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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第8話 絡み合う軸 第1章

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03 無数のただひとつ

「駄目です」

 だが魔術師は厳しく言って首を振った。

「何が起こるか判りません。奇しくも先ほど、似た話が上がりましたが」

 彼は息を吐いた。

「自分と同じ顔を見た者は死ぬ、という民間伝承を知りませんか?」

「ん? どうだったかな。聞いたことあるような気もするが、よく覚えていない」

「聞き覚えはある。詳しくは知らないけど」

 アバスターは適当に言い、オルフィは正直に答えた。

「割と有名だとは思いますが、もちろんと言いますか、証明はされていません。自分と同じ顔なんてなかなか見ないものですし、もし本当に『見た者が死ぬ』のであれば、そのことを他人に告げる間もなく死んでしまうのかもしれませんからね」

「おいおい。言霊はどうした?」

「一般的な話ですよ。私たち自身の話をした訳じゃない」

「それでいいのか」

「そんなものです」

「何だか軽く騙されてる気分だ。詐欺に遭った気持ちと言うか」

「そこまで言わなくてもいいじゃないですか」

 ラバンネルは少し顔をしかめた。

「はいはい、魔術の理は俺には判りませんよ、と」

 まるで拗ねているかのような台詞であったが、そうした様子はなかった。彼らの間では決まり切った、よくあるやり取りなのだろうと思われた。

 この剣士と魔術師の間には、上下関係はもちろんのこと、優劣の感情もなかった。軽口では自らの能力を自慢したり相手のそれを貶めることもあるが、あくまでも冗談であること、互いによく判っている。

 そう在ろうと思っても人はどうしても劣等感や嫉妬心を抱きがちで、なかなかその境地に達せない。しかし彼らはそこを乗り越え、或いは最初からそうしたものを持たなかった。

 それは彼らにそれぞれ絶大なる自信――過剰ではない、確固たる――があるためかもしれない。そして技術は違えども同じ感覚を持つ相手に出会い、互いに認めた、とても貴重な関係と言えるかもしれなかった。

「しかし、死ぬだの殺されるだのはともかくとして、俺もお前たちもふたりずついるって状態は奇妙だな」

「ええ、そうです(アレイス)。言うまでもないと思いますが、これは極めて異常な状況です。一刻も早く、元の形に戻らないと」

 真剣な顔でラバンネルは言った。

「ここにいる間は、もうひと組の私たちにも気づかれないようにしないとなりませんね」

 何しろ、とラバンネルは肩をすくめた。

「私には気づいた記憶がありませんから」

「そんなん、違う軸なんだから当たり前じゃないのか?」

 アバスターが片眉を上げる。

「理解が早いのには本当に感心します。ではこう言いましょう。齟齬はできるだけない方がいいんです。いずれ一ヶ所に収束すれば、不安定に薄いまま歴史を続けることが避けられる」

「薄い?」

「ここがもともとの時間軸でないとしたら、もうひと組の私たちはやがてこうして『戻る』ことがないのか、それともやはり同じ体験をするのか」

 誰にともなくラバンネルは呟いた。

「自浄作用と言いますか、収束作用はあると考えるのが自然ですから、おそらくほぼ同じ方向に進もうとはするのでしょうが……それでもささやかな違いが重なり、違う流れを生み得る。そうして、薄くなりゆく」

 考えをまとめているようだったが、オルフィにはどうにもぴんとこなかった。

「ふむ、興味深いながら確かめることができません。現状では私もまだ巧くまとめられないので」

 次にしましょうなどと魔術師は言った。

「ただ、言えるのは、ひとつの時間軸は無限の可能性、無限の選択から選ばれた無数のただひとつをもって、奇跡的に保たれているという辺りですね」

「はあ」

 としか、オルフィには言いようがなかった。

(無数のただひとつ、か)

 不思議な言い方だ。

 無限の可能性から選ばれた、ただひとつ。だがそれも無数にあるのだと。

「とにかくいまは、お互いの情報を交換しましょうか」

「俺たちの状況、ねえ」

 アバスターは唇を歪めた。

「こいつが話したようだが、俺たちはほんの半日前、エクール湖の大火を治めてきたところなんだ」

「私たちが、と言うのは誇張ですよ」

 ラバンネルが指摘した。

「湖神エク=ヴーの力があってこそです」

「判ってるさ、それくらい。だいたい、ヴィレドーンだって判ってるだろう」

「あ、ああ」

 こくりとオルフィはうなずいた。

「あれが……半日前」

 彼にとっては、「オルフィ」になる前のこと。年代で行けば三十年ほど前ということになる。だが体感的には、どうにもぴんとこない。「オルフィ」には「何となく遠い過去のこと」という印象で、「ヴィレドーン」には「つい先日のこと」――。

