08 複雑なんだよな
「ほう」
アバスターは片眉を上げた。
「お前さんの手に渡ったなら安心だ。生半可な人間じゃ、あいつの力に負けちまうからな」
「それは、ラバンネル術師のってことか」
「あん?」
「『あん?』って、彼の魔力の話だろう?」
「何で俺が籠手を身につけてて、あいつの魔力と戦わなくちゃならん」
「いや……外せなくなるとか……ないか。外してたもんな。だいたい、術師が一緒なんだから」
「外せなくなる? アレスディアを?」
アバスターはきょとんとした。
「どういう意味だ?」
「ど、どういう意味も、何も」
「俺以外が身につけると外れなくなるなんて仕掛けをしてたのかね? お前にゃやるつもりだったはずだし、あんまり意味がないような気もするが」
「いや、でも」
「おい!」
剣士は声を張り上げた。
「何ですか。集中させてくれると言ったくせに」
魔術師が不満そうに返す。
「お前、アレスディアに何か仕掛けたか?」
「はい?」
「身に着けたが最後、永遠に外れなくなるような悪質な呪いをかけたかと言ってるんだが」
「何の冗談です。どうして私がそんなことをしなくちゃならないんですか」
「……へ?」
「だが、こいつの話だと」
「話ですって?……まさかあなた、未来の話を聞き出したんですか?」
「大した話じゃない。お前の理屈を使うなら『俺じゃなくて籠手の話』だ」
さらりとアバスターは言い抜けた。
「えっ、ちょっと待ってくれよ。術師の魔力だってのは確定した話だったはず……」
オルフィは慌てた。
「ふうむ……可能性としては、そうですねえ」
魔術師は目を閉じた。
「私たちがきちんと未来、それぞれの現代に帰ることができて、その後に何か理由があって術を施すという可能性がひとつ。或いは、アレスディアには私たちの知らない力がまだ秘められていたという可能性」
「そいつは正直、考えづらいな」
アバスターは否定した。
「エルテミナの職人の手による品だってのは知ってるさ。あれだけ華美で、装飾用の繊細なものと思わせておきながら、その実ほかのどんな頑丈な逸品より強力だ」
「あなたが最終的に使用を決めたのは、実用性ですものね」
魔術師は少し笑った。
「俺が経験しなかった何らかの力を秘めてるという可能性は否定しない。ただ、外れなくなるなんて強制はらしくない」
「判るようです」
ラバンネルもうなずく。
「エルテミナは享楽の都……気まぐれなフォーリア・ルーの加護を受けた街です。むしろ勝手に外れるくらいの困った習性の方が有り得そうですね」
戦いの最中に籠手が外れてしまっては、確かに困る。それよりはましなのかどうか、オルフィは決めかねた。
「そのエルテミナって、伝承に言う〈幻の都〉?」
もっともこの名称も気にかかった。
「あんたたち、〈幻の都〉に行ったことがあるのか?」
〈幻の都〉エルテミナの伝承は、大陸全土で有名なものだ。遙か東に広がる無限砂漠に千年に一度だけ現れるという都の物語。
「いやいや、まさか」
アバスターは手を振った。
「その昔、エルテミナの職人と言ったらちょっとしたもんでな」
「相当のもの、ですよ」
訂正が入った。
「ご存知のように栄華を極めたエルテミナは、享楽と傲慢の内に沈んで半ば滅びてしまう訳ですが、そうなる前にはたくさんの素晴らしい品が彼の地で生み出されたと言います。生憎と残っているものは数少ないですが」
「その内のひとつがたまたま手に入ってね」
「へえ……でも」
彼はちらりとラバンネルを見た。
「術を施したのはあんたなんだろう?」
「ある程度の術はかけていますが。何十年も続くものじゃないですよ」
「それじゃ、やっぱり、これからかけるのかな。だってシレキのおっさんが」
「言わないで下さい」
魔術師は顔をしかめた。
「でも、その可能性が妥当でしょうね。どんな理由があって私がそうするのかは……まあ、楽しみにしておきますよ」
「何か、すんません」
ついオルフィは謝った。言ってはならないと言われていたのに、と思うと申し訳ない気持ちになったのだ。
「いえいえ、私の方こそすまないと思っています」
ラバンネルは首を振った。
「私に、私たちに訊きたいことは山ほどあるでしょうに、私のわがままのために我慢させてしまって」
「……あとで、お願いすることがあると思う」
ゆっくりとオルフィは言った。
「あと?」
「ああ。それぞれの『現在』に戻って、それで……改めて、再会したら」
「――はい」
ラバンネルは少し笑みを浮かべた。
「必ず、お話を伺うと約束します」
その返事に、オルフィもまた笑んだ。
