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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第3章

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06 時に、恋のために

「エクールの神子は、ラシアッドにさらわれた。このことについてどうお考えか」

 探るように神官は問うた。

「まあ」

 王女は目を見開く。

「どういうことですの?」

「お判りにならないと」

「もしかしたらですけれど」

 彼女はそっと手を合わせた。

「お兄様方がウーリナをナイリアールへ導いたのは、神子がかの地にいるとのお考えがあったためではないかしら」

「ほう」

「私ならどなたが神子であるか判るとお思いだったのですわ」

「それで、お判りか」

「リチェリンさんですわよね」

 さらっとウーリナは答え、イゼフは少し目を見開いた。

「けれど、自覚はお持ちでないようでした。ですから私も特に申し上げませんでしたし、お兄様たちにも何も伝えませんでしたわ」

「何も」

「ええ。お兄様たちこそ、わたくしに何も仰らないんですもの」

 少し頬を膨らませてウーリナは憤るように言った。

「あらかじめ話してしまうと先入観ができるとお思いでしたのでしょうね。でもウーリナはそんなの嫌です。ウーリナだけ仲間外れなんて酷いです」

「成程」

 イゼフは呟いた。

「彼らも貴女を巻き込みたくはなかったのか……」

 それとも、単なる手駒と考えているのか。後者の考えをイゼフは口にしないでおいた。

 もとより――王女が本当のことを言っているかどうかも、彼には判らない。

「あら? それではクライスさんは、リチェリンさんがラシアッドにいらしていると仰いますの?」

「彼女の意志でやってきたのではない。力ずくで拐かされた。ハサレック・ディアがやったのだろうとされている」

「ばっ、馬鹿言うな!」

 ちんぷんかんぷんの話に口をつぐむしかなかったマレサがここで大声を出した。

「ハサレック様が、そんなことするもんか!」

「彼はラシアッドにいるのだな?」

 イゼフはマレサにともウーリナにともつかず問うた。

「そうさ! ナイリアンじゃハサレック様を悪い奴ってことにしたんだろ! それで今度は誘拐魔なんてとんでもない濡れ衣を」

「事実だ」

 短く神官は言った。

「〈青銀の騎士〉を尊敬していた者には信じがたかろう。ジョリス殿の件が冤罪であったようにこれもまた誤りだと、そう思い込む……思いたがっている者がいてもおかしくはない。しかし彼が黒騎士としてジョリス殿を負傷させ、子供たちを殺め、王陛下に刃を振るい、王子殿下を襲ったことは全て、紛れもない事実」

「何を」

 かっとマレサは反論しようとした。

「黒、騎士……?」

 その噂は橋上市場にも届いていた。あの付近でこそ被害がなかったために深刻な話にはならなかったが、それでも「現実に起きていること」として大人たちは心配そうにしていた。一時期は母から、マレサどころか兄もバジャサまで、外出してはならないなどと言われたものだ。兄妹はどちらもそれを聞かなかったが。

「まさか! ふざけたこと言うなよ! あんまりにも酷いぞ、それは!」

 彼女は威勢よく叫んだ。

「あの男を慕って十年の月日を売り渡したか。気の毒なことよな。お前のなくした十年は、たとえば私のこの先の十年よりもずっと大事な、お前という人間を作り上げるためのものになったはずなのに」

「かっ、関係ねえよ!」

 マレサは声を裏返らせた。

「大人になって、ハサレック様の近くにいられるってんだから、オレはこれでいいんだっ」

「『大人』? 外見ばかり成長したところでお前は子供ではないか」

「ふ、ふざけるな! オレは」

「失った十年がどれほど重要なものであったか、お前が気づくのは先になろう。それまで生きていられれば、だが」

「え」

「どういうことですの」

 ウーリナが口を挟んだ。少し険しい顔をしていた。

「マレサさんの外見が変わっていることは判っていましたわ。それは邪な力が絡むということも、推測はつきました」

「ならば、判ることもあろう。邪なものと契約を交わせば、その後に待ち受けるは怖ろしい運命であること」

「ですが……時間を売ったのであれば、その時点で契約は完了するのではありませんの? 売り買いとはそうしいたものですわよね?」

 ウーリナは問うた。イゼフは少し驚いた顔をした。

その通り(アレイス)。だがそれは、売った側がその価値に気づいていればという話にもなろう」

「そんな」

「かの存在に公正な取引など期待しないことだ」

「何の話だよ」

 マレサの話であるのだが、本人にはよくも悪くもぴんとこなかった。

「別にオレは病気とか持ってないし。そりゃ事故にでも遭えば判んないけど。当分生きてる予定だよ」

 少女は不満そうだった。

「マレサ殿にかけられた術を打ち消すのは困難だ。目くらましのようなものであればよいが、そうではなく本当に時間を与えられているのだから」

 まるで少女がそこにいないようにイゼフはウーリナに話した。何も意地悪をしている訳ではなく、理解できる相手に話しているだけだが、無視されたような気持ちになったマレサはますますむっとした顔を見せた。

