04 老人
珍しい客人、という扱いで、ライノンはなかなかの歓迎を受けていた。
長老は彼をソシュランに託したのだが、畔の村やエクール湖、湖神についての質問攻めに閉口したのか、或いは彼の求める答えならばほかの村人たちがよく知っていると思ったものか、守り人は青年を村唯一の小さな酒場に案内したのだ。
ライノンは学者の卵らしく、帳面を取り出して何か書き付けながら人々にあれやこれやと問い、答えをもらっては満足している様子だった。
一段落――した訳でもなかったが、青年がちょっと休憩とばかりに軽い酒を飲みはじめると、今度は村人たちが彼を質問攻めにした。どこからきたのか、何をしにきたのか、どこへ行くのか、そうしたごく普通の問いかけではあったが、ライノンの返答は芳しくなかった。
答えなかったと言うのではない。秘密めかしたのでもない。
彼は素直に「いまという意味ならラシアッドですが、その前はカーセスタから」「伝説の湖を見てみたくて」「行く先は決まっていません」などとにこやかに答え、村人たちはそれ以上特に突き詰めなかった。
ただ、そんな彼を見ていた人物がいた。
少しするとその人物は人波をかき分け、ライノンに近づいた。
「ほれほれ、そんなに話しかけてばかりでは客人が食事をする暇もないではないか」
その老人は村人たちが敬意を払う相手と見えた。彼らは文句を言わなかったどころか、老人の言う通りだと気づいて丁寧にライノンに謝り、その場を離れた。
一方で老人はライノンと同じ卓につく。
明らかに、彼と話すために村人たちを遠ざけたと見えた。
「いかがかな、この村は」
老人は問うた。
「素敵な場所ですね」
にっこりと青年は答えた。
「僕は魔術師ではないので、魔力線と言われるようなものについてははっきりと判らないのですが、もしかしたらこの場所にはそうしたものが通っているんじゃないですか?」
「さあ、どうだろうな」
判らないと老人は答えた。
「わしも魔術師ではないからな」
「でも確か、僕が聞きかじったところでは、魔力線の通る街町には魔術師協会ができているはずだってことでした。ここには……?」
「見てだいたい判るだろう。そんなものはない」
「あ、でも、小さな村に協会が建てられていることもあるんでしょう? 普通の人には判らなくて、何でこんなところにって思われるような場所に」
「そうしたことは魔術師に訊くといいさ、お若いの」
それが老人の返答だった。
「もっともですね」
ライノンは肩を落とした。
「魔術師さんは?」
「うん?」
「いないんですか?」
「ここにか? いないようだな。村人にもいるとは聞いておらん」
「あれ」
ぱちぱちと彼は目をしばたたいた。
「あなたはここに暮らしているんじゃないんですか」
「成程、そう思ったのか。まあ、そう思うわな」
老人はにやりとした。
「お前さんと同じ、余所からの客人じゃ。ただ、珍しくない顔になったからかの、最初はお前さんのように人気者じゃったが、いまはそうでもないようじゃ」
「へえ。てっきり、ここで過ごしていたんだと思いました」
意外そうにライノンは言う。
「ところで、湖神エク=ヴーの話を少し聞かせていただきたいんですけれど」
「村の人間ではないと言うておるのに、わしにそれを訊くのか?」
老人は面白がるようだった。
「だって」
ライノンは首をかしげた。
「あなたは、ご存知でしょう?」
「……ふむ」
今度は老人が目をしばたたいた。
「お前さん……覚えとるのか?」
「はい、もちろん」
にっこりとライノンは答える。
「あ、僕は人間です」
そこで、あまりに唐突にも聞こえる言葉を挟んだ。普通なら何を言い出したのかと思うことだろう。自分でも唐突だと思ったか、ライノンは少し顔を赤くした。
「ですから、つまり、魔族って言うんでしたっけ、そういう人たちみたいに何十年も同じ姿でいるって訳じゃないです」
「ふむ」
老人はまた言った。
「左様か」
「はい。左様です」
答えて、またにこにこと笑う。
「僕にはあれから……そうですね、三年くらいかな」
「よくわしが判ったな」
驚いたような呆れたような声が返ってきた。
「判りますよう」
ライノンは両の拳を握りしめた。
「あなたや彼のような人物と会ったら、実際に三十年が経ったって、忘れられるものですか。……むしろ僕が覚えられていたことに驚きです」
またしてもライノンは顔を赤らめた。
「そりゃあ、覚えているさ」
老人はくっくっと笑った。
「自分のマントの裾を踏んづけて顔面からすっ転ぶ兄ちゃんなんて、あとにも先にも、あんた以外に見なかったからな」
「あ、あ、あれですか」
ますます青年は顔を赤らめる。
「あれは、その、少々寸法が合っていなかったもので。な、直しました。す、少し、短めに」
「冗談だ、そんなに気にするな」
笑いながら老人は手を振った。
「ほかに見なかったことは本当だが」
そしてにやりとつけ加える。ライノンは頭をかいた。
「印象深いのは、例の禁術師と勇者の話だったよ。もっとも、わしがその内容を気にかけたというのじゃないことはお判りだろうが」
「あれだって、たまたまですよ。たまたま、知っていたことをちょっとお話ししただけで」
「――しかし、まだ、探しものは見つからんのか?」
「……ええ」
うなだれてライノンは認めた。
「いろいろな特異点を探したんですが、巧くいかなくて……ここにも、そのためにやってきたかったというのはあるんです。なかなか、まっすぐにはこられませんでしたけど」
「神子を連れてきてくれたそうだな」
「あっ、それもたまたまと、あとは少々、自分のためです」
彼は言った。
「ここが特異点たり得るのはやはり、条件が全て揃った場合だと思うので」
「それで湖神について訊くか」
「はい」
そうですと彼は答えた。
「湖神はいない、と聞きました。でも村の人たちは誰ひとり、湖神が村を見捨てたなんていうふうには思っていない。ちょっと留守にしていて、また帰ってくるかのように言います」
「ならばまた帰ってくるのだろうさ。わしもエクールの民じゃない。エク=ヴーに対する、そうした感性は持っておらん」
老人は肩をすくめて首を振った。
「でも」
ライノンは食い下がった。
「あなたは知っているはずだ」
「……生憎だな、若いの」
老人は首を振った。
「知っていると思ったこともあった。しかしいまのわしには、判らん」
それが彼の答えだった。
「そう、ですか……」
青年は勢いを削がれた。
「あの、せめて、手がかりのようなことは」
「手がかりか」
うなって老人は両腕を組んだ。
「湖神が消え去った訳ではない、というのはわしも同意見じゃ。そうだな、お前さんも自在に操れる訳ではなかろうが、いっそのこと」
彼はそれ以上言うことはできなかった。
どおん、という大きな爆発音のようなものが、酒場の壁を揺らした。




