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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第3章

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01 重要でした

 果たして、サズロ・オードナーは最も厄介なときにラシアッド入りをしたとも言えた。

 ラシアッドはまだ友好の仮面を着けていたが、その裏にどんな顔があるかを知られても気にしなくなっている。

 シレキならともかくサレーヒを捕らえて閉じ込めるような真似こそしないが、それは「まだ」ということにすぎないかもしれない。

 もとよりサレーヒは、ライノンと、ジラングと名乗る一風変わった少女から話を聞いたあと、すぐに書を送った。魔術師協会を通じ、ナイリアン王城と、そして旅路にあるサズロ・オードナーへ。

 しかしその書は届かなかったということになる。

 少なくともサズロは受け取らないまま、スイリエへとたどり着いた。

 途上であれば引き返すことにどんな言い訳でもできるものを――と〈赤銅の騎士〉は口惜しく思った。こうして正式に城入りしてしまってからでは、余程巧くやらなくてはならない。

「ネレスト殿」

 薄い茶の髪をした三十代後半の男は、薄い唇をきゅっと結んで、知った顔に少しほっとした顔を見せた。

 サズロはあまりジョリスと顔立ちが似ていない。ジョリスはどちらかと言えば母親似であり、サズロは父親似だ。兄弟のどちらか片方、或いは両親でもよく知っていれば、成程、似ているところはあるようだとも思おうが、それでもどんなふうに似ているか考えなくてはならないくらいだ。

 レヴラールは「印象の薄い男」と断じたが、ジョリスに比すれば誰でもそうなるだろう。公正に見れば、サズロは好青年と言えるだけの人物だった。

 ただ、少々、気は弱い。

 突然の侯爵就任と思いがけぬ外交任務に戸惑い、どうして自分がこんなところにいるのかと困惑している様子は、サレーヒの半分も観察眼がなかったところで気づくだろう。

(前閣下もごり押しをしたものだ)

 騎士はそう思わずにはいられなかった。

 バリアスはジョリスの「死」や負傷をオードナー家の不名誉と取り、それを挽回すべくサズロを送った。自らが赴かなかったのは年を取って長旅がつらくなったということもあれば、ジョリスがどうあろうとオードナー家の次代は安泰だと見せたいということも。

 もとより、オードナー家の名誉を危ぶんでいるのはバリアスだけだ。

 いや、サレーヒにはそれも、「家を捨てた二男」に対して腹立ち紛れに考えていたことが凝り固まってできた観念に思える。

 ジョリスとバリアスの確執、或いはバリアスの一方的な怒りをある程度以上知るのはサレーヒと、あとはハサレックくらいであった。たまにだが、そのことについてかつての〈青銀の騎士〉と話したこともある。

 サレーヒもハサレックも、バリアスに正面から対峙しない方がよいとジョリスに忠告したのだが、人の意見に耳を傾ける〈白光の騎士〉も、このことだけは聞かなかった。そうと判ってからは、サレーヒは滅多に口を挟まなくなった。ハサレックがどうであったかは知らない。彼より年の近い親友同士であればもっと話もしたのかもしれないが、いまとなってはその仲が、おそらく互いにつらい記憶だろう。

「オードナー閣下、ご無事の到着、何よりです」

 さっと浮かんだ過去の記憶を追いやり、〈赤銅の騎士〉は敬礼をした。書が届いていないということは、先触れの使用人から聞いていた。果たしてどのように、サズロに告げるべきか。彼はまだ決めかねていた。

「あまり堅苦しい挨拶は、抜きに」

 新侯爵は少しおどおどした笑みを浮かべた。

「は」

「いつも弟が世話になっているな」

「とんでもない。それは我々の方で」

 追従でも何でもない。本当のことだ。

「ところで、ジョリスの容態は、どうなのだ。貴殿は聞いているか」

「は、その……」

 サレーヒが困惑したのも当然であろう。このような異国で、兄から弟のことを尋ねられるなど。

「ふ、貴殿の考えている通りだ。私がジョリスとまともに話をしなくなってもう何年も経つ」

「……お忙しかったのですね」

「はは、気遣わせてすまないな」

 サズロは手を振った。

「ジョリスの方が忙しかったろうさ! だが彼は定期的に生家を訪れることをやめなかったし、父や私とも話そうとした。父の態度は知っての通りだが、私も罵倒しないだけで似たようなもの」

 彼は手を振った。

「何を言った訳でもないが、何も言わなかった。父親に諫言することも、弟をかばうことも」

 沈黙は時に罪だと、サズロはそう呟いた。

「――死んだと聞かされたときには後悔ばかり浮かんだ。生きていたと知って安堵したが……『生きている内にこうするのだった』と痛いほど悔やんだことは、しかし何ひとつ実行できておらぬ」