「しかし、何らかの対処はできよう。私自身も、詳しく調べよう」

「それはお願いいたしますわ」

 ウーリナは真摯に言った。

「人は時に、恋のために愚かとも見える行動をしてしまいます。周りからはどんなに下らなく見えようとも、当人は本当に、本気で……取り返しのつかぬことになるというのが判りません。いえ、判ってもその道を躊躇いなく進みます。称賛できることではないとしても、わたくしは」

 王女はそこで言葉を切り、目を伏せた。

「つらいご経験がおありか」

「いえ」

 くすっと彼女は笑った。

「つらい恋をしていたのは、お兄様に内緒でこっそり読んだ娯楽小説の登場人物ですわ。わたくしは自由な恋愛など許されぬ身であること、重々承知ですの。レヴラール様にはもしかしたら恋をしてもよいのかと思いましたけれど……それはお兄様方の予定にはないことなのかもしれませんわね」

「ウーリナ殿下」

 イゼフが少し眉根を寄せたのは、天真爛漫にも見える娘が、王女の立場について冷静に考えていることへの――痛々しさを感じたからだろうか。

「殿下。貴女は理の判る方とお見受けする」

 神官は敬意を示す仕草をした。

「願わくば、貴女の意思で、私とやってきてはいただけないか」

「どちらへですの?」

 首をかしげて彼女は当然のことを尋ねた。

「ナイリアン国の何処か、ということになろう」

「まあ」

 彼女は目をしばたたいた。

「それを言ってしまってよいのですの?」

 その問いかけにイゼフはわずかに口の端を上げた。この王女は想像以上に頭がいい。のんびりとした変わり者というのは何も演技ではないだろうが、こうして彼のところにやってきたのはただの好奇心からでもない、彼女なりに考えた結果であり、実行に移す決断力や行動力も大したものだと。

「かまわぬ。神殿というものはどこの国に属しているのでもない。この場合の『ナイリアン』はただの地名にすぎぬ故」

「詭弁と取られますわ」

「兄殿下方にということであれば、それはかまわなかろう」

「どうしてですの?」

「国と神殿は折衝しない。魔術師協会も同様と聞く」

 たとえ、と神官は肩をすくめた。

「建て前でも」

「個々の神殿、協会、神官、魔術師……そうした部分での独断があろうとも、組織全体として取り引きすることはない、少なくともそうしたことがあったと組織が認めることはない、そういうことでしょうか」

 考えながらウーリナが問えばイゼフは軽く目を瞠った。

「驚かされる」

「ふふ、女子供でも少しは考えますのよ」

 王女は楽しげに笑った。

「クライスさんのお立場もいくらかは。ナイリアン国を代表しているとは決して言えず、しかし同時に大きな責任を負っていらっしゃる」

「私は神殿すら代表していない。ただの個人としてここにいる」

「判っております。わたくしも余計なことを」

 彼女は心底申し訳なさそうな顔をした。

「ですがクライスさん。私はラシアッドの王女として、あなたに連れ去られる訳にはいきません。いくらあなたがナイリアン国そのものと関わりがないと主張なさったところで――」

 言いかけてウーリナはぱちんと手を合わせた。

「そうですわ! わたくしが出向けばよいのです」

「何と?」

 イゼフはウーリナが何を思いついたのかと問い返した。

「ですから」

 王女はにっこりとした。

「私が、レヴラール様にお目にかかりたいがために、勝手に出て行けばいいんですわ」

「ちょ、ちょっと。いったい何を言ってるんだよ!?」

 話の細かい点はマレサには判らなかったが、いまの宣言はよく判った。

 マレサはレヴラールのことは「王子が確かそんな名前だった」くらいの認識しか持っていなかったものの、セズナンからウーリナがナイリアン第一王子の婚約者候補としてナイリアールにきていたということは聞いていた。そしてにわか侍女として仕えた短い間にも、何度かウーリナがレヴラールの名を口にしているのを聞いている。王女が彼に好意を抱いていることは知っていたが、しかし。

「し、城の外に勝手に出るのとは訳が違うだろ!? 馬鹿なこと考えんなよっ」

 意外にもと言おうか、マレサは真っ当な意見を述べた。

「だいたい、何でナイリアンなんかに行くんだよ。意味が判んねえよ」

「それはですわね、マレサさん」

 こほん、とウーリナは咳払いなどした。

「私がレヴラール様にお会いしたいからということが第一にありまして」

「本気で言ってんのか」

「ええ。先ほども申し上げましたように、わたくしはレヴラール様に恋をしていいものかどうか判りませんの。ですけれど、このままお兄様方の意地悪でもう二度とレヴラール様にお目にかかれないと考えると、何だかこの辺りが」

 彼女は胸に手を当てた。

「痛い感じがしますのよ。これはもしかしたら、既に恋をしてしまっているのかもしれませんわ」


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