11 変じゃないか
マレサが困惑しきりだったのは、王女殿下が楽しげに、手をつないできたからだった。
手をつないで歩くなど、幼い頃――彼女の「中身」はまだ子供だったが、もっと幼い頃――母親に手を引かれて以来だ。
あとは兄に引っ張られるように手を取られたこともあったが、それは悪事が見つかったときに叱責を込めて家に連れ帰ろうとされたのであり、仲良く散歩などをした訳ではなかった。
恋人がいる年ではなかったし、友だちとだってそんなふうにするのは「子供っぽい」と思うような子供だった。それがウーリナ――いまは見た目こそ同じくらいだが、実際の年齢は「お姉さん」だ――ときたら、恥ずかしげもなくそうする。手を振り払うのが躊躇われたのはやはり、相手は王女殿下だという意識があったからだ。
「うふふ、私、こんなふうにしてみたかったんですの」
と、彼女はどうにも嬉しそうに言った。
「お友だちと手をつないで街を歩くなんて、とっても素敵じゃありませんこと?」
どうやらマレサとは正反対の考えのようだ。
「オレは、別に……」
王女様相手に多少は遠慮しても、媚びて同意するほどにはマレサも年を重ねていなかった。
「まあ。では、嫌かしら?」
心配そうにウーリナはマレサをのぞき込んだ。
「別に、嫌でたまらないってほどでも、ないかな」
ぼそぼそと答える。敬語が取れていたのは、もともと得手ではない上に、ウーリナがそうしてほしいと言い出したからだ。
「でもちょっと、歩きづらくねえ?」
「そうですわね、少しだけ」
王女はうなずいた。
「けれど、触れ合っていると安心できますわ」
「そんなもん?」
「ええ。ぬくもりが感じられますもの」
「へ? 今日なんか、あっついくらいじゃん?」
「まあ、マレサさんたら」
ウーリナは笑った。
「まあ」
「な、何がおかしいんだよ」
「寒くて寄り添い合うということももちろんありましょうけれど、それだけでもありませんのよ? ここが暖かくなるんですの」
王女は空いている手を胸に当てた。
「ふうん?」
マレサは気がなさそうに相槌を打った。
「そういうご経験はございませんか?」
「別に、ないけど」
「そうですか?」
ウーリナは首をかしげた。
「オルフィさんには、気を許していらしたように見えたのですけれど」
「なっ、何言っ……」
目を白黒させてから、マレサはどきっとした。
「なん……で」
「どうかされましたか?」
王女は首をかしげた。
「お姿が変わっていらしたのは驚きましたけれど、橋上市場やナイリアールでお会いしたマレサさんでしょう?」
「えっいや……その」
彼女は混乱した。あのとき名乗った記憶はなかったが、オルフィが呼んでいただろうか。そうだったところで、特に気にしなかった。だって、誰が思う? 同じ名前だったところで、十歳ほどの子供と二十歳近い娘が同一人物だなど。
「秘密でしたかしら」
困った顔でウーリナは問うた。
「誰にも言いませんわ」
「い、いや、別に……言われて困るこた、ないけど……」
家族に知られたら少々面倒だとは思うものの、ラシアッドには家族はもとより誰も知り合いがいないのだ。秘密にする相手がいない。
「ただ、何で……判ったんだよ。名前なんか、大して珍しいもんでもないし」
納得がいかない。そう思った。
「わたくしも、お目にかかった方をみな覚えていられるほど記憶力がよい訳ではございませんわ。ですが、マレサさんはとても印象的でいらっしゃいましたもの」
「オレが? いっ、いやだから、そうじゃなくてさ」
どう見たって外見が違うのに何故、と思うのは当然だ。だがその疑念はウーリナには伝わらなかった。彼女はただきょとんとマレサを見ている。
「……まあ、いいか」
