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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第1話 託されし運命 第3章

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08 大衆食堂

 ――首都ナイリアール。

 ナイリアン王国の全てが集まる中心。王のおわす都だ。

 オルフィがやってきたのは三度目かそれくらいであったが、慣れたとはとても言えない。気づけば田舎者のように――事実、田舎者であるが――口をぽかんと開けてきょろきょろしてしまいそうになる。

 もっとも今回はカナト少年も一緒だ。年上としてあまりみっともないところは見せられない、とオルフィは気を引き締めた。

 もう既にいろいろ暴露してしまっているのだから今更という感もあったが。

「僕としてはまずは魔術師協会を提案しますけど」

 当のカナトも首都は初めてではない。むしろオルフィより慣れた風情で街路を進んでいた。

「とりあえず宿を取るか」

 オルフィの方では日常的な提案をした。

「この前泊まった〈樫時計〉亭が結構いい宿だったんだ。確かこの先にあったはず」

 若者は思い出しながら提案した。兄貴風を吹かすつもりでもなく、彼としてはただ自然に宿の話をしたのだが、カナトはまるでオルフィがとんでもない名案を出したかのように驚き、感心して同意した。

「泊まるところなんて考えてもみませんでした」

「普段は爺さんとくるのか?」

 ミュロンが宿を取っているのだろうかとオルフィは思った。

「きませんよ。僕がナイリアールにいたのはお師匠のところへ行く前のことです」

「ああ、成程」

 街に慣れているのも、宿泊について考えたことがなかったのも当然だ。暮らしていたのだから。

「じゃむしろ俺が案内を頼んだ方がいいな」

「そうでもないです。僕が行き来していたのはごく限られた範囲でしたし、記憶もそんなに鮮明じゃありませんし」

「そか」

 オルフィはにっと笑った。

「んじゃ、ナイリアールについて判ってる率は同じくらいってとこだな」

「はい。同じくらいで」

 カナトも笑った。

「そうだ。公衆浴場(ウォルス)にも行かないか。旅の汚れも疲れも落とせる」

 以前やってきたとき、そうしたものの存在を宿の人間から教わった。村では水浴びならするし、冬場ならあたためた湯を桶に張って身体を拭うようなこともするが、「湯に浸かる」などということはない。

 物は試しと訪れた公衆浴場には驚かされ、正直なところ少々奇妙な習慣であるように思ったが、それは最初だけだった。あの心地よいことと言ったら!

「あっ、もしカナトが嫌いじゃなければだけど」

 オルフィは試してみて気に入ったが、そうではない者もいる。彼が最初に思ったように奇妙なことだと考える者もいれば、やってみたが不快だったという者もいなくはない。

「大丈夫です。僕も好きですよ、お風呂(ウォルス)

 少年は同意した。

 ここにくるまでの間、水場で身体を拭くくらいのことはしたが、汚れは溜まっているだろう。もしかしたらあのとき宿の人間が風呂について教えてくれたのは何も親切心ではなく、オルフィが臭かったせいかもしれない。

「しかし、不思議なのは」

 オルフィはちらりと左腕を見た。

「このなか、薄地の布くらいなら通るんだよなあ」

 初めはこんな立派な籠手を濡らしてしまっていいものか迷ったが、汚れが気になることもあってちょっと拭いてみた。そのとき、ふと思って籠手と腕の間に細くねじった布を差し込んでみたら、意外と簡単に通ったのだ。

 外そうとすればぴくりとも動かないくせに、そんなふうにしてみれば空間があると知れる。これは何だか理不尽なようにも思った。

「外せないのは魔術のせいなんですから、別に不思議じゃないですよ」

 というのが魔術師の言だ。何も籠手は、強力な糊でくっついている訳でもなければ、オルフィの腕と寸分狂わない大きさだから外れないという訳ではない。

「ううん、判るけどさ。納得いかないって言うか」

 非魔術師としてはそんなところだ。

「でも、まあ、臭かったりかゆかったりするよりはいいか」

 洗えるというのは悪くない。現実的にそんな結論に落ち着いた。

 南西部から首都へ。この数日間の旅程は、彼らふたりをだいぶ仲良くさせていた。カナトの口調は相変わらずだったが、呼び捨てには馴染んだようだったし、謝る回数も減った。

 彼らは互いに自分の生い立ちやいま現在どんなふうに生活しているかなどといった話にはじまり、何ということのない世間話、下らない冗談も言い合いながらここまでやってきた。

 オルフィの指南で宿を取り――クートントを繋いでおける場所が必要なので、町外れとなった――近くの食事処でひと休み。首都へやってきた理由だとか、これから行うべきことなどを考えなければ、それは順調で楽しい旅の一日であった。

 ちょうど夕飯時を迎えていたこともあり、腹を空かせた若者たちは、揚げた(リィ)の足、茹でた(クト)、香野菜の炒め物、練った粉を潰して焼いた平餅(コポル)、といった品々を若者たちらしく食べ、オルフィは軽いライファム酒も少々飲んだ。

「美味しいですね」

「ああ、いい店に当たったな」

 首都の飯は不味いと考えていたオルフィだったが、この〈白兎の遊戯〉亭は彼がナイリアールで初めて出会った、安くて美味い、よい大衆食堂だった。

「よく考えてみたら、美味い店なら繁盛してるだろうから、客だって多いよな」

「そうですね?」

 年上の若者が何を言い出したのかと、カナトは少々首をひねった。

「だからさ。俺は前にきたとき、あんまし人の多い店を避けてたの。何しろ田舎モンだからさ、人混みがうざったくて」

 顔をしかめて彼は言った。

「でも客のこない店ってことは、味なり何なり、問題ありってことだよな。となれば不味いという可能性は大いにあった訳で」

 どうやら店の選び方にも問題があったみたいだ、とオルフィは気づいた。「首都の店は不味い」は不当な評価であったようだ。

(でも)

(〈緑の葡萄〉屋の方が美味いけどな!)