 ああ、とサレーヒは思った。それほど、バリアス・オードナーという男は強いのだ。善し悪しではない。無論と言おうか、腕力や剣術のような意味でもない。

 強い。サズロとジョリスという兄弟にとって。

 ジョリスがどれだけ酷い言葉を投げつけられようとバリアスと相向かうのは、あれは彼の戦いなのだ。不意にサレーヒは腑に落ちた。

 一方で兄の方は、その戦いから逃亡した。これも善し悪しではないだろう。サレーヒらはジョリスにもそれを勧めたのだし、おそらく、溝は埋まらずとも深まることもなかったはずだ。

「私がナイリアンを出てきた時点でということになりますが、ジョリス殿は静養中でありました」

 サレーヒはサズロの愚痴めいた台詞を聞かなかったことにし、問われたことにだけ答えた。

「閣下」

 彼とジョリスの話ができるのは貴重だ。この機を逃せばもう起こらないかもしれない。しかしサレーヒに何が言えようか。オードナー兄弟の関係を改善する助言など、彼の立場ですることでもない。

 いや、時間や状況に余裕があれば、彼もこの話を続けたかった。立ち入るのは好まないが、友人とその兄の間にある――またはない(・・)――ものがどうにかできるならば喜ばしいことだ。

 だがいまこのとき、そしてこの場所――国ほど相応しくないところもない。

「私は閣下に書をお送りしました。魔術師協会を使えば移動中の人物にも届けることが可能であります故」

 よって彼は、いま現在重要な話をはじめた。

「書? いや、私は受け取っていないが」

「承知しております」

 あれだけはっきりとした警告を受け取っていながら素知らぬ顔でやってこられるほど、サズロは――よくも悪くも――図太くはないはずだ。

「どのような内容だったのだ? 重要なものか?」

「重要でした」

 騎士は正直に答えた。

「どのような……」

「閣下。体調はいかがでいらっしゃいますか?」

「何?」

 突然の思わぬ問いかけにサズロは目をぱちくりとさせた。

「お疲れでは」

「いささかな。しかし順調な旅程だった。ひと晩も休めば何も問題なく」

「ご病気で」

 サレーヒは声をひそめた。

「お帰りいただく訳には?」

「何を言っている?」

 新侯爵はきょとんとした。

「帰れるはずが、あるものか。私はナイリアンの代表として」

「ここは敵国です」

 小声のまま、しかしはっきりとサレーヒは言った。ますます、サズロはきょとんとする。

「宣戦布告のないまま、戦ははじまっています。それも目に見えない形で」

「何を……」

 サズロは戸惑いを隠せなかったが、馬鹿なことをと一笑に付す様子もなかった。

「こうして人払いをしておいても、どこに目や耳があるか判りません。私が気づいていることが知られているものかは判然としませんが、知らぬふりをしていて損はない」

 口元に手を当てながらサレーヒは素早く語った。

「どうか、閣下。代表の座は私に。閣下は急病を得たことにして、すぐさま帰国を」

「し、しかし」

 ごくりとサズロは生唾を飲み込んだ。

「仮に敵意を抱いていたところで、正式に招待した使節に何かするなど」

「正式とは言いがたいやもしれません」

 サレーヒは顔をしかめた。

「非公式に訪れていた第二王子の口約束です。招待状はありますが、それも第二王子のものだ。彼は公式なものと同等になると言ったようですが、本当にラシアッドから届いたのではない以上、あとで如何様(いかよう)にもできる」

 たとえば招待状は偽物であるだとか、確かにラスピーシュの手蹟だが脅されて書いたのだというようなことさえ。

「し、しかし」

 サズロは困惑しきりだった。

「貴殿が、名代と言うのは、その」

「確かに赤銅位では格が低いと思われても致し方ありません。だが現状、実質の第二位と言うことができます。カーセスタの識士も第二位がやってきている。取り繕うことは可能です」

 サレーヒは書に綴ったことを話した。

「私を閉じ込めるような様子はありません。しかしそれは企みあってのこととも」

「待て、待て。お前の言うことはさっぱり」

「コルシェントの裏で手を引いていたのがラシアッドと判ったのです」

 そして、とサレーヒは唇を噛んだ。

「ハサレックも」

「〈青銀〉の? あれは盗っ人に手を貸していたとか」

「それは」

 黒騎士の正体については公表を控えていた。

「……より非道な行為に荷担したことが判っています」

「そうであったか」

 疑ったり委細を尋ねたりはせず、サズロは痛ましげにうなずいた。


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