03 終わりではない
「アバスターだと」
ハサレックはぽかんとした。
「そうか、やはり伝説の英雄殿は生きてるのか。お前、ラバンネルに助けられたときに会って」
「いや、そうではない」
ジョリスは首を振った。
「彼の生死は判らない。私は尋ねず、術師も語らなかった」
「……なら、いつ」
「ずっと昔のことだ」
思い出すようにジョリスは目を閉じた。
「愚かな子供の命を救った人物がいた」
「まさか、その子供ってのはお前かのことか? お前がアバスターに助けられたと?」
「ああ」
目を開けてジョリスはうなずいた。
「キエヴの里の近くにある、沼地でな。友とふたり、魔物に襲われた。そこに彼が現れた」
「聞いたことがなかったな」
「話したことはなかった。誰にも」
彼は返した。
「幼かった私にとって、それは神の降臨のように奇跡的であった。むやみに口にしてはならないことだと感じた、その感覚をずっと持ち続けていた」
「それを何故、いま」
戸惑うようにハサレックは問いかけた。
「ふと、話したくなった。それだけだ」
金髪の騎士は静かに答えた。
「私の、宝物のような思い出だ。彼に会わなければ私は騎士になることを考えなかっただろう」
「は……」
ハサレックは何を言っていいか判らないかのようだった。
「意外だな、全く、意外だ。そりゃお前にだって子供時代はあったんだし、誰もが通るようにアバスターに憧れたこともあったろうが」
実際に会って、大きく影響を受けたのだと。その告白はハサレックを呆然とさせた。
「彼がいなかったらと思えばぞっとする。私も友も森の奥で死んだであろうから」
「成程な。さすがアバスターは、未来の〈白光の騎士〉を救い、表舞台から引っ込んでもナイリアンを守ると」
はは、とハサレックは気圧されかけたのを隠すかのように笑った。
「どんなすごい話か判ってるか? それともやっぱり自覚がないか」
「人と人との邂逅が互いの道行きに影響を与える。それは何も珍しい話ではあるまいに」
「そうだな、誰だって互いに影響を与えながら生きているさ。ただその辺の街びととお前は同じじゃない。俺もな」
「私は」
「きれいごとはなしだ、ジョリス。お前や俺の運命はその辺の人間と違う。『価値が違う』なんて言えばお前の気に入らないことは判ってるから、こう言おう。騎士の定めはただの街びととは違う。これは否定できまい?」
にやりと笑ってハサレックは指摘した。
「それにしてもアバスターか。お前もまた……」
ふっとその顔から笑みが消える。
「継承者のひとり、ということか」
「何だと?」
「いや、ふとそんなことを思ったんだ」
ハサレックは手を振った。
「まあ、いい。そうだな、珍しい話を聞かせてもらった礼をしないとな」
肩をすくめて彼は言った。
「『企み』のことを少し話してやろうか」
「何だと?」
「聞きたいんだろう?」
「無論だ」
そうは答えたもののジョリスは戸惑いを隠せなかった。何であれハサレックが情報を洩らすことがあるとは正直、考えていなかったからだ。
「お前は、見ていないだろうな……街に現れた『白い影』を」
その言葉にジョリスの表情は厳しくなった。
「ああ、見ていない。だがその調査はしている」
「へえ、成程、さすがだな。一度大騒ぎになったもののすぐに消えたっていうんで、たいていの人間はあれを最新の怪談話みたいに扱ってるだろうが」
彼は肩をすくめた。
「あれで終わりじゃない」
ハサレックはそこで一旦言葉を切ったが、ジョリスは口を挟まず黙っていた。
「影の発生と国王の死、同時に発生したそれら結びつけるなというのが無理な話だ。既に様々な噂が出ているんじゃないかと思うが、どうだ」
「……そうだな。死んだ魔術師の呪いであるという声も、見られる」
「はは、そりゃいい。コルシェントの呪いか」
気軽に彼は笑った。
「――ラスピーシュ王子は、隣に彼を従えていた。死んだはずの男を」
「へえ? そんな手品をしてたとは知らなかったな」
「手品だと? 目眩ましだと言うのか」
「さあ、正直、判らん。俺は殿下方の計画や考えを逐一聞いてる訳じゃない。その辺はナイリアンの騎士をやってた頃と同じさ」
「だが、死者が蘇るなどとは」
「悪魔の業を見くびらんことだ、とだけは言っておく」
気軽に、或いはそれを装って、悪魔と契約した男は告げた。
「面白い話をしよう。悪魔ってのは、人の望みを叶える生き物だ。もちろんそれには供物が要るが、言われるもんを捧げれば叶えてくれるんだから七大神よりよっぽど働き者だと思うね」
「あまり『面白い話』とは思えんな」
