06 分不相応
「ということはつまり、昨夜の内ですね」
「あ」
「黒騎士に、会ったあと、ということに」
「……ああ」
こうなったらもう黙ってはいられない。オルフィは息を吐いた。
「実はな、カナト。俺、とんでもないことをしちまったんだ」
腹をくくって、彼は話すことにした。
「あいつがジョリス様から預かった荷を狙っているっていうのは、証拠はないけど確信してる。俺がほかに持ってる特別なものなんかないからだ。それで黒騎士がいなくなったあと俺は、いったいその荷っていうのは何なんだろうと思った」
はあ、とまたため息が出る。
「ジョリス様から、中身は詮索するなって言われてて……俺はその約束を破るつもりじゃなかったんだけど……いや、言い訳はやめる。俺はその約束を破っちまったんだ」
「中身を見たんですね。そして」
カナトは静かに続けた。
「その荷が、その左腕に巻かれた包帯と関係がある」
「ああ」
オルフィは前を向いたままでうなずいた。
「中身は、籠手だった」
「籠手」
「おかしな話だと思うだろうけど……これだって言い訳に聞こえるだろうけど、本当に、俺はそれを身につけようなんて思わなかったんだ。目を奪われて、とてつもない逸品だと感じたけど、俺は戦士じゃないし剣を振るったこともない。『籠手』ってものに興味なんて、なかった」
どう聞いても言い訳だな、と彼自身も話しながら感じていた。
「なのに、気がついたら、俺はそれを装着してた。着け方すらろくに知らないはずなのに。まるで熟練の戦士みたいに籠手を左手にはめて……」
きゅっと彼は左拳を握った。
「何て馬鹿なことをしてるんだと気づいて、慌てて外そうとしたときには、もうどうやっても」
「外れなかった、んですね」
「……ああ」
これでもかとばかりに深く息を吐く。
「信じられない阿呆だろ?〈白光の騎士〉様から預かった大事な荷物をこんなふうに」
「オルフィ」
声が近くなった。ぱっと振り向けば、カナトはオルフィのすぐ後ろにやってきていた。
「成程。判りました。あなたには後ろめたさがあったんですね。ジョリス様との約束を破ったという」
「そうだな。大いに」
オルフィは認めた。
「何て言ったらいいのか、まだ判らない。少なくとも、どんな罰を受けても仕方ないと思ってる。たとえ手討ちでも」
「ですが、ジョリス様だってオルフィに荷を預けたんですから、責任はあると思いますよ」
カナトは言った。
「中身がどういうものであるのか、ジョリス様はご存知だったと考えられます。装着を強く誘い、着けたら外れない、そんなものを通りすがりの民間人に託すなんて〈白光の騎士〉様らしくないですが……」
「ちょ、ちょっと待て」
オルフィは片手を上げた。
「何ですか? ジョリス様には責任がないとでも?」
「そりゃ、責任があるのは俺だよ」
「違いますよ」
「でもそうじゃなくて。いま君、何て言った」
「ですから、ジョリス様にも責任が」
「装着を誘う、って何だ?」
「ああ、それですか」
少年魔術師は目をぱちぱちとさせた。
「魔力を感じると言いましたでしょう。どういう形で顕現するものか、はっきりと把握できてはいませんけれど。まず、黒騎士の襲撃がなければ、オルフィは箱を開けてみようなんて思わなかったでしょう?」
「まあ、そりゃ、そうだろうな」
「そして目にした際の尋常ではない吸引力。オルフィは、身につけたことで呪いが発動したと考えているようですけど、そうではなく、見たことによって呪われたと考えるべきですね」
「見た、ことで?」
「ええ。オルフィ、あなたが思っているよりその籠手には力があります。僕が信頼できないのだとしても、いち早く大きな協会か神殿に行って対策を練った方がいいと」
「でも、ジョリス様に黙って行く訳にはいかないよ」
「それは仕方のないところでしょうね。ジョリス様なら外す方法をご存知だという可能性もありますし、たとえ神殿が相手でも表沙汰にしたくないことなのかもしれませんし」
「表沙汰にしたくない、だって?」
「そうでしょう? どうして〈白光の騎士〉様ともあろうお方がただひとりで、こう言っては何ですが、片田舎の神父に頼みごとを?」
謝罪の仕草をしながらカナトは言った。
「タルー神父に会いにきたのは人探しのためだと仰ってた」
オルフィは怒らなかった。タルーは立派な神父だが、首都にだって立派な神官は大勢いるという意味合いであることは判ったからだ。
「人探しですか。では少々、僕の考えは的外れですね」
「でも誰を探しているのかまでは訊かなかった。タルー神父でなければ判らないとお思いだったみたいだし」
