10 精一杯の誠実
「あとは、そうだな。庭師のガーシュンのことは知っているだろう?」
「ど、どうだったかな」
「彼」は知らないが、「ここの」ヴィレドーンはどうだか。ファローが言うのだから知っているはずなのだろうが、きちんと記憶しているものかは判らない。
「ガーシュンが庭の手入れをしていたので手伝ったんだが」
「何だって?」
「どうかしたか」
「いや……」
(一応仮にもサンディット家のお坊ちゃんだろうに)
たとえ生家でもファロー自身が使用人に威張り散らすような真似をするとは思えないが、使用人の方で遠慮と言うか恐縮しそうなものだ。
「ああ、ガーシュンは庭師として長いんだ。彼にとっては、私は孫のようなものだよ」
幼い頃から手伝いをしたり、一緒に茶を飲んだりするのだと言う。
「前に話さなかったかな?」
「あ、ああ。そう言えば、聞いた、かな」
彼は曖昧に答えた。
(どんな話をしたんだろう)
(十八の俺は。こいつと)
ナイリアンの騎士を目指す、ふたりの若者。こういう言い方も何だが、ファローの方が明らかに「有利」だ。普通ならヴィレドーンの立場で騎士になるのはとても難しい。余程の努力と、運が必要だ。
「本当は内緒にと言われたんだが」
ファローは肩をすくめた。
「ガーシュンときたら、お前の分も木を植えたんだ」
「……木?」
「そうだ。確かに話したと思ったが――」
友人の表情が陰ったのに気づいて、彼は慌てた。
「あ、ああ、木ね。あの木」
とっさに覚えているふりをしたものの、あまり巧くはなかっただろう。
「そう。騎士を目指すと決めたときに、ガーシュンが植えてくれた木だ。願いが叶うようにと」
「あ……」
しまった、と彼は思った。
(俺が覚えていないと気づいたんだな)
(いや、俺は……「知らない」んだが)
知っているはずの「ここのヴィレドーン」の名誉を傷つけた。そう感じるとすまなく思ったが、自分にすまなく思うのもまた奇妙なことのような。
「同じ木をまた植えたそうだ。お前のために」
「あ……有難い、話だ」
礼を言いながらも、また、しまったと思う。この話を「ここのヴィレドーン」は知らぬまま、ということになるからだ。
「何、気にしなくていい」
ファローは手を振って、それから頬杖をついた。
「ところで」
じっと若者は彼を見た。
「――君は誰だ?」
ぎくり、とした。
まさか。
「な、何を……」
「ヴィレドーン・セスタス。そう見える。そっくりだ。だが同時に、私の知らない人物……そう感じられる」
「ファロー」
声がかすれた。
(どうする)
(「何を馬鹿な」と笑うか? だが)
(明日になって「ここのヴィレドーン」と話せば、疑いはどうせ確信に変わる)
(いや、それとももう)
確信している。このファローは。二十歳そこそこで、彼の知る〈白光の騎士〉ファローと同じような洞察力を持つ。もともとの資質であれば、さもあろう。
「何故」
彼は嘆息した。
「判った?」
ごまかすことはできない。彼は認めることを兼ねて問いかけた。
「今朝はまさか、疑わなかった。あとで会ったヴィレドーンが何も覚えていなくとも、珍しいが余程酷く寝呆けていたのだろうなと思った」
だが、とファローは首を振った。
「いまの君はとても、私の知るヴィレドーンとは思えない」
「そんなに、違うか」
ぽつりと彼は呟いた。
「いいや」
否定がやってきた。彼は目をしばたたく。
「よく似ているさ。外見はもちろん、口調やちょっとした仕草も」
「仕草」
それは本人には判りづらいことでもあった。
「ただ、ガーシュンの話はつい昨日、したばかりだ。それにあの池の主は、大人でも抱えられないような岩魚だというのがヴィレドーンの説。私が蛙を主だなどと言えば、きっと反論してくると思った」
試すようなことを言って悪かったが、とファローは少し申し訳なさそうに言った。
(池の、主)
(そんなことを話しては、笑っていたんだ)
「自分」が言いそうなことは判った。岩魚というのは見た訳ではない。おそらくそうしたものが相応しいと思って、想像で話したのだ。そこにファローが本物の主を見たなんて言ってきたらまずは冗談だと思って反論し、それから本気であることに気づいて目をしばたたき、見たいから明日絶対に行こうと言う。
容易に想像できた。体験していない自分の過去が。
そのことが酷く、胸に痛い。
自分なのだ。そして、自分ではない。
「それから、もうひとつ。ヴィレドーンなら覚えていないことは正直に言うだろう。そのことで気まずくなるとしても、嘘が知られたときの比ではないからだ」
「それは、同意する」
彼はうなずいた。
「ただ、言い訳させてくれ。俺が覚えていないなら謝るが、『ここのヴィレドーン』は覚えてるかもしれないだろ?……『もうひとりの俺』の名誉を俺が勝手に汚す訳にもいかないよなあ、と」
「もうひとり」
「信じがたいだろうと思うし、訳あって詳しくは話せない。でも俺もヴィレドーンなんだ」
「信じがたい」
ファローは答えた。
「よく似て見えるからこそ」
「違うのは、『オルフィ』分のせいかな」
「何?」
「いや」
その話をするつもりはなかった。ややこしいだけだ。
「……騙すつもりじゃなかった。俺だってヴィレドーンなんだ。だが俺は、まだこの年齢のときにはお前に会ってなくて……」
試みた正直な説明は、間違っていないのだが、何も知らぬ者には支離滅裂にしか聞こえまい。彼はうなった。
「お前を騙そうとなんてしてないし、もうひとりの俺をどうこうする気もない。それは信じてくれ」
「虚像で本体を乗っ取る〈鏡の妖怪〉ではないということか」
有名な語りものにたとえてファローは言った。
「確かに、少なくとも左手を主に使っているようだしな」
杯を弄ぶ彼の左手に視線が向けられた。
(観察されていたのか)
気づくと同時に、危ないところだったとも思った。ヴィレドーンは左利きだが、オルフィは主に右手を使うからだ。これは父――オルフィの父――に直されたためだった。
(いまは俺自身、オルフィ分が薄れてるってところか)
「オルフィであれ」と、カナトが、シレキが、ラバンネルが、アバスターが言った。しかしいまばかりは、ヴィレドーンでいい。ファローとは、オルフィは語らえない。
「……私の知るヴィレドーンとは違う。だが君も確かにヴィレドーンだという気がする」
不思議だ、とファローの呟きはまさしく彼もファローに対して感じていることであった。
「偽物とは思わない。夢とも」
「詳しい話はできない。でも俺は確かにヴィレドーンだ。そうじゃない時間も送ったが」
「そうじゃない時間?」
「悪い、余計なことを言った。とにかく俺は嘘をついちゃいないし騙すつもりもない。言えないことは言えないが、ごまかさずに『言えない』と告げようと思う」
それが彼の精一杯の誠実だった。




