03 判るかい
遠い昔、争いが起きた。
その争いの原因が何であったのか、いまとなっては正確には判らない。
いや、伝わっていることはある。
魔力のような不思議な力で人々を支配していた一族――伝説に言うカナチアス・ケイスト一族のように――からの解放を目指して決起した者たちがいたと、これがナイリアンの言い分だ。一方で追われたラシアッドは、力でのし上がった山賊のような連中が欲望のままに暴れ回り、罪なき人々を傷つけてエクールの民を脅したのだと。
〈はじまりの湖〉に残った人々は、何も言わない。
どちらが真実か知っているのか。
それとも、どちらも真実であると知っているためか。
その「どっちつかず」の態度は、結果的に両方を苛つかせたのかもしれない。ナイリアンはエクールの神子を疎み、軽んじることで貶めようとした。ラシアッドはほとんど接触のないままであったが、聖地として尊んではいた。ただ、彼らが「蛮族の支配下」に入ったままであることを歯がゆく思ってはいただろう。奪還をとの思いが、やがてラシアッドを――ロズウィンドを動かすことにもなった。
「そうか、ご苦労だった」
ラシアッド第一王子は報告をした使用人をねぎらった。使用人がびくついた様子で戸惑った顔をしたのは、王子がいつも通りだったからだ。
いつも穏やかで優しい――そう見える――王子殿下であっても、とんでもない失態をふたつも三つも報告されれば、不愉快なものを覚えても当然。ロズウィンドが感情にまかせて怒鳴るような姿は想像できなかったものの、過ちに対して厳しい罰を与えること自体は珍しくないのだ。
王子の判断は概ね公正で、ささやかな誤りなどは注意の一言で済んだし、下の者が無闇に責任を押しつけられるということもなかった。
だが、おかしな心得違いをし、媚びへつらって罰を軽くしてもらおうとする者は、逆に容赦なく罰された。ごまかそうとしたり隠そうとしたりしても必ず知られ、本来のものよりも大きな罪を課された。
よって彼らは正直に告白することを学んでおり、このときの使用人もそうだった。
罰は受けるだろう。しかし隠すよりも怖ろしいことにはならない。
顔面を蒼白にしながら使用人は報告を済ませたのだが、このときのロズウィンドは、一言の叱責さえ口にしなかった。
「あの……」
使用人は退室してよいのかまごまごした。ロズウィンドは優しい笑みを浮かべ、出てよいと告げた。深く礼をして慌てたように彼が出て行ったあと、ロズウィンドの耳に笑い声が届いた。
「ふふ、焦らないの?」
「何に焦る?」
ロズウィンドは肩をすくめ、悪魔に尋ね返した。
「どんな形であれ、神子が逃げ出すのは想定内だ。私の忠告を無視してラスピーシュが行うかと思っていたが、それよりも早く動いた者がいたというだけ」
「へえ?」
「シレキという男も同様。やはりラスピーシュが、神子の傍らにつけるつもりで解放するだろうと考えていた。その予測は外れたが、問題はない」
「かまわないと言うんだね?」
「負け惜しみと思うかな?」
「いいや」
すうっと姿を現したニイロドスは、ロズウィンドの前にある大きな書卓に腰を下ろして、斜め方向から彼を少しのぞき込むようにしていた。
「誰がやったかも判っている?」
「カーセスタの助手だな。正直、これは意外だった。だが調べは済んでいる。ディナズがこちらの手の内にある以上、脅しをかけることも容易だ」
「それはカーセスタに対して? あの青年に対して?」
「両方だ」
ロズウィンドは簡単に答えた。
「だが、あのライノンという男が何者であるのかはいまひとつ掴めない」
そこで彼は柔和な――そう見える――顔をしかめた。
「あの爆発は何だ?」
彼は問うともなしに呟いた。
「火薬の類は一切見つかっていない。かと言って魔術でもない。どうやって、まるで砲撃でもしたかのように館の壁を壊した?」
「へえ」
ニイロドスはまた言った。
「そう。そんなことがあったの。面白いことをする奴もいるもんだ」
その言葉にロズウィンドは片眉を上げた。
「貴殿には判るのか?」
「答えがほしい?」
「何かと引き替えというのなら、考えなくてはならないが」
とん、とロズウィンドは卓を叩いた。
「無償で僕に何かを頼むというのは図々しいんじゃないかな」
「もとより、先の契約もまだ互いに果たされていないのだし、な」
王子は口の端を上げた。
「それにしても、悪魔というものは、もっとお膳立てをしてくれるものかと思っていた」
「してあげる場合もあるよ。状況と相手次第だね。リヤンにはいろいろと教えてあげた。ああいうのをお望みかな?」
「出鱈目を信じ込まされるのはご免だな」
まずロズウィンドはそう答えた。
「神子を従えれば湖神を思いのままに操ることができるなどという下らない話をどうして大魔術師となった男が信じたものか」
神子は湖神とつながるが、神子から湖神に働きかけることはできない。声を伝えることはできる、と言おうか、それが神子の役目でもあるが、湖神は神子の言うことを聞く訳ではない。
もとより「八大神殿の各神殿長や祭司長が祈れば神が何でも願いを叶えてくれるか」と考えてみれば、どんなに馬鹿げた話かすぐに判るはずだ。
確かに湖神は八大神殿の言い方に倣えば「土地神」というところであり、神界神とは一線を画する。しかしそれでも、神だ。
「神を操れると考えたのは魔術師の傲慢か? いや、それよりも、全く知らない話を聞かされて何ひとつ調べもせずに信じ込む程度の知能で大魔術師となれるのか? 否だろう」
「そうだね。彼の目はだいぶ閉ざされていた」
にっこりと悪魔は、片手で自らの片目をふさいで見せた。
「自主的に目を閉じた訳でもあるまい」
ロズウィンドが肩をすくめればニイロドスは笑った。
「もちろん、君の望みは僕に道具として使われることじゃないよね。ではハサレックの話をしたいのかな? もっとも、彼にはもう与えてある。まずは生の延長を。それから奪いもした。何を奪ったか判るかい」
「躊躇を――か」
「当たりだ」
またしてもニイロドスは笑みを見せる。
「この辺りはヴィレドーンと一緒だね。ハサレックは自らの命のため、ヴィレドーンは故郷を守るためという違いはあったけれど、別にどっちが偉いということはない。どちらも『欲』だからね。言うなればヴィレドーンの方が多くを望んだのだから、欲が……業が深いとも言えるだろう」
「ヴィレドーンか」
ロズウィンドは両腕を組んだ。
「どうなっている?」
「まだ向こうだよ。『まだ』という言い方にはあまり意味がないんだけれど」
悪魔は髪をかき上げた。
「点同士がどんなふうにつながるかは、僕にも読めないんだ。僕自身がつなげるときは操れるけれども」
「時間と、空間か」
「あっは! よく勉強しているね。大魔術師殿並みだ!」
「道具並みとは」
王子は薄く笑った。悪魔は否定も肯定もしなかった。




