08 よくある糾弾
己の何と不甲斐ないことか――というのが、事情を知る者誰もがその精神力に呆れるほどに感嘆するジョリス・オードナーの心の内であった。
身を削ればよいというものではない、とは理解している。レヴラールが、キンロップが、繰り返し繰り返し言うように、〈白光の騎士〉が存在するということは人々にとって大きな安心を与える。いま彼に何かあれば、平時以上の不安を誘うだろう。
だが、だからと言って休んではいられない。もちろん、仲間である騎士たちのことは信頼しているし、任せられないなどということはない。
ただ、気ばかり焦る。
危険と言われる魔術に頼っても街の調査に赴いたのは結局、その焦りのためだ。
彼の焦りを笑い飛ばして程よく叱責できた人物は、もうナイリアンにいない。サレーヒならば忠告もしようが、その彼もいまは出向中だ。
全く改善しない体調。
いや、少しずつ少しずつ回復はしているのだが、あまりにも遅々としていて、苛立ちすら覚える。
命の代償とも理解していたが、それでもひたすらに――不甲斐ない。
「いけませんわね」
扉から入ってきた女導師は顔をしかめた。
「無理はしない、というお約束でこちらのお部屋をお貸ししたはずです」
「サクレン殿」
ジョリスは珍しく、少し困った顔をした。
「無理はしていないつもりだ。だがいくらかは身体を動かさねば」
「医師や薬師が〈白光の騎士〉様に強いことを言えずにいたのが問題だったのだと判ります」
サクレンは嘆息した。
「そうしたことは、医師が許可してからです。それまでは大人しく横になっていて下さい。『静養』の意味はお判りと思いますけれど?」
魔術師は片眉を上げた。〈白光の騎士〉にこんなふうに言う者もいない。ジョリスは苦笑した。
「レヴラール殿下のご指示は実に的確でした。可能ならば本当に四六時中見張っている方がよろしいかと思うくらいです」
「術師殿に見つかって以来、ずいぶんと静かにしているつもりだが」
「それは冗談のおつもり?」
ふんとサクレンは鼻を鳴らした。
「ジョリス様は多くのことに秀でておいでですけれど、冗談はお世辞にもお上手とは言えないようですわね」
「本を読んで身につくものでもないようだな」
騎士は肩をすくめた。これにはサクレンも少し笑った。
「殿下のご要望では、ジョリス様にも護衛をとのことでしたが」
「それこそ、殿下のご冗談だろう」
「本気もいいところですよ。ですがあなたが肯んじないというのと、あなたに気づかれずにそうできる人物もいないとのことで諦められましたけれどね」
「その代わりの貴殿か」
「だいたい、そのようなところですね」
導師は気軽な調子で認めた。
「いかがですか、この部屋は。騎士様をご案内するには少々殺風景ですけれど」
「充分だ」
魔術師たちは書物に夢中になるあまり夜を徹してしまうようなことが珍しくないので、協会内には仮眠室が設けられている。居住空間としての部屋ではないが、休むことを目的とするなら確かに充分だった。
「何か、違和感はありませんか?」
サクレンは続けて問うた。
「いえ、特に感じないのでしたら何も――」
「そうだな」
ジョリスは辺りを見回した。
「人目に触れぬのはよいが、いささか重苦しいと言おうか、独特の空気があるな」
「やはりお気づきでしたか」
導師はうなずいた。
「特に術をかけなくとも、ここは特殊に作られた空間ですから。ジョリス様のような鋭敏な方ならばそれを圧力と感じ取ることもあるかと思いました。触れてしまった蜘蛛の糸のように気にかかることもありましょう。悪影響はないはずですが、療養場所としては最適とは言えませんね」
魔術師は少し考えた。
「ではじっとしていられない騎士様にお願いがありますけれど、聞いていただけます?」
「どのような任務であれば術師殿の許可が出るものか、興味がある」
ジョリスはそんなふうに答えた。
「実は」
そこでサクレンは、冗談めかした様子を一切消した。
「ヒューデア殿の件で」
その名はジョリスからも表情を消す。
「いえ、ピニアの件と言うべきなのかもしれません」
「ピニア殿?」
「ええ。ヒューデア殿とリチェリン嬢は彼女の館に世話になっていましたし、連絡を入れる必要がありました。彼女自身、〈星読み〉で判っていたようですが、それでも私からの知らせにはずいぶんと衝撃を受けたようで」
「……知っていたのだろうか」
呟くようにジョリスは言った。
「私にオルフィとの出会いを告げたように、ピニア殿は」
「お待ち下さい、ジョリス殿。未来を読んだからと言って――」
「判っているつもりだ」
片手を上げてジョリスはサクレンの言葉を制した。
「先に起こることがはっきりと見えたところで、未来は変わらぬのだと。見たからには確実になるのだと。彼女が危険を忠告しなかったなどと責めるつもりは毛頭ない」
「申し訳ありません」
サクレンは謝罪の仕草をした。
「ジョリス様が無知蒙昧な者であるかのように、予知の力を持つ者たちをかばおうとしましたわ」
「私とて少し読んだばかりにすぎぬ。門外漢だ」
知識があるとはとても言えない、と彼は手を振った。
「お判りいただけると思いますが、よくある糾弾なんです。『何故警告しなかった』『何故未来を変えなかった』……あまりにも的外れ」
魔術師はしかめ面で首を振った。
「そんなに都合のいい力なら、彼らの地位はもっと向上していますわ。国を動かす重職に、いえそれどころか自ら国を興し、支配することだって」
同じ力を持つ敵がいなければですけれど、とサクレンは付け加えた。
「人は神の手を持つには至らずということだな」
未来を知り、そしてそれを好きに変えるなど人の身にできることではない。
「神はそれが可能であっても、まずやってくれませんけれどね」
魔術師はそんなふうに言った。
「そう、ピニアのことでした」
サクレンは息を吐いた。
「コルシェント術師の強制により、彼女は心に深い傷を負いました。それを少しずつ癒やしてくれたのがリチェリン嬢やヒューデア殿だったかと思います。ようやく、〈星読み〉をする気力も出てきたところだったのに」
リチェリンの拐かしに、ヒューデアの死。
近しい者の悲劇は占い師を酷く消耗させる。視た未来は決して変えられぬと誰より判っているのに、何とかできたのではないかと思い、できないのであればこの力は何のためなのだと、既に乗り越えたはずの疑念に行き当たって苦しむ。
ピニアはその状態に陥っているとサクレンは話した。
「お仕事と言うよりはお願いなんです。彼女の近くにいてやっていただけませんか」
「私でよいのか」
「もちろん」
サクレンは口の端を上げた。
「ジョリス様、『奇跡の生還』をなさってから、彼女に会いましたか?」
「いや、顔を見ていないようだ」
「だと思いました。彼女のことだから、見舞いに訪れることすら遠慮したのではと」
彼女を知る者がそう考えるのは当然だった。実際、何の問題もなかったところで、ピニアが用もなくジョリスを訪れるなどできなかったであろう。
「表向きは彼女の警護、実はあなたの療養という形でも便利かと思います。城からもそう遠くありませんしね」




