け継いでおり……貴殿は特に必要ないかもしれない」
「クロシアだと。ラシアッド?……東に逃げ延びた一族か」
それらの断片でソシュランはおおよそを掴み取った。
「成程、新たに興ったラシアッド王家というのは、我らと祖を同じくする者たちであったか」
「理解してもらえれば話は早い。貴殿が私に戦輪を振るう理由はないということも」
「前者はともかく、後者には納得していない」
ソシュランは右腰に下げた戦輪に手をかけた。
「逆らう、と?」
ロズウィンドは微笑を浮かべた。
「いいとも。それなら守り人の座はノイだけのものだ。キエヴの若者と言い貴殿と言い、目の前の小さな事例にこだわりすぎて大局を見逃すのは惜しいが」
「キエヴ……?」
リチェリンははっとした。
「ヒューデアさんのことね! まさか、彼に何か」
どす黒い不安が頭をもたげた。
彼女をかばって倒れた若者は、ラスピーシュからは無事だと聞かされていた。しかしラスピーシュが真実を告げた保証はないし、仮にそのときは真実だったとしても、あれから日にちも経っている。
「彼は」
ロズウィンドはそっと、追悼の仕草をした。
「残念な行き違いがあって、ね」
「何、ですって……」
「貴女を守る、そうだな、騎士には彼が最適じゃないかと思ったんだが、彼の方では思わなかったらしい。私に協力することを拒んだ。いま頃はラ・ムール河にたどり着いているんじゃないかな」
「殺し、たの、ね」
口にするのも忌まわしい。しかし感じられた。怖ろしい真実を。
「嘘だ」と否定したい。出鱈目だと叫びたい。
しかし、感じられたのだ。
エク=ヴーもまた哀しげに――彼の死を悼んでいるかのように。
「ヒューデアさん……」
視界がにじむ。リチェリンは頭を振って涙を振り払った。
「誰が、あなたに協力なんか、するものですか。そんなふうに、自分の思い通りに行かなかったからって人の命を奪うような――」
「大義、という言葉を知っているかな?」
ロズウィンドは遮った。リチェリンは王子を睨んだ。
「まさか『大義のためなら少数の犠牲も厭わない』だとか……そんなことを言いたいのであれば、聞きたくないわ」
「神女の教育を受けていたなら、さもあろう。しかしその正誤は立場による。私のような生まれであれば、少数の犠牲で多くの民を守らなければならないこともあるのだ」
諭すように王子は言った。
「そんなこと、あるものですか!」
「あるとも、神子姫。たとえば伝染性の病が発生したとする。治療法は判らず、致死性も高い。そうしたことがあれば、健康な者を守る必要がある。罹患した者の命を奪ってでもね」
「そんな。極論だわ。伝染すると言うのであれば隔離は必要かもしれない。でも殺すなんて」
「そうした甘いことを考えている間に伝染者が増える。死者が増えるということだ。それでもかまわないと?」
「治療法を探すべきよ」
「いいだろう。努力して、治療法が見つかるとする。しかしそれまでに、十人だった患者は百人に増えており、その内五十人が死んでいた。最初の時点で早い決断をしていれば四十人は死なずに済んだ。それでも君は、正しかったと主張するかな?」
「――そんなの、結論ありきじゃない! おかしいわ!」
「たとえ話だ。それもとても君に甘くした。私の立場であれば最悪の事態を想定しなければならない。百人罹患して百人死ぬよりは、十人を殺す。そして九十人を守る」
「それは」
リチェリンは困惑し、それから唇を噛んだ。
「そんな話をしているんじゃないでしょう!」
「貴女がはじめたんだ。少数の犠牲の話を」
心外だとばかりにロズウィンドは目を見開いた。
「もっとも、犠牲なんてない方がいいというのは当然だ。貴女がそれを理想としているのも判る。そのためにはどうすべきか……神子姫、あなたならお気づきと思うが?」
「何が、言いたいの」
「貴女を守ろうとしている戦士殿だが、この村には同じ考えの者がたくさんいるはず。あの轟音にどうして貴女たち以外、走り出してこないのか?」
「え……」
言われてリチェリンは辺りを見回した。確かに、村人たちが出てきている様子はない。
「奇妙だ」
ソシュランが呟いた。
「昔のことを思い出した者も多いはず。そうでなかったとしても、あの音が騒ぎにならないはずがない」
「――うん、そうだね。みんないま、何とか外に出ようと必死だよ?」
くすくすと笑い声がした。上の方から声が聞こえた気がして、リチェリンは驚いて顔を上げた。
「きゃっ!?」
思わず悲鳴を上げてしまったのも無理はない。何もない空中に人が浮かんであぐらをかいているなど、何も知らずに目にすればぎょっとして当然だ。
「やあ、リチェリンだね。はじめまして、かな。僕としてはちょくちょく見ているから、初めてという感じがしないんだけど」
「なっ、何。誰? 魔術師?」
「魔力の有無は、神官でも判るものだよ? ああ、君はまだ見習いだったっけ?」
「神子姫に失礼なことを言わぬようにしてもらいたい」
顔をしかめて王子は首を振った。
「リチェリン、こちらはニイロドス殿。何者であるのかは、紹介しなくても貴女にならば判るのではないかな」
にっこりとロズウィンドは言った。実際、魔術師かと口走った次の瞬間には判っていた。魔術師であるはずがない。人間ですら。
それはあまりにも禍々しくて。
(悪魔……これが)
異質な存在だ。これに比べたら魔族と呼ばれる人外だって、人間に近いものに感じるのではないか。リチェリンは肌に立った粟を抑えるように両腕を撫でた。
「ヒューデア・クロセニー、ノイ・クロシア、そしてソシュラン……クロス」
ロズウィンドは三つの名を並べた。
「どこも長く続く家系でありながら、必ずしも血筋だけでは重視されてこなかった。守り人となればどうしても戦闘能力が必要だ。たとえ子供の頃から鍛えても、生まれ持った才能はいかんともしがたい。この場合は持たなかった才能と言うべきかもしれないが」
その家に生まれたというだけの理由で将来が決まってしまうというのは、楽な場合もあるがつらいこともあるだろう。納得してその道を進むのであればよいが、無理に後を継がされるのであれば哀しいことだ。この話にはリチェリンも同意せざるを得なかった。




