05 どこまで知っているのか
王女様はご満悦の様子で、にわか侍女にして新米友人の子供は驚くやら呆れるやらであった。
もっとも素直に感心できる点もあった。
ウーリナはあの手紙にあった細かい指示を一度で覚えたらしく、取り出して読み返したりうろうろしたりすることのないまま、狭い路地を曲がり小さな空き家を通り抜け不思議な模様の描かれた小石を拾い上げて窓に紋様を描き、にっこりと笑みを見せた。
「これでよさそうですわね」
「……はあ」
何となく引っ張り回された感じになって――最初からそうだと言えばそうだった――マレサはぐったりとした。
「いったい、何してた訳?」
うろちょろしたのは追っ手を撒くためと理解できる。彼女だってお手のものだ。だが小石や紋様は。
「もしついてきていたのが使用人だったなら、おそらく移動だけで充分ですわ。でもクロシアですもの」
「あのいっつもしかめ面のおっちゃんだよな」
マレサにかかればクロシアも充分「おっちゃん」であった。
「できそうな感じのするヤツだとは思ってた」
両腕を組んで彼女は知ったように言った。
「でき……? いえ、大丈夫ですわ。ヴィロンさんはとても優秀な護衛がいることも考えて、これだけのことをされていますから」
「ん? だから、あいつはできるんだろ?」
「はい?」
娘たちは顔を見合わせて目をぱちくりとさせた。
「ん、まあ、いいや」
互いの理解を先に諦めたのはマレサだった。
「さっきのは、何か、魔法みたいなこと?」
「それに近しいかと思いますわ。ただ、本当の魔術でしたら魔術師には破られやすいと思いますので、独自のやり方なのではないかしら」
「へ?」
「魔術、神術、もしかしたら更に違うものまでが融合されているのかもしれませんわ」
「は?」
「未知なるもの、というところかしら。わたくし、とてもわくわくしていますのよ」
「はあ」
何だかわがまま姫の冒険に連れ出された使用人のような――ある意味ではその通りと言えばそうだった――気持ちで、マレサは嘆息した。
「そんな顔をなさらないで、マレサさん。もうすぐそこですわ」
彼女が疲れたとでも思ったのだろうか、王女は的外れなことを言った。
「ま、待てよ。本当に大丈夫なのかよ?」
一方で、王女よりも世間を知っている子供は心配になった。
「護衛をはぐれさせるなんて、何かおかしなことを企んでるってことも」
「おかしな方ではありませんわ」
またしてもウーリナは主張した。
「神術と申しましたでしょう。邪なお方は、たとえどんなに学んでも使うことのできない業ですの」
「邪なお方、ねえ」
はあ、としかマレサには言いようがなかった。
(別にオレは王女様の護衛じゃないけど、もし)
(もし姫さんに何かあったら、ハサレック様に顔向けできないよな)
少女が思うのはそんなところだった。ハサレックだってウーリナの警護に責任はないのだが――責任があれば、こうして出ている時点で大問題だ――マレサのなかでやはりハサレックは騎士であり、騎士は姫君を守るものだ。
(姫さんはこの調子だし)
(オレが! 見ておいてやんなきゃな!)
少女は、少女らしくなくと言おうか、騎士の代わりを決意した。
もっとも、彼女自身が想像したように、もし凶悪な誘拐犯でもあればマレサにできることなどない。せいぜい大声を上げて誰かの注意を引こうとし、警戒した極悪人に殺されるまで時間を稼ぐという辺りだろう。
だが幸いにして、相手は武装した犯罪集団などではなかった。
ウーリナが「ここですわ」と言って開けた扉の先にいたのは、旅装と思しき簡素な神官衣に身を包んだ初老の男であった。
格好だけかもしれない、とマレサは警戒した。
だがウーリナはそんなことを考えもしないか、或いはその不思議な感性――エクールの民の――で既に理解していた。
「ヴィロンさんでいらっしゃいますわね。わたくしは、ウーリナと申しますわ」
にこやかに王女は自己紹介をする。
「クライスさんとお呼びしても?」
「如何様にでも」
それがコズディム神官の、いつもと同じような素っ気ない返答だった。各国の王や王子と話をしてもほとんど変わらぬ彼であったから、もちろんと言おうか、ラシアッドの王女に対しても同様だ。尊大に出ることはないが媚びもしない。最低限の礼儀はわきまえるが、その境界線は、多くの者と比して低い――無礼寄りだとも言えよう。
よってマレサは、彼女自身かなりの無礼を働いているにもかかわらず、目前の神官が王女に敬意を見せないのを不服に思った。
「おいっ」
彼女は両手を腰に当ててイゼフことクライス・ヴィロンに向かった。
「もうちょっと、何か、あるだろうっ。言い方ってもんがさっ」
