05 重要なのは
魔術師と神官がひとつ部屋で密談をしていると聞いたなら、不審を覚える者もいれば、何の冗談だと笑い飛ばす者もいれば、真剣に興味を覚える者もいるだろう。
しかもその片方はナイリアンの祭司長で、もうひとりは魔術師協会の導師だということになれば、ますます興味を引くことは必至だ。
もちろん彼らが内密で話をするとなれば場はそれぞれの術で厳重に守られ、どんな覗き屋も盗み聞きなどはできなかろうが。
「よろしいんじゃないですか」
女導師は気軽に言った。
「〈噂好きは人の性〉と申します通り。権力や、仮にラルをもってしても、全ての者に口をつぐませることはできません。それを魔術なしで防ごうとしますと非常に不穏当な手段しか残されていないと思いますので」
よろしいんじゃないですかとサクレンはまた言った。
「導師」
キンロップは少し驚いた顔を見せた。
「何でしょう? 私は、そのご依頼を承りますと言っただけですわよ?」
サクレンは片眉を上げた。
「……いや。受けてもらえるのであれば、助かる。世辞にも『善きこと』とは言えぬが」
「仕方ありませんわ。衝撃的な光景を見て誰にも言わずにいるなんて……ひとりふたりはそうした人徳者や、ひたすら内に抱え込んでしまう者もいるかもしれませんけれど、レスダール様のご遺体を目にしたのはひとりふたりでもありませんでしょう」
彼女は手を振った。
「一応、申し上げておきますけれど。神職にある方が暗殺者の真似事をしようとしてもぼろが出ますわよ。それよりは魔術でごまかしてしまう方が絶対にいいです」
「む……」
「失礼を。『判っているのだ』とほのめかさずにいられないのが魔術師の性でもある、という辺りでお許しいただければ幸いですわ」
導師は肩をすくめ、祭司長は返答に困った。
「汚れ仕事、などとは言いませんけれど、その手のことはわたくしにお任せ下さい。協会の決定であるというのみならず、私は個人的に、この件に協力したいんですの」
「それは、カナトという少年のためか」
「ええ」
サクレンはうなずいた。
「あの子は、とても有望な少年でした。失ってしまったことは協会だけではない、ナイリアンの損失です」
「ナイリアンと仰るか」
「それでも狭い括りだと思っております」
息を吐いてサクレンはうつむいた。
「ですが繰り言はよしましょう。いまはまだそのときではありません」
「申し上げているように、貴殿に主にお願いしたいのはレヴラール殿下の護衛だ」
「ジョリス様、グード殿、王陛下。狙われたのは全て王子殿下に近い方々でしたわね」
「そうだ。そのことを危惧している」
重々しくキンロップはうなずいた。
「となると、祭司長もご注意なさった方がよさそうですけれど」
「私は、自分の身は守れる」
「そう仰る方が危ういんですよ」
導師は指摘した。
「ですがここは神のお力を信じましょう。殿下からはジョリス様の見張りも命じられておりますので、正直、手いっぱいですから」
「ふっ」
思わずキンロップは笑いを洩らした。
「魔術師殿から、神の力を信じると聞くとはな」
「何も魔術師だからって、みながみな神を完全に否定している訳ではありません。メジーディスを信仰している者もおりますし。私の場合、口にする、しないは臨機応変ですわね」
それが魔術師の答えだった。
「ともあれ、気にかかることは山積みですわね。悪魔にラシアッド、ハサレック・ディア、それから白い影」
「根元はひとつであろうが、対処が必要なものとしては仰る通りだ」
祭司長はまたうなずき、それから首を振った。
「もうひとつ」
「何です?」
「エクール湖。エク=ヴー。〈はじまりの民〉のことだ」
「そうでしたわね。根元はそこですわ」
ジョリスが彼らに伝えた。ラシアッドの自称する「正義」のこと。
「ミュロン殿からお話を聞こうと思います。彼も、ああして田舎に引きこもってはいますけれど知識人ですから、私たちとは異なる視点で見ているものもあるかと」
「少ししか話ができていないが、見識の深そうな方であったな。彼はいま?」
「村の方も気にかかるということでお戻りです。彼は村長ではありませんが、頼りにされていますから」
「そうか。では意見番にと頼んでも無駄そうだな」
「そのようなことを?」
サクレンは驚いた顔を見せた。
「私の言うのは、この度のことに限らない。レヴラール殿下には利害や私情なく忠言を述べられる人物が必要なのだ」
