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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第2章

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07 仕方ないだろうが

 一旦腰を下ろすと、動きたくないような気持ちになってしまう。

 確かに牢生活は健康的ではなかったし、与えられた食事もちっとも足りなかった上、短かったとは言え脱出行にはずいぶん神経を使って、すっかり疲れてしまったというのはある。

 しかし冗談にものんびりしていられない状況と場所だ。それはよく判っている。それでも疲労は無視できない。

 年は取りたくないもんだ、とシレキはうなった。

(疲れを感じなくする術なんざ、俺には無縁だと思ってたしな)

 彼の魔力でも習得できる術だったはずだが、生憎なことに、学ぼうとも思わなかった。一度覚えてさえいれば頑張って思い出せるかもしれないが、覚えていないことは思い出せない。当たり前だ。

(気配を消す術は何とか思い出せたが……効いてんのかね)

 いささか自信がないところが自分でも情けない。

 フィルンの安全を確かめるという彼の大きな動機も、体力を呼び戻してはくれない。困ったものだ。

「お」

 ふと視界の隅に何かが映り、彼は大柄な身を小さくするのと相手を確認するのとを同時に行うという至難の業をこなした。

(いやがったな、あの野郎っ)

 それは例の兵士だった。シレキは自分に可能な魔術を頭のなかでいくつか組み合わせ、フィルンを薄汚いなどと言った審美眼のない兵士をこらしめるべく――。

「なに、してんのよ」

 飛び出す前に、とめられた。

「出られたんならいつまでもこんなところでうろうろしてない! さっさと行くべきとこに行きなさいよね」

「……どこに」

 彼は視線を下方に落とした。

「いったい、私は行けばいいんでしょうかね、ジラングお嬢さん」

「呆れた。そんなことも判んないの?」

 黒猫は尻尾をびたんびたんと左右に打ち付けた。

「やっぱりおっさんになった。シレキなら、ぴんとくるはずなのに」

「仕方ないだろうが。人間は年を取る。二十年だぞ、二十年」

「あたしには一年だもん」

「それが判らんが」

 機会を見つけてライノンを問い詰めなくてはならない、とシレキは思っておいた。

「そんなことより!」

 シレキは拳をぎゅっと握った。

「フィルンはっ。無事かっ」

「無事よ。あたしがついていながら危ないことさせるはずないでしょ」

 さらりとジラングは「フィルン」について問い返すこともなく答えた。

「ついていながらが聞いて呆れる。十二分に危なかったぞ」

 じろりとシレキは睨む。と、睨み返された。

「あの子をなめんじゃないわよ? このスイリエを仕切る親分ガンドとスイリエの戦女神と言われるマーチェルの娘で、存分にその血を発揮してる将来超有望な子なんだからね」

「成程、大物という感じはあった。……即席の猫じゃらしにも食いついたが」

「その辺は、本能だもの」

 仕方ないわとジラングは耳をぴくんとさせた。

「……即席の?」

 じとん、と目線がきた。

「……落ち着いたらお前にも、また手の込んだのを作ってやる」

 片手を上げてシレキは誓った。

「竹串の先に毛糸玉つけたような、あれ?」

「もっといいやつだ。俺もいろいろ、研究したんだ」

「ふうん。じゃあ二十年の研究の成果は、楽しみにさせてもらうから」

「一年だろ?」

「ん?」

 シレキのとぼけた言い様に、ジラングは判らなくなったようだった。たとえ魔法に長けていてもこんな程度が効くのだから可愛いもんだ、とシレキはこっそり思った。

「まあ、無事ならよかった。だがいつの間にあんな技を?」

「技って?」

「フィルンほどの仔猫に無茶をやらせるような」

「別に魔法なんか使ってないし。話しただけよ。言ったでしょ、あの子超有望なの」

「自ら志願したとでも? だが子供じゃないか」

「人間で言ったら成人してるってくらいよ」

「多めに見積もってもせいぜい、十七、八ってとこだろう」

「成人じゃないの?」

「子供だ」

 シレキは顔をしかめ、黒猫は耳をぴくんとさせた。

「自分がそれくらいの頃、どんな無茶やってたか覚えてない訳?」

「む」

「子供扱いされて怒ったりしてなかったっけ?」

「むむ」

「おっさんになるとこれだからー」

「うるさい」

 反論できないところが忌々しい。

「弟を助けられたんだって。シレキに」

「あ?」

「言ってたよ。(ビルク)に狙われてたとこ追っ払ってくれたって」

「ああ、そう言えばそんなこともあったような」

 スイリエの街をうろついているときにそうしたこともあったかもしれない。特別なことをしたという意識がないため、よく覚えていなかった。

「あれがフィルンの弟だったと?」

「そうそう。だから借りを返したかったらしいわね」

「大した貸しじゃない。命がけで返してもらうもんじゃないのは間違いないし、だいたい」

 じろりとシレキはジラングを見た。

「お前にやれることだったろうに」

「あたしだって暇じゃないのよ」

 ふんと黒猫は鼻を鳴らした。

「まあ、あの子が無事ならいい。もう安全なところにいるのか?」