「では……」
カナトは言いにくそうにした。オルフィはうなずいた。
「神父様は亡くなった。ジョリス様がカルセン村に行く理由はない。でも籠手のことがある」
ジョリスとしては、オルフィに会って籠手を回収しなければならないはずだ。
「とにかく、いまジョリス様がどうしていらっしゃるかですね」
カナトはまとめた。
「砦では、僕が尋ねてきましょうか」
「君が? でも、教えてもらえるかなあ」
自分は父が料理人をやっているので兵士たちと顔馴染みなのだ、ということをオルフィはざっと説明した。
「そうでしたか。ではやはりオルフィが尋ねてくるのがよさそうですね」
「問題はこの包帯だけどな」
「術を試してみましょう」
「試す?」
「はい」
少年魔術師は身を乗り出した。
「たぶん、包帯は取ってもらった方がいいと思います。籠手の魔力は強いので、僕が外せるようにするのは無理ですが、せめて一時的に見えなくするくらいならどうにか」
「そんなことができるのか」
「やったことはないですけど、たぶん」
「一時的っていうのは?」
「せいぜい、五分ですね」
「五分か」
その間にジョリスの動向を聞いて戻ってくる。少々厳しいが、何とかなるのではと思った。
「よし、じゃあお願いできるか」
「はい!」
カナトは嬉しそうに答えた。
「じゃあ取ってもらえますか」
「包帯か。……判った」
こくりとオルフィはうなずいた。手綱はどうせただ持っているだけで、クートントは勝手に歩いてくれるのだ。
右手で包帯を引っ張ると、緩みきったそれは簡単にほどけた。
「わあ……」
白が流れて青があらわになる。落ち着いたカナトですら、感嘆のような声を上げた。
「すごい、ですね……何と言うか……」
カナトは言葉を探した。
「怖い、感じがします」
「怖い?」
それはいささか意外な感想だった。
「変な言い方、でしょうか。でも何だか巧い表現が見つからなくて」
カナトは首を振った。
「いや、判る気がするよ」
オルフィは言った。
「見ているだけで、吸い込まれそうだ」
包帯で覆うことを思いつかなかったら、彼は馬鹿みたいに自分の左腕を眺めてばかりだったかもしれない。
「そういうのでも、ないです。何て言うのか……」
カナトは言葉を探すように視線をうろつかせたが、見つからなかったとばかりに首を振った。
「戦闘に使うものですから、実用性重視でいいはずです」
代わりに彼はそんなことを口にした。
「美しく、繊細に飾り立てることにはあまり意味がない。ですが」
「高価そうだよな。その、俗っぽい言い方だけど」
ぽろりと本音を洩らしてからオルフィは言い訳するようにつけ加えた。
「そうですね。王族や上級貴族が身につけるものだと言われても納得します」
実際に前線で戦うことがない、少なくとも基本的に想定されていない人物のための装備品のよう。カナトの言うのはそういうことだった。
「だよなあ」
オルフィは息を吐いた。
「あまりにも分不相応。包帯を巻いた方がまだ目立たないと思った」
「正解だと思います」
籠手に目を釘付けにしながらカナトは同意した。
「あっ、分不相応っていうことにじゃなくて、包帯の方が目立たないってことで」
「ありがとな」
苦笑しながらオルフィは礼を言った。
「でもまあ、単に、戦い手でもないんだから籠手なんて分不相応だって言ってるだけだから」
気にすんなよと彼は言った。そうでしたかとカナトは少し顔を赤らめた。
「カナトさあ」
「はい?」
「もうちょっと適当でいいよ」
「はい?」
「だから、他人に気を遣いすぎだってこと」
その言葉に少年は曖昧な返事をした。
たった十三歳なのに大人びて立派だ、とオルフィも最初は思ったが、何だか段々心配になってきたのだ。
(もっとも、爺さんに対する態度がカナトの気を許した結果だとすると)
(俺の方こそ、まだ気を許してもらえてないってことになるわな)
もちろん、会ったばかりだ。カナトの方ではどうしてか三年間、親愛を持ってオルフィのことを思い出していたようだが、それでも「気を許す」のとは違うだろう。
(爺さんに言うみたいにしてくれ、なんて言っても意味ないしなあ)
この少年のことだ、「言われたからにはそうするべきだ」とでも考えて態度を切り替えようとするのではなかろうか。それは気を許したということにはならない。
(心のなかじゃ「オルフィ」に「さん」がついてる感じだし)
(ま、徐々に慣れるだろうけどな)
もっとも、どれくらい一緒にいればこの固そうな少年が「慣れる」ものか、オルフィにはちょっと見当がつかなかった。