誰も彼女には言われたくないだろうが、彼女は本心から言っていた。
「マレサ殿か」
「おうっ。……うへえっ!?」
勢いよく返事をしたあとで驚愕する。忙しいことであった。
「なっ、何で」
「どちらの姿」であったところで知られているはずがないと彼女は思った。神官に知り合いなどいないのだ。
マレサのなかでは、それは大して印象的な出来事ではなかった、ということになる。つまり、オルフィに頼まれてナイリアールのコズディム神殿に向かい、イゼフ神官に面会を求めたことは。
「神の前には何も隠せぬのだ、とでも言えばよいか?」
イゼフは淡々と言った。
「急激な成長……妖術か。このようなことも可能にするとは」
神官は顔をしかめた。
「思っていた以上に、猶予はないようだ」
「クライスさん、教えて下さいな」
ウーリナは真剣な顔をした。
「いったいどういうことですの? ラシアッドが……お兄様たちが、悪」
「しっ」
イゼフは制した。
「その名称を口にしてはならない。厳重に結界を作りはしたが、私も所詮、人の身。忌まわしきものとて、人を超越した存在にどれほど効果があるものか判らない」
「まあ」
王女は目をしばたたいた。
「ではクライスさんは、神官でいらっしゃるからという理由ではなく、『それ』が強大と認めて警戒していらっしゃるのね」
「その通り。もとより、我らもただ闇雲に『対するもの』であるからと否定しているのではない。何故対するかという理由を考えれば当然、その存在もその力も、否定するのは無意味と知れよう」
獄界神とてやはり「神」なのだ。神官は決してそうした説明はしないが、神界神、冥界神と並び立てられるだけの存在であるということ。悪魔は「神」ではないものの、「神の世界」に属するものである。
「だがそうした談義は、いまはよいだろう」
「そうですわね。いずれ機会がありましたらお願いしたいですわ」
ウーリナが言うのは本心からのようで、イゼフは片眉を上げたが、特に賛意も反意も示さなかった。
「貴国が邪な影に覆われているというのは、何ら出鱈目ではない。世の中には破滅の予言をして王族に取り入ろうとする占い師もいるが、私はそうした者でもない」
「理解しておりますわ」
悪巧みをする者が悪巧みをしていると言うはずはなかったが、もちろんイゼフはそうではなく、王女もまたうなずいた。
「わたくしには、見えますの。クライスさんの聖印にはとても思いが込められていますし、途中で手にしました小石も同様でしたわ」
「ほう……?」
彼は友人から預かった聖印に手をやった。
「鼓動を持たないものにも心はありますのよ」
彼女はオルフィやレヴラールを戸惑わせた話を神官にもまた告げた。
「成程」
しかし彼は考えるように両腕を組んだ。
「ごく一部の、力を込められた特殊な品を除いて、そうしたものの存在は認められていない。否定されているという意味ではなく、証明ができない。証明のしようがないとも言える」
「まあ。証明の必要がありますの?」
「その観念を普遍のものにするには必要だ」
「確かにありますのに」
「それが貴女に判るというのは」
彼は少しだけ間を置いた。
「エクールの力か」
「どうなのでしょうか」
ウーリナは少し眉間にしわを寄せた。
「気づいたときには判るようになっていました。いつ頃からだったのか、自分でもよく覚えていませんの」
物心ついた頃からそうだったのだと王女は言った。
「お兄様はエクールの民の血だと仰いますわ」
「それは、どちらの」
「ロズウィンドお兄様もラスピーシュお兄様もですけれど」
彼女は少しだけ困ったような顔をした。
「殊にロズウィンドお兄様は、わたくしを神子姫だなんて呼ぶのです。エクールの神子はエク=ヴーに選ばれた存在、私は違いますのに」
「では神子は?」
短くイゼフは問うた。ウーリナは首をかしげた。
「十年以上前にエクール湖から離れたと伺っています。でも目覚めの日も近いはずですから、お戻りになるのではないかしら。あまり詳しくは存じ上げませんけれど」
ごく普通の調子でウーリナは答え、イゼフはそれを計った。この娘は何をどこまで知っているのかと。
素直に答えている様子ではあるが、ラスピーシュ王子の例もある。聞けばロズウィンド王子も穏やかで、レヴラールはもとよりキンロップでさえ、その印象を信じていた。
では、妹王女は?
彼の言うなりにこんなところまでひとりで――連れはいるが、問題ではない――やってきたのは、悪魔のことを知っているからか知らないからか。兄たちと共謀しているのか。果たして「そうは見えない」というこの印象は信じてよいのか。




