05 力になれることがあったら
「それで、しばらく導師の世話になっていたんですが」
カナトは話を戻すように言った。
「お師匠のところにきたのは、オルフィが形見の品を届けてくれた数月前になります。お師匠は弟子を取るつもりなんかはなくて、使用人のようなお手伝いのような人物を探していたらしいんですが、導師と話す内に弟子にしてくれることになりまして」
「でも、使用人のようなお手伝いのようなこともやってんじゃないの?」
食事の支度の話を思い出してオルフィが言えば、カナトは笑った。
「そういうことは、弟子でもやりますよう」
「そんなもん?」
「もちろん関係性にもよりますし、雇われ仕事としてやるか、教わっているお礼としてやるか、そうした違いもありますけど」
「はは。まるで爺さんが、ただで手伝いを手に入れたみたいな」
「とんでもない」
冗談めかしてオルフィが言えば、カナトはぶんぶんと首を振る。
「『教える』っていうのは大変なことなんですよ。たとえば魔術師協会では後進を指導する導師という資格がありますが、魔力が強ければ導師になれるというものでもないんです。むしろ、突出して優秀な魔術師は他者を教えるのには向かないと言われます。自分が簡単にこなせてしまうと、相手が何故できないのかが判らないから」
「はあ」
「判らない相手に噛み砕いて説明するには根気が要ります。かと言って忍耐強く優しければいいと言うのでもない。時には突き放し、自分で理解させるようにしなくてはならないし」
「はあ」
「指針を的確に与えるというのも困難です。教える側と教わる側の目標が、ずれすぎているようでも駄目ですし」
「へえ」
オルフィとしては相槌を打つしかなかった。カナトははっとした。
「す、すみません。とうとうと」
「はは、いいよ。おかげでよく判った」
(カナトがあの爺さんを尊敬してるってことが)
「……僕、言いましたよね。サーマラ村の人々は僕が魔術師だということを受け入れてくれてるって」
「ああ、覚えてる」
「最初はやっぱり、少々敬遠されました。でもお師匠がとりなしてくれたんです。『カナトは生まれ持った力を活かすために懸命に勉強している。それは畑を耕す能力ではないが、学び、身につけ、成長するという過程はほかのどんな若者とも変わらない』なんていうふうに言って」
「へえ……」
やはり、飯の心配をするだけの爺さんではないようだ、などとオルフィは思った。
「――オルフィは、運命というものをどう思いますか」
不意に、カナトは言った。
「運命?」
オルフィは繰り返した。
「あまり聞き慣れない言葉かもしれませんね」
「物語師の語る話なんかでは、よく聞くけど」
彼は首をかしげた。
「どう思うか、だって?」
「ええ。定め、などとも言います。人は悩み、迷い、選択しますが、それは全て最初から決まっていたことである、という考え方です」
「最初から……?」
オルフィは考えて、反対側に首をかしげた。
「そんなの、変じゃないか」
「変ですか?」
「だって、悩み、迷い、選択するんだろう? それが最初から決まってるって?」
「結局、選べる道はひとつですから」
「……ぴんとこないな」
正直にオルフィは言った。
「まあ、諦めるのにはいいかもしんないけど」
「諦めるですって?」
「ああ。選択を誤ったと思っても『決まってたんだから仕方ない』って……」
そう言ってオルフィは、胸が痛むのを感じた。
左腕の籠手のことを思わずにはいられない。
カナトの言うように「運命」であれば、これは「決まっていたこと」。
(それって、酷い言い訳じゃないか?)