ジョリスは首を振った。
「お前の捧げた供物とやらを思えば、当然だ」
「子供たちのことか。言い訳をしても意味はないが、楽しんでやった訳じゃないさ。ま、たとえ俺が悔やんで涙を流したところで子供たちは戻らんがね」
「魔術師が戻って、子供たちが戻らぬ理由は?」
騎士は問うた。かつての騎士は目をしばたたいた。
「何?」
「ただの疑問だ。悪魔の業で戻ってほしいとも思わぬが」
「俺は悪魔じゃないんで本当のところは判らんが、聞きかじりからの推測でもよければ話そうか?」
ハサレックは片眉を上げた。
「悪魔が力を発揮する際に必要なのは『欲』だ。人間の欲望。それも、あまり堂々と人前では言えない、『後ろ暗い』とされる傾向のもの。つまり、そうしたものをどろどろと抱えてる奴には悪魔も手を出しやすい」
もとより、と彼は続けた。
「悪魔の力で蘇るということ……それが真っ当じゃないことは、お前も察してるようだな」
「蘇ったのか。あの魔術師は、本当に」
「さあ、何をして蘇ったと言うのかによるんじゃないか。少なくとも『元通り』じゃないだろ。〈蘇り人〉と似たようなもんじゃないのか」
「動く死体と言うには、話をしていたようだ」
「俺は知らんと言っている通りさ、ジョリス。その代わり、少しだけ知っていることを少しだけ話してやると、そう言ってるんだ」
「白い影」
ジョリスは呟いた。
「終わりではない、とは?」
「一時的な目眩ましなんかじゃないってことだ。幻影同然で力はないが、あれは使える。判るだろう? もう半刻もあれが続いたら、街中が恐慌状態だった」
「街中を恐慌状態にして、どうするつもりだった」
「しなかった、と言っているだろうが」
「それができるという宣言は、やることを考えたと取れる」
冷静にジョリスは言った。
「成程ね」
知ったようにハサレックはうなずく。
「ラスピーシュ殿下が具体的に何を言ったかは知らない。だが俺と同じ提案はしたはずだ」
ハサレックは両手を腰に当てた。
「いかがかな、ジョリス・オードナー殿。正統な王家の血筋に仕え直すというのは」
「私は常々、『当たり前のこと』でも口に出して返答するべきだと考える。誤解があってはならないからな」
ジョリスは肩をすくめた。
「だがこればかりは、逆に答えを躊躇うほどに明快だ。ナイリアンの騎士がナイリアンを裏切ることはない」
気負う様子もなく、〈白光の騎士〉が言う様子はまるで「朝に目を覚まして夜に就寝する」というような一般的な生活習慣についてでも話しているかのようだった。
「では歴代『裏切りの騎士』ハサレック・ディア、ヴィレドーン・セスタスのことは」
面白がるようにハサレックは尋ねた。
「たかが三十年で二名。これは結構な比率ではないか、〈白光〉殿」
「その二者に同じ悪魔が関わるなら、原因は彼らではなく悪魔ということになろう」
「そそのかされて道を踏み外した罪は見逃してくれるのか?」
笑ってハサレックは言った。
「そそのかされて道を踏み外したと感じているなら、答えは他者から与えられずともよいのでは」
ただ静かにジョリスは答えた。
「言ってくれる」
裏切りの騎士は唇を歪めた。
「まあ、正義だったとは言わないさ。正統な王家でなくとも一度はナイリアン王家に仕えることを誓ったってのに、それを破ったんだからな」
だが、と彼は続けた。
「もし時が戻ってもう一度選択の岐路に立つことがあったとしても、俺は同じように悪魔の手を取るだろう」
「お前の選択に口出しはしない。……残念ではあるが」
「ははっ。だから俺もお前の選択に口を出すなということか」
台詞の後半を無視してハサレックは笑った。
「だが口出しではなく提案だと言っている通り。あの影たちを再度街に放ち、ナイリアールを混乱に落としておく、それが彼らの計画の一端だ。ナイリアンには自国の問題で手一杯になっていてほしいようでな」
「……ほう」
「しかしもしそれをとめたいなら、交渉次第ではとまるかもしれん」
思わせぶりな言葉にジョリスは黙った。
「ラシアッドが最も警戒しているのは〈白光の騎士〉……つまり、お前がこちらにつくと約束をすれば、ナイリアールに手を出す必要性は薄れる」
「――ふん、戯言はそこまでだ!」
そのときである。怒りをはらんだ声が路地裏に届いた。
「平和を盗んでおきながら、取り戻したければ買い取れと言う訳か。盗っ人の理屈だな」
「これは、これは」
ハサレックは両手を拡げた。ジョリスはさっと礼をした。
「レヴラール王子殿下……このような城下の場末においでとは」




