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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第2章

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01 穴だらけの事態

 牢と言うのは罪人を閉じ込めておく場所のはずで、そんなところであれば当然、厳重に見張りが置かれているはずだ。城の地下牢ともなれば相手は重罪人で、鍵をかけられた扉が何枚も続くなど、仕事で出入りする兵士たちでも面倒臭く思うようなややこしい仕組みが作られているはずだ。

 兵士の落とした鍵を利用して鉄格子の外へ脱出したところで、簡単に本当の外に出られるはずはない。シレキはそう思っていた。とりあえずは様子を見て、何人の兵が詰めているか、どの程度の警戒をしているか、外への鍵は誰がどのように管理しているか等々、とにかく偵察するつもりでいた。

 場合によっては、一旦牢に戻ることも考える。先ほどの兵士だって、鍵束を落としたことにすぐ気づくだろうが、必要な一本だけかすめておいて、牢までの途上に残しておけばいいだろうと、そんな大雑把な計画を立てていた。それだっていずれ気づかれるだろうが、少しは時間が稼げるのではないかと。

 しかし、その穴だらけの計画は、もっと穴だらけの事態を前に霧散することとなる。

「……は?」

 ぽかんと彼は口を開けた。

 そこは確かに兵士たちの詰め所と見える部屋だった。

 何の飾り気もない狭い部屋。巡回表と見える紙が壁に張り出され、おそらくは今日の朝の分くらいまでしるしがつけられている。折りたたみ式の椅子が三脚ほど乱雑に置かれており、卓の上には茶杯がふたつ。

 だが、誰もいない。

 茶杯の中身は飲みかけで、「たったいままでここでふたりが休んでいました」と言わんばかりだった。だが、いないのだ。

(牢の方には、いなかった)

 それは間違いない。単純に一本の通路しかなかったからだ。

(急の用事でもできたのか? それにしても)

 誰もいないどころではない。シレキは堂々と詰め所に入り込むと両手を腰に当てた。

「親切に、そっちの扉まで開けておいてくれるってのはどういう了見だ」

 反対側で開け放されている扉の向こうに階段が見える。上に続いているようだ。

 罠、というようなことも一(リア)だけ考えた。逃亡を図った凶悪犯を捕らえ直す過程で「うっかり」殺してしまうというような。

 だが可能性は低いと考え直した。何しろシレキは、ラシアッドの第一王子、実質的な最高権力者であるロズウィンド王子殿下が直々に「お捕らえになった」虜囚なのである。彼を殺したかったら王子は命令をひとつ発すればいいだけ。発表には出鱈目の理由を使う必要もあるかもしれないが、実行には理由などなくてもかまわないだろう。

(上で何か起きた、と見るべきか)

(一斉に兵士たちが出向かなくてはならないような、緊急事態が)

 それはそれで緊張感の走る想像だった。シレキは唇を結び、慎重に階段を上がっていった。

(……剣戟の音や悲鳴は特に聞こえてこない、か)

 兵士が必要になる事態と言っても、突然街のなかで戦がはじまったというようなことはないらしい。もとより、山賊の類が首都を襲撃してくるとは思えないし、仮にナイリアンがラシアッドの企みに気づいたところでいきなり攻め込んでくるというのも考えがたい。兵士の仕事、即ち戦と思いついたのは少々短絡的だったようだ。

(物騒なことじゃなさそうだ。単に慌てて出て行って閉め忘れただけか? いや、それじゃいくら何でも危機感がなさ過ぎる)

 まさかちょうどこのときに脱獄者が出るなどとは思いもよらないだろうが、それにしたってそこまで緊張感がないとも思えない。

(となると)

(すぐに戻ってくるつもり……)

 彼ははっとした。

 出入りに煩雑な手順が必要なのでは、と考えたのは彼自身だ。数分もかからずに戻ってくるつもりだったら、開け放しておいた方が楽だと考えるくらいには緊張感がないかもしれない。

 そして、そんなふうに簡単に済む用事とは。

(さっきの野郎! フィルンを捕まえたんじゃないだろうな!)

 仔猫はあれですばしっこくて、全力で逃げれば人間ごときに捕まったりはしないものだが、狭い場所で追い詰められたり、影に隠れたところを引っ張り出されたりすれば判らない。

(あの兵士、腹を立ててたからな)

(まさか)

 殺した仔猫を捨てに行くくらいのことであったら、何分もかかるまい。シレキはかっと頭に血が上るのを感じた。

(もしフィルンに酷いことをしていたら、俺がそれ以上のことをしてやるからな!)

 それは嫌な想像に過ぎないが、彼に分別をなくさせ、猛然と階段を上がっていかせた。

 続くふたつの扉も開け放したままであり、囚人は驚くほどあっさりとそこを抜けて、真昼の光の下にたどり着いた。

「おお、太陽神(リィキア)よ」

 シレキは天を仰いだ。

「もっと長らくあんたに会えんかと思ってた」

 目をしばたたいてその圧倒的な明るさに慣れようとする。

「さて、あの野郎はどこだ」

 と、考えるのは本来、いささか間違っているかもしれなかった。彼は兵士の目をかすめて脱獄したのであり、そこで兵士を探すというのはまた捕まえて牢に戻してくれと言うようなものだ。

 しかしフィルンのことが心配になってしまえば、自分のことなどどうでもよくなる。だいたい、ジラングの指示があったかは未確定ながら――十中八九、いや、それ以上、そうだと思っていたが――彼女は命がけでシレキを逃がしてくれたのだ。命の恩猫を放っておけるものではない。

(ここは王城の敷地内、ってとこか)

 辺りを見回して、彼はそう判断する。

(まあ、そうだろうな。町憲兵隊の留置所って感じじゃなかった)

 彼は留置所に放り込まれたことはなかったが、見たことはある。先ほどまでいた場所ほど寒々しくないものだ。

(となると、兵士に限らず、見られたらやばいな)

 自分の風貌を考えてみれば、それはもう不審者を絵に描いたようなものだろう。ただでさえ「清潔で人好きがする」とは言えないところに、何日も風呂に入っていなければひげも剃っていないときた。

(どうしたもんか)

 物陰を見つけて身を隠しながらシレキは考えた。

(まずはあの野郎がフィルンを苛めてないか確認して)

 それが最優先事項だった。

(そいでもって王城から脱走……いや、サレーヒ様と連絡をつける必要があるか)

 〈赤銅の騎士〉は彼の失踪をどう思っているだろう。まさかロズウィンドが説明したとも思えない。

(サレーヒ様に何かするってのは考えづらいし、無事だとは思うが)

 少なくとも牢には彼以外誰もいなかった。

(いや、それよりリチェリンと)

(オルフィ)

 行方不明が多すぎると彼は自分のことを棚に上げて額に手を当てた。

(いったいどこで、どうしていやがる)


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