12 見えぬはずのものを
金の髪、蒼玉のような瞳。
いったい自分が何を目にしているのか、奇怪な夢を見ているのではないかと、〈白光の騎士〉たる男でさえ思った。
「どうかな、鏡を見ているようだろう?」
偽のジョリスは満足そうに笑った。
「もちろんこのような魔術は、ほかの魔術師が見ればすぐに見破る。長くは続かないが、充分だ」
「私と成り代わる、だと」
ジョリスは両の拳を握った。
「そのようなことが可能だとでも思っているのか」
「見て判らないか? お前の外見、お前の声、お前の名声、お前の権限を使って、たとえばレヴラール王子と話をする。彼は哀れなほどお前を信頼しきっている。何でも言うことを聞くだろう」
「馬鹿らしい。殿下はご自身で判断なさる」
「本当にそう思っているとしたら、お前は案外、愚か者だということ。判っているのだろう、自身の影響力は。だからこそレヴラールとは距離を置いた。レスダールならば、確かに少しばかりは自分で判断ができたな。そこが余計でもあったが」
「――陛下に、何者かが微量の毒を盛っていた疑いが出たと聞いた」
「は! それがどうした? 今更ではないか。レスダールは毒物とは関わらぬところで死んだ。その前に、私も」
笑って死体は言い、自らのやったことを認めた。
「もともとそのつもりだった。レヴラールを完全に私の傀儡としてしまえば何でも思うまま。しかし巧くいかなかったな。だからもう一度、今度は既に信頼のあるお前を使えば」
「お前に『もう一度』など、ない」
静かに、はっきりと、ジョリスは言った。
「お前は死んでいる」
「ははっ、その通りだ。それを否定する気はないとも。だが神の、いや、悪魔の采配が私に『もう一度』を可能にしたのだ」
「まやかしだ」
「何故そう思う?」
魔術師はせせら笑った。
「それは、お前が、お前たちがそう思いたいだけだ。リヤン・コルシェントは死んだのだからもう問題を起こすことはないはずだ、と。期待外れで気の毒だったな」
「いいや、違うな。生きているか死んでいるかではない」
ジョリスは首を振った。
「私たちは……私は宮廷魔術師であるコルシェント殿を信頼した。たとえ選択は異なっても、国を守りたいという根本では同じであると」
「ふふ、首都をあとにしたのが間違いだったとでも。お前が騙されたのは何もお前が愚かだったせいではないと言っておこう。私が巧く立ち回り――」
「そのような話はしていない」
彼は遮った。死体の赤い瞳に苛立ちが宿った。
「お前の魔術によってあの箱を持ち出すことができたのは、運命の皮肉であろう。籠手の存在が彼に力を与え、彼らを結びつけた。そのことが悪魔からナイリアンを……そしてラシアッドをも救うだろう」
「何を、言い出した」
魔術師は顔をしかめた。
「だが、私が言わんとしたのはそのことではない」
ジョリスは手を振った。
「私はお前が国の乗っ取りを考えているなどとはつゆほども思わなかった。それは失態だ。信じさせたお前の『巧妙な立ち回り』も認めよう」
騎士らしからぬ、それは揶揄でもあった。こらえきれぬ怒りが、憤りが、洩れるかのように。
「しかしコルシェント。私はこう言うのだ。私がいま、こうしてお前の目論見を知る以上、決してお前のいいようにはさせぬ――と」
「弱鼠の戯言よ」
ふんと死体はジョリスの顔で鼻を鳴らした。
「お前など、こうして」
魔術師は片手をすっと前に差し出すと指を複雑な形に動かした。
「動けなくさせてしまうことも簡単だと言うのに」
「く……」
その言葉の通り、彼は手も足も、まるで石膏に固められたかのように動かせなくなった。
「おやおや、敵対的な魔術にあったことはなかったですか? そうでしょうね、騎士などと謳われたところで実戦は山賊相手が関の山。平和な時代は警戒心を薄れさせますなあ。もっとも」
魔術師はジョリスの顔でにやにやとした。それはジョリスの見せない笑みであった。
「どれだけ警戒したところで、私以上の魔術師を傍らに伴わない限りは、私の術を防ぐことなどできない。いまのナイリアンに私以上の術師などはいませんしね」
ピニアを解放し――それでも占い師は硬直したままだった――ゆっくり歩を進めると、コルシェントは両手を拡げた。
「お喋りは終わりだ、ジョリス。なぁに、あとのことは心配するな。私がナイリアンを導いてやる。ラシアッドと一緒に、な」
「――ふざけるな」
低く、彼は言った。
「王陛下の信頼を裏切っただけでは飽き足らず、今度はナイリアンを売り渡そうと言うのか」