彼は息を吐いた。
「私は祭司長である以上、どうしても公正とはいかない。私自身がそのつもりであろうと、誰もが私の背後に八大神殿を見るからな」
「それは致し方のないことですわね」
導師も同様だとサクレンは肩をすくめた。
「でも、そうですか。ミュロン殿……」
考えるように彼女は唇の辺りを撫でた。
「お話は、してみましょう。彼もこの事態は憂えているでしょうから」
「そうか。助かる」
キンロップは感謝の仕草をした。
「無理にとは言わん。協会に協力してもらえるなら、月に何日だけというような形でもかまわないと伝えてくれ。無論、協会には報酬を支払う」
「確かに、移動が問題ですからね」
サクレンはそうとだけ答えた。それ以上の返答は彼女の権限ではできないということだろう。
「では本題に入ろう」
キンロップは咳払いをした。
「まずは白い影についてだが、これは我らの領分のようだ」
「と仰いますと、霊体の一種……」
「お気づきであったか」
顔をしかめつつ祭司長は認めた。
「左様。神殿に話が持ち込まれる『幽霊』の類は通常、『個体』だ。身内や友人知人の霊を慰めてほしいというのがほとんどだな。稀には、何者か判らないが呪われたなどということも」
「あの日の影は私も見ました。数が多すぎましたね」
「その通り。幸か不幸か私は見ていないが」
キンロップはあの日の苦い思いを振り払うように首を振った。
「信頼できる者から話を聞いている。あれらにはほとんど意思がなかったと。個人の霊体とするには薄すぎた、と」
「成程、判るようですわ」
サクレンはうなずいた。
「意思が薄すぎて、個体としての特定が不可能。それでもあれはヒトである……ヒトであったものである、というのが神殿の見解ですのね」
「死んだ際、ラファランの導きを断る者もいるというのは、神殿としてはあまり吹聴できぬことだ。導かれ、ラ・ムールへ行ってこそ、次の生に向かえるのだからな。しかし自らの死を認められない者は多い。ラファランの正しき導きから逃げ、やがてただやせ細って消えていくだけの存在……それほどいるとは、思わなんだが」
「『薄れる』のにどれだけ時間がかかるか、判らないのでしょう? 何百年、何千年も前からの分があるとすれば、驚くほどでもありませんわよ」
さらりと言うのは魔術師の感性ゆえか、はたまた魔術師なりに神官を気遣ったものか。
「あれらを祓うとなれば、かなり困難だ」
告解でもするように、キンロップは両手を組み合わせてうつむいた。
「もとより……何も悪事を働いている訳ではない。ただそこにいるだけだ。見えなかったものが見えるようになっただけのこと」
「神殿の『祓うべき』対象ではないということですわね」
「王陛下の件も含め、死んだ魔術師の呪いだというけしからん噂もある。あれらの影は悪いものではないと公式に声明を出したところで、悪い話は払拭できんだろう」
「それに、もし」
サクレンは懸念を顔に浮かべた。
「こうしたことを口にするのはあまりよくないのですが」
厄除けの印を切りながら続ける。
「――もし、再び生じれば」
ハサレックが二度目をほのめかしたことは彼らにも伝わっていた。
「二度目の体験者はいくらか落ち着いて対処できるやもしれんが、噂によって悪い想像を膨らませていれば、ますます怖れることも」
「初めてならばなおさらですわね。何かしらの声明は出しておくのが無難じゃありませんかしら」
「だが」
キンロップは躊躇った。
「害のないものだとしたところで、助けを求める声はなくならないであろう。邪悪ではない存在を力ずくで浄霊するのは教義に背く」
「浄霊というのは、さまよえる魂を冥界に送るものではない、と?」
「……浄霊を必要とするのは邪なものだ。しかしラファランの導きを再度受けることは叶わぬ。かと言って獄界送りになどできぬ。手段もないが、それもまた教義上、有り得ぬこと」
「成程」
サクレンは小さくうなずいた。
「判りました。仰らなくて結構です」
「有難い」
祭司長は息を吐いた。
「しかし、これだけは敢えて申し上げますわ」
魔術師は咳払いをした。
「神殿としての立場と誇りは理解しますが、重要なのはいま生きている者たちではないですか?」
「む……」
「差し出がましいこととは存じますけれど」
「いや、貴殿の仰る通りだ」
彼は渋面を作った。