「だが『いま』はその十年前だったな? お前は四十年後から……待てよ」

 アバスターの言葉がオルフィを矛盾(レドウ)から引き戻した。

「気づきましたか」

「ああ。十年、増えてるな」

「へ?」

 オルフィだけが目をぱちくりとさせた。

「簡単な足し算です。あなたはいま、二十歳前くらいですね?」

「十八だ」

「単純にするために、およそ二十年と考えましょうか。この十年後から、新しいあなたがはじまったなら……?」

「……へ?」

 何を言われているのか判らなくて、彼は再び目をぱちぱちさせる。

「このことは考察していたのですが、悪魔は二種の妖術を使ったのだと思います。あなたの肉体からおよそ三十年を引く術がひとつと、目標を三十年前に送る術がもうひとつ」

「はあ」

「つまりですね。あなたは『引かれ』、そのままの時間軸で生きた。過去への跳躍は、まあ、言わずに済めばそれに越したこともなかったんですが、こうなったら言いましょう」

 こほん、とラバンネルは咳払いをした。

「私たちが、引き受けた形になります」

「何だって? それじゃ……」

 彼ははっとした。

「それじゃ! あんたたちの話がその後、とんと聞かれなくなったってのは」

「あ? ああ、『十年後以降』のことか」

 理解してアバスターは唇を歪めた。

「うん? んじゃ、つまり、俺たちは」

「『先の話』はしないでいただきたいんですが」

 制するように片手を上げて、ラバンネルは顔をしかめた。

「聞いてしまったものは仕方ないですね。となると、控えめに言っても当分、私たちは戻れないということになりそうです。少なくとも元通りの時間軸には」

「あ……」

 オルフィはまたしてもはっとした。

「何だと? お前、自信ありそうなことを言っていたくせに」

「ありますよ。あの場所なら可能なんじゃないかと。あれは一種の特異点です。だから私はあの場所を好むのですし、そうそう、シレキ君と会ったのもあの大樹のもとで」

 知った名前にオルフィはぶっと吹き出した。

「どうしました?」

「あー、その、俺、知ってるから」

 彼は頭をかいた。

「シレキのおっさん」

「……おっさん」

 ラバンネルは目をしばたたいた。

「そうですねえ。彼だって年を取りますもんね。私が初めて会った頃はまだ十歳前後で……あ、これはこの先の話になるんでしょうか?」

「俺に訊くな」

 アバスターは口の端を上げた。

「おそらく、先の話になると思います。ここのシレキ君とここの私はまだ会っていない」

「シレキ、君」

 ラバンネルが知るのは子供時代のシレキということらしい。それは判るのだが、どうにも想像し難かった。

「じゃあ、やっぱりおっさんの話は本当だったんだな。まあ、もう疑っちゃいないけど」

「もしかしたら、彼は疑われるような奇妙な言動を?」

「まあ、少々」

 ラバンネルを騙った、などという話はしてしまっていいものかどうか、オルフィは曖昧に答えた。

「ふうむ」

 魔術師は両腕を組んだ。

「……となると、やはり、あの子は……」

「あー、いやその」

 オルフィは片手を上げた。ラバンネルが何を連想したのだとしても、彼が考えていることとは異なるに違いない。

「いえ、やはり聞かないでおきましょう」

 ラバンネルは手を振った。

「私たち自身ではなくあなたの体験であろうと、私たちには『先のこと』だ。それは知らないでいるべきです」

 それが彼の判断であるようだった。

「ジラングがどうしているのかだけは少し気にかかりますが」

「誰だって?」

「おや、しくじりました」

「何が」

「あなたはジラングのことは知らない、と知ってしまいました」

「ああ、知らないみたいだけど」

 彼は認めた。実際にはオルフィもその名は耳にしていたが、シレキが過去に飼っていた猫の名前として聞いただけだ。覚えていなくても仕方がないだろう。

「はは」

 誰のことだろうという疑問が顔に出たのだろう、ラバンネルは少し笑った。

「猫です」

「は?」

「ジラングというのは、猫ですよ。なかなか可愛らしい黒猫で」

「あー、おっさんの、恋人」

 思い出せずともそんなことを言えば、アバスターがくっと笑った。

「恋人か! あのガキ、ついに認めるようになったのか」

「認める?」

 若い頃は猫への偏愛を認めていなかったのか、と思うと少し意外でもあった。

「シレキ君……彼の道もなかなか波瀾含みになるかと思います。ああ、もしかしたらあなたは知っているのかもしれませんが、言わないで下さいね」

「波瀾、ねえ」

 オルフィは頭をかいた。

「大丈夫、言うも言わないも、ない。少なくとも俺は知らないから」

「おや、そうですか」

 ラバンネルはいささか意外そうだった。

「では彼は……あなたと出会う頃にはあらかたの波瀾を経験し終えたあとだ、ということになるかもしれません」

「はあ」

 大導師があの調教師に何を見たものか、オルフィには知る術もない。

(まあ、「年の功」みたいなことを感じることはあるけど)

「実はつい先日、ああ、『こちら』にくる前ですが、彼の様子を見てきたところだったんですよ。初めて会ったときよりもぐんと成長して……そうですね、大きな可能性を感じました」

 こくりとラバンネルはうなずいた。

「きっと、あなたの助けになっていることでしょう」

「は、はは」

 オルフィは笑ってごまかすしかなかったが、ラバンネルは懐かしそうに目を細めていた。


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