「街に戻るよう、言っといたわ。そういう意味なら、だけど」

 野良猫に「安全な場所」などそうそうない、ということだろう。シレキは肩をすくめるにとどめておいた。

「で? 俺が行くべき場所ってのはどこなんだ」

「あたしが言うの?」

「俺には心当たりがなくて、お前にはありそうなんだから、言ってくれたらいいだろう」

「判るでしょ」

「判らんと」

「鈍くなったなあ。前はこう、ぴんときてたじゃない?」

「うるさい」

 若い頃のことをああだこうだと言われるのは面倒臭いものだ。まるで古女房の愚痴のよう。結婚していないにもかかわらず、シレキはそんなふうに考えた。

「俺が知ってる情報で判るってのか?」

 ジラングの言うのはそういうことだろうと思えた。いくらか突拍子もないところのある猫だが――猫とはそんな生き物だ――ないものをあるとは言わない。

「ううむ。俺のやっておかなきゃならんこととしては、サレーヒ様との連絡を取ることと」

 これは少々難しいと思っている。

「あ、それはもう済んだから」

「……あ?」

「済んだ。サレーヒはシレキの状況、判ってるよ」

「お、お前、まさか」

 シレキは顔を引きつらせた。

「ナイリアンの騎士様に、だなあ」

「何よー、騎士なんて言ったって別にシレキより品や頭や顔がいいだけで、おっさんじゃん」

「……オルフィの前では言うなよ」

 シレキはもともと、「騎士様」をそれほど()尊敬しているということはなかった。ごく一般的な敬意はあったがそれくらいだ。ただ実際に会って言葉を交わせば、成程、大人(たいじん)だと思うし、会わないよりもひいき目が増す。サレーヒに対して抱いているのはそんな感情だ。

 だがオルフィはそうもいくまい。ジョリスが別格とは言え、サレーヒにも充分すぎるほど敬意を払っていた――王子よりも――と思う。

「まあ、騎士様に敬意を払えとお前に言っても無駄だが、どういうことだ? お会いしたのか?」

「うん」

 さらりとジラングは答える。

「あ、オルフィって誰だっけ?」

「あん?」

「リチェリンが言ってた」

「……お前、ちょっと待て」

「何よ?」

「サレーヒ様に、リチェリン? 何でお前が」

「その方がよかったでしょ? 提案はライノンだけど、シレキの役にも立つって思ったからあたし、いろいろ働いてあげたんだよ?」

 黒猫は自慢気にひげをぴくりとさせる。

「リチェリンももう、逃げられたからね」

「逃げられた? 何?」

 シレキは額に手を当てた。

「……ライノン、ライノンか」

 顔をしかめて呟く。

「本当に何者なんだ、あいつは」

 ジラングの言う通り、サレーヒにシレキの現状を伝え、リチェリンの逃亡をも手助けたと言うのなら、有難い話だ。だが味方かどうか判らないというのは変わらない。

 当座、味方らしきもの――敵の敵、くらいではあるかもしれない――だと見てもよさそうだが、いざというときに足元をすくわれても困る。

「だからー、オルフィって誰よ。あたし知らない」

「ん、帰ってきたら会わせてやるよ」

 どこに行ったんだか、とシレキはひとりごちた。

「あー」

 ジラングがぱたんと尻尾をひと振りした。

「ライノンの言ってた、籠手の人のこと?」

「……お前、いや……」

 ライノンは籠手のことまで知っているのか。シレキは顔をしかめた。

「そんなに疑わしそうな顔しなくていいよ。ライノンが知ってるのは仕方ないんだから。あの人ね。んーと」

 ジラングは何か言おうとしたが、巧く言葉にならないように眉間にしわを寄せた。

「こういうこと」

 とん、と彼女は黒い額をシレキの足にくっつける。

「お」

 シレキは軽く目を見開いて、それから閉じた。

 「それ」は言葉にならないもの。かと言って映像というのでもない。心象。形にすらならないもの。

「……ううむ」

 再び目を開けると、彼は顔をしかめて両腕を組んだ。

「判らん」

「何よぉ」

 不満そうな声。

「頭、悪くなった。シレキ、絶対」

「あのな。そういう問題じゃない」

 彼は首を振った。

これは(・・・)俺には理(・・・・)解できない(・・・・・)。知識のあるなしじゃない。……ラバンネル術師なら、或いは何か掴み取るのかもしれんが」

「ラバンネルにできてシレキにできないなら、やっぱり知識のあるなしなんじゃなの」

 辛辣な台詞がきた。

「違うんだよ。こういうのは生まれ持ったもんでな。たとえばお前にできてフィルンにできんことというのは、フィルンの知識に関係ない場合もあるだろ?」

「それって種族が違うんだもの、あたしとフィルンのどっちがどうって言うんじゃないし。でもシレキとラバンネルは同じ人間じゃないの?」

「まあ、たぶん」

 同じ人間だろうと彼は呟いた。

「だが、こうなると」

 彼はうなった。

「――ライノンは、判らなくなってきたな」

「人間だよ?」

 ジラングは言った。

「ただ、『おんなじ』かどうかは知らない」

「俺もそういうことを言ってるんだ」

 気軽に、或いはそれを装ってシレキは肩をすくめた。

「俺がどこに行くべきか……少しばかり、見えてはきたが」

 彼は両腕を組むと、西の方をちらりと眺めやった。

「問題は、ここからどうやって見咎められずに出るか、だな」


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