09 〈損得の勘定〉
「おかしな話もあったものだ」
ジョリスが少し笑ったのも致し方ないだろう。護衛が療養とは。
「どちらも口実ですよ。私はピニアを元気にしたい。これは〈星読み〉の力を当てにしてでもありますし、協会の定めた範囲内とは言え、師でもあったという関係性からでもあります」
「ただ『心配している』というだけで、貴女の理由は充分だろう」
騎士はそんなふうに言った。
「あら」
魔術師は目をしばたたいた。
「〈損得の勘定〉を説明するのは当然のことかと」
「確かに、それが必要なこともあるな」
だが、とジョリスは続けた。
「この場合は無用のようだ」
「では」
「――ヒューデアのことは、私自身、整理をつけられずにいる。キエヴ族のところにも伝えなければならないと思っているが」
「そのことは既にイゼフ神官が手を打たれたかと」
「そう聞いている。だが私が彼らに直接話をしなければならないと……いや、彼のことを誰かと話をしたいという気持ちもあるのだ」
彼は吐露した。
「全てが片付き、この身も回復すれば、イゼフ殿と語り合うこともできよう。いまはまだ、彼も私もそうした時間を取れずにいる」
「ピニアも同じような心持ちでいるかと。そうであれば、こうした言い方も何ですが、ちょうどいいんじゃないでしょうか」
サクレンは肩をすくめた。
「お願いできますか」
「しかし、ピニア殿の館に滞在するという訳にもいくまい。どうかここは導師殿に、件の術を使うご許可をいただきたいところだが」
「ああ、ジョリス様にあの術を施した術師は考えが足りなさすぎました。依頼を受ければ果たすことが務めとは言え、責任感の塊のような人物に使えばどうなるか、考えてみるべきだったのです」
彼女は首を振った。
「いいですか、ジョリス様。これだけはくれぐれも申し上げておきます。あれは所詮、騙しの技。そうしたことはご理解いただいているようですけれど、もうひとつ厳しい言い方を」
こほんと導師は咳払いをした。
「疲労に気づかず限界まで動くことができる、それを便利だと思うようになってしまうのは罠です。一種の中毒と言ってもいい。使わねばいられぬようになって死んだ魔術師も皆無ではないのですよ」
睡眠や食事を取らずに研究に夢中になり、結局何も成せぬままで死んだ。魔術師たちはそれを嘲笑いこそしないが――自らも陥ち得ると知っているからだ――大いなる戒めとする。
「どんなに巧いことを仰ろうと、あなたにあの術は禁止です。完全に回復されたのち、どうしても必要な局面であれば、私が施しましょう」
「常用するつもりはない。しかしいまは」
「非常事態だ。判っていますとも。これに関しては王子殿下や祭司長に全面的に同意です。この異常な状況を前に、つまらない理由で〈白光の騎士〉を失うのは愚の骨頂であると」
きっぱりとサクレンは言い、ジョリスの反論を防いだ。
「ですから……仕方ありません。私としてはあまり望ましいとも思えないのですけれど」
と、彼女が手をひらめかせると、手品のようにそこに何かが現れた。
「これを」
「それは」
ジョリスは魔術師の持つ小瓶を見つめた。
「――ラバンネル術師のもとで目にしたものに似ているようだが」
「その通りです」
サクレンはうなずいた。
「術師と連絡を?」
「直接には、無理でした。ただ、彼も協会に所属していることに変わりはありませんから、伝言を」
彼と連絡を取りたがっている魔術師は――今回の件に何も関係なく――数多くいるはずなので、いかに重要で緊急だとしても相手にされない可能性も高かった。しかし思わぬ早さでラバンネルはサクレンに、その薬の配合を伝えてきたのだと言う。
「彼が協会に連絡を取ってきたのは三十年ぶりのことだそうです」
ずっと生死不明と思われていた。それはどんな要請にも彼が反応を返してこなかったからでもあった。
「この構成ならば彼の施した術と相反することはなく、これまで処方された薬や術ともまず競合しないと。イゼフ殿のものだけは明確でないそうですが、おそらく問題はないとのことです」
彼女は説明した。
「あなたの状況でいちばん案じられるのがそこでしたから、これは大きな手助けですわ」
「有難い」
彼は息を吐いた。
「ラバンネル術師にはどのように感謝をしてもし足りない。彼自身には、目的があるのだからかまわないと言われたが」
「目的ですって?」
「何、我らと同じことだ。平和を守ることで、大切な人々を守りたいと」
「どのような人物なのですか? 大導師ラバンネルというのは……いえ」
はっとしてサクレンは手を振った。
「私の好奇心は、いまは納めておくとしましょう。この魔術薬ですが、例の術を狭い幅で、短時間で行うのに似ています。つまり、快復したように動けると言うのではなく、『身体が重い』という状態は我慢してもらわなければなりません。そして短時間と言うのは、安全弁です。限界に達するより早く、ここまでというところで効果を完全に切ります」
「本来の状態に戻るということだな」
「そうです。……術対象の安全のためには、協会もこうしたやり方を学んでいく必要があるのかもしれませんわ」
導師は嘆息した。
「あら、ごめんなさい。余計なことでしたわね」
「いや。『協会のこと』とされれば騎士の口を挟むことではなかろうが、ナイリアンの民のために業務を改善するという話であれば、相談にも乗れる」
おこがましいが、と騎士はつけ加えた。魔術師は感謝の仕草をする。
「私の一存でどうにかなることでもありませんが、騎士様の手を借りられることがありましたら、そのときには遠慮なくお願いしますわ」
サクレンは笑みを浮かべ、取りようによっては拒絶とも取れることを言った。協会――魔術師、殊に導師には事情もある。騎士はそれ以上そのことには触れず、代わりに彼女の提案について考えを巡らせた。