自分で決めたという責任を放棄する考え方だと、オルフィはそんなふうに感じた。
(……あれ、でも、もしかしたら)
(カナトは、自分が親元を離れて魔術を学んだのが「運命」だったと考えてるんだろうか)
(だとしたら)
悪いことを言ったかもしれない、とオルフィははっとした。
「カナト……」
「安心しました」
「ごめ、え?」
謝りかけたオルフィは、意外な言葉に口を開けた。
「僕もそう思います。自分の道なんて自分で切り拓いていくものだって」
「はあ」
オルフィはまたしても曖昧に相槌を打った。そんなにきっちりと考えて口にしたことでもない。
「僕たち魔術師は〈定めの鎖〉という言い方もします。何者も〈定めの鎖〉からは逃れられない、なんていうふうに。でもそれってつまり、不自由に繋がれているという前提からはじまることになりますよね。繋がれたまま一本道を進んでいるなんて、何だか納得がいかなくて」
「一本道ってことは、やっぱり、ないだろ」
オルフィは言った。
「そりゃあ確かに選べる道はひとつさ。本当の道なら戻って別な方角へ行くこともできるけど、選択のやり直しっていうのは不可能だ。ひとつ選んで失敗してふたつ目に行くことができたとしてもそれは、最初からふたつ目を選んだのとはどうしても違う」
でも、とオルフィは続けた。
「ひとつ目を選んだのは俺であって、運命なんてもんじゃないだろ」
そう考えられた楽なこともあるけれど、と若者は内心でこっそり嘆息した。
「ですよね」
カナトは嬉しそうだった。
「ミュロンの爺さんは、どんなふうに言うんだ?」
ふと気になって彼は尋ねた。
「定められていることだ、とでも?」
「お師匠は、そういうことは言いません。かと言って、自分で切り拓くとも」
彼は首を振った。
「最初から定まっているのであろうとそうでないのであろうと、選んだ道はひとつだって。『正しい答え』なんてないと……仮にあるとしても人の子には判らないんだから、同じことだって言います」
「ふうん」
つまりカナトの師匠は「答え」をくれなかったということだ。
「答えなんてない、か」
彼は呟いた。
「少なくとも、どっちかなんて判らないってことは確かだな」
選んだ道が決まっていたのかどうかなんて、判るはずがない。
この――籠手のことも。
(こんなことが決まってたなんてはずこそ、ないな)
(ほかでもない俺の選択……人生最大の大失態だ)
考えると暗い気分になる。
ジョリスに、何と言えばいいのか。
「あの、オルフィ」
しばらくすると、遠慮がちに声がかかった。
「うん?」
前を向いたままで彼は返事を返す。
「その包帯の、ことですけど」
言いにくそうに声は続いた。
「包帯の下に何があるのか……言いたくないのであれば詮索はしませんけど、僕で力になれることがあったら何でも言って下さい」
「ん……」
オルフィは振り返らず、どうにも曖昧な返事をした。
カナトの気持ちは有難い。少年の実力のほどは知らない。「もうすぐ中等を終える」というのがどれくらいのものなのか、オルフィにはぴんとこない。だが少なくとも魔術師だ。この場合に限って言えば、たとえば父に相談するより適切な答えが得られるだろう。
(話してみようか)
(馬鹿だと呆れられて、せっかく懐いてくれてる感じもなくなっちゃうかもしんないけど)
(魔術師の助言は、聞いてみたいような気もする)
(ううん、でも)
(箱の中身を知らせちまっていいもんかな……)
「無理にとは言いませんよ。でも」
大人びてカナトは肩をすくめた。前を向いているオルフィには見えないが。
「包帯を替えましょうかって言ったのは冗談でも何でもないです。片手でやるのは難しかったでしょう? 正直、だいぶ巻きが甘いと思いましたし、そろそろ崩れてきてるんじゃないかと思うんですけど」
「うへっ」
言い当てられたオルフィはおかしな声を出した。きっちり重ねて巻いたつもりの包帯はクートントの手綱を操る内に緩みはじめ、さっきから何度も押さえる羽目になっている。
「僕が『見ないですからどうぞご自分で巻き直して下さい』って後ろを向いているのもおかしな話じゃありません?」
そうしてもいいですけど、と加わった。
「うーん」
カナトの言いようにも一理ある。「何かある」ということは既に知られているのだ。それを隠し通すのはもはや茶番と言っていい。
(それに、まるで全くカナトを信頼してないかのようでもあるよな)
(ただ気になるのは)
(……話しちまうと、巻き込んじまうんじゃないかってこと)
ふと思い浮かんだことに、彼は自分でおやっと思った。
(巻き込む?)
(何に?)
既にカナトは知っている。黒騎士のこと。ジョリスの荷のこと。左腕のこと。
「ところでその包帯は、いつ巻いたんですか?」
カナトは尋ねた。
「……あっ」
オルフィは気づいた。
「やべぇ。砦に行ったらこれ、絶対訊かれるな」
当然、まずは怪我だと思われるだろう。砦には治療師もいるし、診てもらえということになるに決まっている。拒絶したところで、ウォルフットの息子を案じた――またはオルフィの拒絶を面白がった――兵士たちに捕まるだろう。
(こんな立派な籠手を見られたら、どこで手に入れたかも訊かれるし)
(答えなかったら最悪、どっかから盗んだと思われるかも)
兵士たちはオルフィを可愛がってくれるが、それでも法を守る立場だ。彼の態度が怪しければ質問は尋問に変わるだろう。そして本当に「捕まる」ことにだってなり得る。




