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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第3章

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11 目的を

 それはリヤン・コルシェントのようでありながら、まるで別人のようだった。

 いや、確かにコルシェントなのだ。だが、ただでさえ黒いローブが更に闇をまとったかのごとく。それは全身で「違う生き物」であることを主張していた。

 ジョリスは左腰の剣に手をかけたが、死人に剣が効くとも思えなかった。もとより、半ばは威嚇のようなものだ。いまの状態では、全力で剣を振るうことができない。

「ピニア殿から離れろ。距離を取れという意味だけではない。縛り続けているのであればすぐにでも解放せよ」

「お前が私に命じることができるとでも?」

 赤い瞳の死体はくつくつと笑った。

「そう、その迷いのないところが腹立たしい。憎いと言ってもいい。いや、そう感じていたと言おうか。いまの俺にはそのような下らない感情はない」

 コルシェントだったものは手を振った。

「離れはしない。俺のものだ」

 背後から温度のない手が彼女を所有するように抱いた。ピニアの顔は「恐怖」を描いた絵画のようになっていた。

「心も――身体も、全部俺が縛り付けてやった。たとえ魔術から逃れたところで、この女は一生、俺の呪縛から逃れられない」

 くくく、と満足そうな笑い声が洩れる。腕に抱えられた贄と、それはあまりにも対照的だった。

「成程、お前がこの黒い気配の正体か」

 それが現れた瞬間から、極寒の真冬に薄物一枚でいるような寒気がした。吐き気のするような嫌悪感は、果たして本能的なものであるのか、死んだ男の執着をあまりに醜悪だと感じるためなのか。

「ヒューデアを殺したのもお前か」

「いいや、それは私じゃない。だが誰でもいいだろう。騎士たる者が個人的な仇討ちもなかろうからな」

「個人的なものでなかったとしても」

 ジョリスは続けた。

「結果的に仇討ちはできることとなろう。お前たちの企みを潰せば」

「生憎だがと言おうか、私は彼らとは関わりがない」

 コルシェントはにやりとした。

「そうは思えぬな」

 ジョリスは首を振った。

「死んだお前をそうして動かしているのは悪魔の力であろうに」

「確かにな。こればかりは大魔術師(ヴィント)と呼ばれた私でも自由にならない分野だ」

 魔術師は唇を歪めた。

「彼奴らは俺を利用しようとしている。だがそれでいい。俺も彼奴らを利用する」

 それは悪魔と巧く取り引きをしていると信じていた生前のコルシェントが言っていたことと同じだった。もっとも彼が自嘲混じりの皮肉を言ったのか、それとも忘れてしまっているのかは、彼自身と悪魔にしか判るまい。

「そこにどのような取り引きがあるのであろうと、ナイリアンを巻き込ませはしない」

 騎士は言ったが、死体は笑った。

「お前に何ができる、ジョリス・オードナー。知っているのだぞ、死に瀕したお前が生きて戻るために払った犠牲は時間だ。お前はそうしてただ立っているだけでも、高熱でも出しているかのように足元が覚束ないはず」

「幸いにして、そこまでのことはないな」

 ジョリスはわずかに口の端を上げた。

「もう一度言う。ピニア殿を離せ」

「離さぬと、言った」

 死霊は再びピニアを抱き寄せ、その髪の毛に口づけるようにした。

「俺のものだ」

 彼女が弱々しい抵抗すら見せないのは、受け入れているからでは無論ない。あまりの恐怖に直面すると、人は硬直したように動けなくなってしまうもの。いや、死んだ魔術師の魔術も関わっていたかもしれない。

「人質を前に、貴様に何ができるか? 素晴らしきナイリアンの〈白光の騎士〉殿ならば、多少の不調などものともせず、魔術師から女を救い出せるかな?」

 明らかなる揶揄。

「しかしながら――全快していたところで、できぬだろう? 死人を殺すことなどは」

 そこにあるのが優越感というのは、とても奇妙な話だった。

 死者が生者を妬むというのは昔語りの類でも、神殿が実際に忠告する事例でも「よくあること」だ。もちろん頻繁に起こることではないが、そのなかでは基本的な事例と言おうか、個人的な恨みによろうと「生」全てへの羨望であろうと、死者が化ける動機はたいていそこにある。

 だがこの死体は勝ち誇っていた。死んだ者を再び殺すことはできないだろうと。

 それはジョリスには哀しくさえ見えた。

「何だ、その顔は」

 コルシェントは苛立った声を出した。

「もっと悔しそうな顔でもしたらどうなんだ。〈白光の騎士〉などと持ち上げられたところで私に勝つことはできんのだ」

「そのように豪語するのであれば、人質は要らなかろう」

 彼は首を振った。

「ピニア殿から離れるんだ。それとも」

 賭けだった。

「そうして彼女を盾にしなければ私が怖ろしいか」

 単純な挑発だ。仮にいまは判断力が低下しているとしても、宮廷魔術師にまでなった男が簡単に乗るとは思えない。しかし逆に、そのようなつまらない真似を面白がってこそ乗るという奇妙な心理も、時には働くものだ。

「気の毒に。こうして女が目の前にいれば剣も振るえぬものな。魔術を使えぬ人間というのは何と非力なことか」

 コルシェントは肩をすくめた。

「――いいでしょう、ジョリス殿。こうして彼女を挟んでお喋りしていたところで、互いに何の益もありません。私が蘇った目的を果たすことといたしましょう」

 魔術師は不意に口調を替えた。

「目的」

 優位に立ったと信じる人物は、自らの優勢を誇示したがることがある。ジョリスはその可能性を読んだ。

「何の、話だ」

「簡単なことです」

 死体の笑い声は息苦しい呼吸をしているかのように聞こえた。

「あなたは、ここで死ぬ。そして私が成り代わるというのは、なかなかに面白くありませんか?」

「何……」

 ジョリスがぎくりとしたのは、そのように言い放ったコルシェントの姿が奇妙に歪んだからだ。何かの魔術とは思ったが、何であるのか見当もつかなかった。

 そのわずか数(トーア)後までは。

「いかがかな?」

 薄笑みを浮かべてジョリスの向かいにいたのは、ジョリスだった。


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