「何だか、複雑なんだよな」
「はい?」
「いや、何でもないっす」
慌てて彼は手を振った。
「その、俺が知ってて、あんたに知らないことがあるってのが不思議って言うか」
「はは、ご謙遜を。それとも、買いかぶりですと言うべきかな。私だって何でも知っている訳ではないですよ」
「そんなふうには思ってないけど」
彼は曖昧な笑いを浮かべた。
「では……私たちはひと晩休んでから〈導きの丘〉に向かいますが」
こほん、とラバンネルは咳払いをした。
「戻る意思があるのなら、私たちときて下さい。できれば力ずくでも連れたいところですが、あなたが迷っている内は無意味かと思います。悪魔がまた同じことを試みるでしょうから」
「拒絶しても次の手を打ってくるだけかもしれん。何にせよ、人間の命だとか運命だとか、弄ぶのは奴の遊戯にすぎない。そんなもんに自分と、そして何をなげうっても死なせたくないほど大事に思う連中の全てを託せるかって話だ」
矛盾もあるがな、とつけ加えてアバスターは肩をすくめた。
(彼らの全てを……あいつに託せるか)
託せるはずがない。もしも彼らの道行きまで狂わされたなら。
(でもこのままじゃどんな道行きもない)
(俺は)
(どうすれば)
「だいぶ話し込みましたが、時間はまだ充分ありますね」
ラバンネルは言った。
「決意に必要なのでしたら、どこかに行くお手伝いもします」
「え?」
オルフィは少し驚いて聞き返した。
「ただし」
彼は指を一本立てた。
「『こちらのヴィレドーン君』のところだけは駄目です。会った途端にどちらかが死んでしまうという可能性は実際、ないと言えないので」
「怖いことを言うもんだ」
茶化すようにアバスターは軽く言った。ラバンネルはそれを少し睨んだ。
「冗談ごとではないんですよ。いささか冷酷な言い方になりますが、ふたりの内のどちらかが死ぬだけならまだましというものです。最悪の事態を想定するなら、世界の崩壊ということまで考えなくてはならない」
「崩壊? 世界の?」
アバスターですら目をぱちくりとさせた。
「そうです。出会うはずのない人物が出会う。起きるはずのないことが起きる。その結果として未来が変わる。――もう手遅れかもしれませんけれど」
ラバンネルが言うのは、既にオルフィまたはヴィレドーンがファローと会っていること、或いはアバスター、ラバンネルと会っていること。
「おそらく、この世界にはもう負荷がかかっています。しかしまだそれは小さなもの。私たちが気をつければ影響は少ないからです。ですが、ヴィレドーン君がこちらのヴィレドーン君と会うとなれば」
彼はそこで言葉を切り、ふたりを――主にアバスターを見た。
「大げさに言っているんじゃありませんからね」
そうつけ加えてラバンネルは咳払いし、オルフィに視線を戻した。
「こうなると、悪魔はあなたに違う道筋を敢えて見せたのだとも取れます。記憶にある過去と違うものを見せることによって、違う歴史だって作れるのだと信用させる」
「それじゃ俺たちも利用されたのかもしれんぞ」
アバスターが口を挟んだ。
「もともとの未来が存在することを知っている代表例として。或いは、お前さんを解説役として」
「悪魔の言葉より説得力や信頼性があるという訳ですね。有難いことです」
ラバンネルは息を吐いた。
「もっとも、この状況だって、ヴィレドーン君が『夢だ』と思わないとは言えません」
「そうは思えないよ、それに」
オルフィは首を振った。
「少なくとも『夢に違いないから試しに乗ってみよう』なんて馬鹿げた答えの出し方だけは、しない」
もしそんなことを疑われているなら、と彼が言えばラバンネルは謝罪の仕草をした。
「ともあれ」
こほん、とラバンネルは咳払いをした。
「朝までには、答えを」
どうか望ましいものを――というようなことを魔術師はもう言わなかった。
「……おい」
アバスターの声がした。オルフィは顔を上げた。
「ひとつだけ言っておく。いや、やめておけというような判りきった忠言じゃない」
彼は気軽そうに手を振った。
「お前のしたいようにすればいいさ。ただその結果、お前の大事な誰かたちが死なずに済んだとしても、その後お前は悪魔の手先になる。そうしたらそのとき、お前は俺の敵だからな。その覚悟はしておけよ」
淡々と、言葉は発せられた。オルフィは黙った。
世界の崩壊というような話はどうにもぴんとこない。だが彼らの心からの忠告はよく判る。
だが、判らない。
自分は何を選ぶのか。
『誰も』
『傷つかないよ』
繰り返し、悪魔の声は彼の耳に木霊していた。




