07 いったい何が違ったのか
「もっとも、考えること自体は悪くありません」
ラバンネルはじっとオルフィを見た。
「ただ、これは魔術の知識とは関係なく、経験則、一般論でもって言うのですが」
魔術師は咳払いをした。
「『自分はちゃんと考えている』『自分は大丈夫だ』と言う人ほど、危うかったりするものです」
と、その視線はオルフィのみならずアバスターにも向いた。
「俺もかよ」
「現状、あなたも私も悪魔の誘いをはねつけることができましたが、未来のことは判りません。いつだって気を引き締めておくことは大事です」
「はいよ、はいはい」
気楽な調子で返事をするアバスターをラバンネルは少し睨んだが、これもまた彼らのいつものやり取りといったところだろう。
「さて、状況はだいたい判ったな」
アバスターはぽんと膝を叩いた。
「ここまで話をして、ひとつ確認できたんじゃないかと思ってることがある。判るか?」
「……あいつが、口を挟んでこない」
オルフィは答えた。
「その通り」
アバスターはうなずいた。
「悪魔のあんちゃんは、言うなればヴィレドーン、お前さんに取り憑いてるようなもんだ。だがもしかしたら、隙はある」
「隙だって?」
「ああ。こうしているいまだって本当はみんな聞いてるのかもしれんが、そうじゃない可能性もあるってことさ。……もし奴に、ほかにも取り憑いてる相手がいるなら、ちょっとは忙しいかもしれん」
「相手は……いる」
オルフィは言った。
ハサレック・ディア。
「相手は時をも操る生き物である、ということをお忘れなく」
ラバンネルが片手を上げた。
「彼が『いま現在』どうしているか、なんて推測は無意味です。獄界の生き物については文献も少ないですが、私の知る限りでは、この時間軸に存在する『彼』は一体。未来からきたということはないと思います」
「え、ええと?」
オルフィは少々判らなくなった。いかにヴィレドーンの知識をもってしても、魔術の理や、ましてや悪魔の業についてはなかなか。
「あなたの『現在』は『過去』でもあるという矛盾をはらみます。私たちにとってはあなたの『過去』が『未来』でもある。ここまではいいですか?」
「まあ、どうにか」
「しかし悪魔は、未来に何があったかは知っている。未来の自分が何を望んであなたをここに連れたかも。と言うか、未来も過去もない。彼には全てが現在です」
「意味が、判らない」
正直にオルフィは言った。
「つまり、俺やお前がそうであるとたとえれば、ここにいながらにして自分の死ぬまでを詳しく知ってるってことか?」
考えながらアバスターが言った。
「そういう感じです」
ラバンネルはうなずいた。ついていっているアバスターにオルフィは感心してしまった。
「ぞっとしないな。未来が判るなんてのは」
「未来が判るというのとは違います。全てが現在なんですってば」
「そこはさすがにぴんとこないな」
アバスターはうなった。
「先に何が起こるのか、あいつは知ってるって言うのか」
「少し違います」
魔術師は首を振った。
「時間軸は無数にある。彼らはそれらを全て知り得ます。逆に言えば、この時間軸で何が起きるかまでは判らないと思います」
「ああ?」
「ありすぎるんですよ。『可能性』はね。どんなに僅少でも存在するというのはそういうことです」
「じゃあ」
オルフィもまた考えた。
「未来は、決まってなんかいないってことか。運命なんてものは、ないって」
「それは一概には言えません」
魔術師は首を振った。
「何故なら、ひとつの時間軸が取れる未来はひとつだからです。それを定まった運命と言うこともできる。同時に、どこに行くかは判らないから、全てに可能性があるとも言える」
「え、ええと」
「適当にしとけ」
アバスターの忠告が入った。
「その概念はどうにもややこしい。とにかく、俺の言ったことが的外れだったのは判った。あいつが『いま』どこに……どの時間軸のどの点にいるかってのは何の意味もない考察だってこと」
「私はいま、そう言ったんです」
「だから認めたろうが」
むすっとアバスターは言った。彼とて魔術の知識はオルフィ――ヴィレドーンと同じようなものであるはずだが、「ややこしい概念」を感性でぱっと理解したらしい。
(この辺り、やっぱりすごい人だな)
知らない理屈を理解することも。自分の誤りが判明すれば、言い訳もせず、すぐに撤回することも。