 アイーグ村の食事処で口にするものは、オルフィにとって言うなれば「おふくろの味」みたいなものだ。ひいき目は少々あるだろう。

 ひと通り食して腹を満たすと、彼らは改めてこのあとの方針について話し合った。

 カナトはやはり、協会へ行くのがいいだろうと言った。詳細を語らなければ協会は詮索しないし――気づかれる、ということは十二分にあるが、余所へは断じて洩らさないということだった――大筋を把握してから神殿へ向かうのはどうかと。

「これについちゃ、カナトの方が専門家なんだし」

「とんでもない。専門家だなんて……」

「でも俺より詳しいことは確かだろ。カナトの提案に従うよ」

 オルフィは両手を上げた。

「うわっと。何だあ!?」

「あっ、ごめん」

 狭い店だ、たまたま手を上げたところに誰か通ろうとした人物がいたらしい。ぶつかったりした訳ではなかったが、オルフィはとっさに謝った。

「何しやがる、この、田舎臭いガキが!」

「うへっ」

 だみ声とともにかかった息はとんでもなく酒臭い。見れば、顔を真っ赤にした品のなさそうな男が憤然とした表情でオルフィを見下ろしていた。

 これはもう、酔っ払いに絡まれる、典型的な例だ。運が悪い、とオルフィは首をすくめた。

(こういうときは)

(平謝りがいちばん)

 酔っ払いに理屈を言っても通じないものだ。アイーグ村のようなところでも自分を失うほど酔っ払うだらしない大人というのはいるもので、オルフィも何度か苦い目に遭っている。これはあのときの経験にそっくりだ。

「いや、どうもすんません、旦那」

 へこへこと彼は頭を下げた。たいていはこれで済む。せいぜい、ぶつぶつ言われるくらいで――。

「何でも謝れば済むと思ってんのかぁ!?」

 だが生憎と、酔漢は余程、虫の居所が悪かったらしい。

「ちょ」

 当たってもいないのだし、「失礼」の一言で済む事態だ。カナトとの話ではないが、いまのは誰がどう見たってオルフィに大した非などない状況である。

 実際、オルフィはすぐ謝罪を済ませた。言われた方は気軽に許す、これでお互いに十二分のはず。

 だが、酔漢に理屈は通じない、のである。

 男はオルフィの襟首を引っつかんで彼を持ち上げた。こうなっては無抵抗でもいられない。オルフィは身をよじらせて男の手を振り切ろうとした。しかし酔っ払いは容赦なく馬鹿力を振るってくる。

「オルフィ!」

 カナトが叫ぶ。

「ちょっと! 誰か! 護衛はいないのか!?」

 大きな酒場などでは、客同士の喧嘩騒ぎの類を防ぐために戦士を雇っていることがある。いるだけでも抑止になるが、実際に何かあればその騒ぎの原因たちを店の外に放り出してやれるという寸法である。

 だが生憎、この大衆食堂にそうした存在はいないようだった。近くの客たちは急いで遠ざかり、やや離れたところにいる者たちは少し面白がる顔つきで見物している。店の給仕たちは慌てて主人を呼びに行ったり、もしかしたら町憲兵(レドキア)を呼びに行ったりした。

「この、ガキ!」

 男は力任せにオルフィを突き飛ばした。

「ぐっ」

 椅子にぶつかった彼は体勢を整えようとしたが、伸ばした右手を酔漢に掴まれる。

(殴られる!)

 男の拳が振り上げられるのが見えた。

 オルフィは身を縮こまらせた――はずだった。

 どかん、と音がした瞬間、オルフィは痛みを覚えた。

「いてぇ!」

 思わず声が出る。

 だがしかし。

「……え?」

 彼はその場に立ったまま、目をぱちくりとさせた。

 オルフィは、そう、立っている。殴り飛ばされることなく、自分の足で。

 一方、酔漢は仰向けに倒れている。白目を剥いて。

「……え?」

「オルフィ」

 目をしばたたいていたのはカナトも一緒だった。

「おおお、すげえ!」

「一発だ」

「やるな、兄ちゃん!」

 見物客たちから歓声が上がった。

 そのなかでオルフィは呆然と――伸ばされた左腕を見つめていた。

「いま、俺……?」

「いけない、オルフィ」

 カナトがはっとした。

「出ましょう。町憲兵がきます。いくら向こうから売られた喧嘩でも、こうなったからにはあなたも詰め所に連れられて事情を訊かれる」

「こ、こうなったからには?」

「いいから、早く!」

 少年が素早く彼の手を取る。まだ唖然としたまま、オルフィはカナトに引っ張られて店を飛び出した。


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