「売り渡す? 心外だ。本来ラシアッドのものであった土地を彼らに返すだけ。彼らとて立派な治世をするだろう。頭がすげ代わったところで、民は何とも思わない。『ナイリアン王家』に忠誠を誓っているのはお前たちくらいのものだからな」
諭すかのように言ってコルシェントは首を振った。
「民のためを思うなら大人しくすることだ。逆らえば戦になる。ああ、お前は黙ってなどいられないな。だから私が代わってやるのだった」
「代われる……もの、ですか」
そのとき、ピニアが震える声を出した。
「何だと」
コルシェントは彼女を振り返った。
「姿ばかりを似せたところで……あなたは少しもジョリス様に似てなどいない。レヴラール殿下はもとより、誰も騙されたり、しないわ」
唇を青くして、彼女はきっぱりと言った。
「私だって……一度もあなたをジョリス様だと思ったことなど、ないのだから」
「何を……」
「あまりにも、違いすぎる。だからこそ嫌悪感を誘う。もしそれが判らずに……ジョリス様のふりができるとでも思っているのなら、とんでもない道化よ」
「ピニア、貴様」
ジョリスの顔をしたコルシェントの目がつり上がる様は、人ならざるもののようだった。
「その口の利き方から直してくれるわ!」
「よせ!」
「きゃああっ」
男の強い平手が彼女の頬を打った。
「やめろ、お前の相手は私だろう!」
全身の力を入れても、魔術の縛りはほどけない。いまのジョリスにはただ叫ぶことしかできなかった。
「は、もちろんお前は殺してやるさ。だが気に入らん、俺のものでありながらこのような口を」
「あなたの――」
ピニアは頬を押さえ、身体をがくがくと震わせていた。
「ものなんかじゃ、ないわ! わ、私は」
「黙れ」
かすれるような声は怒りの声、それとも魔術でとめられた。
「お前の意思などは関わらないのだ。お前と私の間にある契約を忘れた訳ではなかろう」
「その、契約とやらは」
ジョリスはコルシェントの意識を自分に向けさせるためにも声を出した。
「死後まで続くものなのか?」
「な……に」
虚を突かれたように、コルシェントは目を見開いた。
「魔術の契約は、術者が死すれば消滅すると、聞くが」
「だが、私は蘇った。ならば当然――」
コルシェントは何かを探すように目をうろつかせた。そしてそれが見つからないと悟ると、ますます怒りを強くした。
「ええい、戻っておらぬと言うのか! それならばもう一度」
「お前に『もう一度』はないと言った!」
術を破る方法。ジョリスはそれを模索した。
コルシェントの言葉と違い、彼は魔術に対する対策を一切知らないという訳ではなかった。ただ、確かに実践したことはない。書物で読んだだけだ。騎士としてそうしたことが必要な事態になれば、宮廷魔術師が力を貸してくれるはずでもあった。
いま彼が手を借りられるとすればサクレンだが、助力を期待はできない。彼女がもしこうした事態を少しでも案じていたなら、何の守りもなく彼を送り出すこともないだろう。如何に有能な導師であろうと、全く警戒していない出来事に素早く対応はできない。
自分の力でどうにかするしかない。
彼は探した。魔力のない彼には見えぬはずのものを。
もちろんそれは〈白光の騎士〉にも容易には見えない。「それを見る能力」が彼にはない。いや、その能力を持つ者――魔術師――であろうと、見えればほどけるというものでもない。
一流の術者であればあるだけ、その術構成は複雑で緻密となる。理解した上でなければどこを崩せばいいか判らない。鉱脈を読むことができない者が岩壁を削ったところで貴石が採れるはずがないということに似ている。
勘でどうにかなることではない。確実な知識と、そして技能が必要となる。
だが、どうにかしなければならない。諦めるつもりがないのなら。
ジョリスは探った。目の前の動く死体を見据えながら。
彼には不可能に近いことであった。どんなにほかの能力が高い人間でも、できないことというのはある。
しかし見えた。
それは彼には見えるはずのないものだった。
(――そこだ)
次の瞬間、彼の剣はそれを両断した。実際の刃ではない。もちろん魔術の類でもない。だがそう表現するのが近かっただろう。
「コルシェント!」
「なっ、馬鹿な」
死体は驚愕に赤い瞳を見開き――もはやそれはジョリスの似姿とは言えなかった――反射的に新たな印を結ぼうとした。しかし近距離にいる〈白光の騎士〉の瞬発力に敵うものではなかった。
ジョリスはコルシェントの片腕を掴むと反転して懐に入り込み、半ば無理矢理、それを背中から投げ落とした。