(強く在ろうとした俺たちが)
(俺が、ファローが、アバスターが)
(――ハサレックやジョリス様だって)
(探し求めたものは、全く同じではなかったとしても、きっと近かったはずだ)
困難な現実に行き会い、理想が揺らぐこともある。闇に覆われたような苦しみを経て、それでも苦しみながら道を進んだ彼らと、苦しまないで済む道を――悪魔の手を取ったヴィレドーンとハサレックと。
いったい何が違ったのかと、ふと考えることがある。
後悔はないと、ヴィレドーンはそう考え続けた。王をとめるには、それを守る親友をだって殺すしかなかったと。「ほかの道もあったかもしれない」などというのはあとになって思うことであり、あのときはそれしかなかったと。
だが、その道筋自体が悪魔の用意したものであったなら、悪魔に見込まれた時点で彼らの「運命は定まった」のか。
「なあ……術師」
オルフィはラバンネルを見た。
「あんたは、どう思うんだ? その、運命ってものについて」
「私の考えですか?」
ラバンネルは目をしばたたいた。
「お前さんはそんなに三日三晩、不眠不休で話を聞かされたいのか?」
アバスターはやはり呆れた。
「本気で討論しようとしたら三日三晩じゃ済みませんよ」
魔術師は鼻を鳴らした。
「ですから、これ以上なく簡潔に答えましょう。『判りません』と」
「それでいいのか」
ぷっとアバスターは笑った。
「仕方ないでしょう。だってこれは、先ほどの話にも通じます。悪魔が人の運命を弄んだとき、それは定まっていたのか、変えられたのか?」
「話を戻すな」
「戻すつもりじゃありませんよ、通じると言ったんです」
ラバンネルは首を振った。
「もっとも、迷い、悩んで、自分で決めたという意思さえあれば、定まっていようがどうであろうが、どうでもいいんじゃないですか」
投げやりにも聞ける台詞がきた。
「やむにやまれぬ事情で仕方なく望まぬ道を進んだということであったなら、それは運命のせいにするのもいいでしょう。それで気が軽くなるならね。人は正解を求めたがり、殊に魔術師は正解を決めたがる傾向がありますが、私が正解を決めるとしたら『高次のことはどうやっても人の身には理解不能である』ですよ」
さあ、とラバンネルは手を振った。
「私たちに可能な次元のことをしましょう。私たちが『戻る』のに利用できるのではないかと思っている場所があります」
ぱしんと彼は手を打ち合わせた。
「先ほどはシレキ君の話になってしまいましたが、〈導きの丘〉がそれです」
北の方角を指してラバンネルは言った。
「〈導きの丘〉という名前も伊達ではありません。八番目の神ともされる上位精霊〈導き手〉エイダの加護を受けた場所でしてね」
「そういうのは要らんと言ってるだろう」
しかめ面でアバスターが立ち上がった。
「『俺たちにできる次元』と言うが、ここはどうせ大導師様たるお前さんに頼るしかないんだ。余計なおしゃべりは控えて、精神でも集中させてろ」
「これはどうも」
ラバンネルは目を見開いた。
「では薪集めはお願いしますね」
「判った判った。手伝え、ヴィレドーン」
「あ、うん」
答えながらオルフィは、安心感のようなものを覚えていた。
異常な状況にいるのは彼らも同じであるのに、それを見せない。感じさせない。彼らといたならどんな状況も乗り切れると、そう思わせてくれる。
(これが英雄なのか)
そんなことも思う。
たとえ、実際には思うようにことが運ばなかったとしても。安心させてくれる。信じさせてくれる。これは天性の素質なのか、それとも彼らが育て上げてきたものであるのか。
「――籠手」
ふとオルフィは呟くように言った。
「あん?」
「アレスディア。あんたの籠手、の、片方」
「あれは王城に託した。術師殿が穢れた場を清めるだか何だかに都合がいいと言うし、それに」
剣士は肩をすくめた。
「お前の前でこう言うのも何だが、『アバスターがヴィレドーンを倒した』証拠になるからな。そういうことは、話したと思ったが」
「ああ、聞いた。俺が」
彼は少し迷った。これは「伝えてよいこと」なのだろうか。
「聞かせろよ」
アバスターは声を潜めた。
「あいつには内緒にしておくから」
そして片目をつむる。オルフィは苦笑した。
「左の籠手は、いろいろあって、俺が持つことになったんだ」
これくらいならばいいだろうか、とオルフィは話した。