不思議なところのある王女様だ、ということは何となく判っていた。どうしてかは判らないがウーリナは気づき、なおかつ何も不審に思っていないらしい、とマレサも解釈するしかなかった。
「あの、さ。姫さんなら知らない? あいつ、どうしてるか」
「オルフィさんのことですか?」
「そうだよ。その話だったろ」
そういう訳でもなかったが、マレサはそういうことにした。
「お茶のお約束をしたいと思っているのですけれど、連絡が取れませんわね」
「……連絡って」
「すれ違いってあるものですわね。何度も伺っているのですけれど、お留守で」
「……お留守って」
マレサはどう言ったらいいか戸惑った。
「もしかして、知らないのか?」
「何をですの?」
「だから、あいつ、どっか行っちゃったらしいって」
「どちらにいらしたんですか?」
「いや、だから、それが判らないんであって」
彼女の「正体」に驚きの鋭さを見せたくせに、何故ここで鈍いのかと思いながら少女はうなった。
「行方不明なんだよっ! ナイリアールから一緒にきたおっさんもそのことは知ってた。でもそのおっさんもどっか行っちまった。帰ったのかとも思ったけど、わざわざきてそんなの変だし、ハサレック様に訊いてみてもはっきりとは判んないし」
「まあ……」
ウーリナは目をぱちぱちとさせた。
「大丈夫ですわ。オルフィさんはお強いですから」
それからにっこりとする。マレサは首をかしげた。
「強い? あいつが? そりゃ、オレを捕まえたりはしたけど喧嘩なんかは得意じゃなさそうだぜ?」
「そういう強さではありません。何と言えばいいのか、私も迷うのですが……」
王女は少し眉をひそめた。
「命の強さ……大地にしっかりと根を下ろした樹木のような。日を浴びて、大きく広く枝葉を伸ばしている、そんな強さですわ」
「はあ」
「魔術師の方々であれば運命ですとか、そうしたことを言うのでしょうか」
「はあ」
どちらにしてもマレサにはぴんとこないことだった。
「そっか……でも、姫さんでも判んないのか」
「大丈夫だろう」というのはただの推測、それもマレサには何の根拠もなく思える。
「オルフィさんが心配なんですのね」
じっとウーリナは侍女を見た。
「ばっ、違えよ! あいつはオレたちの敵なんだ。敵の居場所はちゃんと判っておかなくちゃあれだろ!」
「敵ですって? 穏やかではないですわ」
ウーリナは驚いた顔をした。マレサはひらひらと片手を振る。
「喧嘩しようって訳じゃねえさ。ただあいつは、ハサレック様を悪い奴ってことにしてナイリアンから追い出した奴らの仲間だからな」
言うなれば「〈青銀の騎士〉の仇」というところだ。彼女にとっては。
「ハサレック様」
王女はにっこりとした。
「お見かけしましたわ。素敵なお方ですわね」
「だろ? だろっ? かっこいいよな! それに、気さくだし。ちょっと変なことも言うけど」
「変なこと、ですか?」
「い、いや、何でも」
ない、と彼女はぶんぶん首を振る。顔は少々赤くなっていた。
「ま、まあ、あいつの居場所、知らないなら、仕方ないけど」
もごもごとマレサは呟いた。
「何だか、変じゃないか、って気は……するんだよな」
しかし何が変であるのか、巧く言えない。片鱗や気配を指摘もできない。マレサが感じていたのは「何だかもやもやする」とでもしか言えないものだった。
理屈で「招いた他国の客人である人物が行方をくらませていることに対して、王城側、殊に招待主であるラスピーシュが何も手を打たないのはおかしい」であるとか、そうしたことを考えるのは――マレサには難しいが――可能であったろう。
しかしそうではない。それは「もやもや」の一角でしかない。
その原因をぴたりと当てられないのは、彼女が幼いせいでもない。彼女の何倍か生きたところで、感じ取った見えない影を表現する方法など覚えないものだ。




