02 どっちが本物なんだ
アバスター。
ナイリアンの英雄と呼ばれる男。
アバスターに対する「彼」の感情は、ラバンネルに対するものとはまた違って複雑だ。
「ヴィレドーン」にとってアバスターは、「立派な男」という印象だった。各地で人助けをしてその名が高まっても驕ることなく、王城への誘いも断ったと聞いていた。人によっては不遜と取ることもあろうが、ヴィレドーンはそう思わなかった。いわゆる「宮仕え」ではできないこともあるということ、その頃のヴィレドーンは気づきはじめていたからだ。
会ってからは、成程、この男が騎士になることはないだろうと感じた。彼が誰かの下につき、誰かに仕え、誰かの命令を聞くことはないだろう、と。
一方で「オルフィ」にとって、アバスターは英雄だ。それ以外の何者でもない。アバスターの話を聞いた男の子が誰でもするように、彼に憧れ、彼の真似を――ごっこ遊びを――して成長した。
会うことはないと思っていた。
死んだと考えていた。
いや、物語の登場人物が「いまどこで何をしているか」など、感受性の豊かな少年少女でもあれば考えようが、普通はあまり考えない。それと同じで、アバスターの生死についてなどほとんど考えてみたことがなかったというのが本当だ。
だが記憶が蘇ってみれば、あのときごく普通に言葉を交わしていた相手だったということになる。
ラバンネルについては「オルフィ」は行方こそ探したが、その人物像については特に想像もしなかった。思い出し、まさかの再会をして、いささかの引っかかりと言おうか戸惑いはあるが、態度に迷ったりする暇もないままで言葉を交わしている。
しかし、改めてアバスターに会うこと。それは奇妙な緊張を伴う。
見たこともない伝説の英雄にして、共に悪魔と戦った男。
子供の頃からの夢で、同時に、騎士だった彼と同じ志を持つ男。
(何と言うか、正直)
(対応に困るところがあるような)
などと考えながらオルフィはラバンネルのあとに続いて大木に近づく。座っていた人影はゆっくりと立ち上がり、彼らを迎えるようだった。
「お待たせしました」
ラバンネルは軽く会釈した。彼らは友人関係にあったが、この魔術師の態度はいつもこうした感じだった。何も遠慮している訳ではないようだ。何しろラバンネルは「向こうが年上なので、一応、仕方なく、渋々と、丁寧にしているんです」などとアバスターの前で堂々と言っていたのだから。
「いんや。思ったよりも早かった」
三十代の半ばだろうか。黒に近い色の短髪を持った剣士は、鳶色の瞳を友人の背後に向けた。
「お?」
「あ……」
「よう」
「……ども」
実に気軽に挨拶され、彼はぺこりと頭を下げた。
そしてちらりと、その左腕に目をやる。
籠手は、なかった。
(そりゃそうだよな)
(アレスディアは「『裏切りの騎士』を退治したとき」、ナイリアールの城に残されたん……)
そこで彼ははっとした。
(ある、じゃないか)
その右腕に、オルフィもよく知るアレスディアの対が。
(そうだ……アバスターは両手に籠手を身につけていた)
彼は思い出した。
さっと奔流のように記憶が蘇る。
焚き火の傍でラバンネルが、悪魔との戦いによって「乱れた」籠手を「修復」する様子を見ていた。
(城には、左の片方だけを残したんだ)
(俺に)
(――俺に、使えと言った)
実際にはあのときヴィレドーンは生きていたのだが、死んだということにしたのだ。何しろ「ヴィレドーンとアバスターが戦った」場面は目撃者がいたし、ついに〈漆黒の騎士〉が倒れたというときに「消えた」のは、「悪魔と契約した者の死体は残らない」からで――まさかラバンネルが魔術で余所に連れたなどと考える者のいるはずもなかった。
そうされなければ彼は囚われ、処刑を待つことになっただろう。だがその前に悪魔が再び彼を助けただろう。そして、彼を手駒にナイリアン国とその周辺を弄んだだろう。
アバスターとラバンネルは、ヴィレドーンを言うなれば「彼らの手の届くところに置く」ことによってナイリアンを守ろうとした。
あの日の記憶がオルフィの脳裏を駆け抜け、彼はそれを振り払うように首を振った。
「何だ。早々に連れてきちまったのか」
まずアバスターはラバンネルに向けてそんなことを言った。
「それがですね。少々、奇妙なことになっていまして」
「『少々』じゃあるまいよ。『相当』だ」
「私たちについてはそうなんですが、実は彼についても」
「あん?」
アバスターは顔をしかめた。
「思わせぶりな言い方、しやがって」
「前置きというものです。これまでに判ったことをあなたにも判るよう易しく説明して差し上げますので、ほら、座って」
穏やかにいささか厳しいことを言ってラバンネルは彼らを座らせ、まるで教師が講義するかのように話をはじめた。
「――ということでして」
こほん、と魔術師は咳払いをした。
「ここにいるヴィレドーン君は二十歳前ほどに見えますが、およそ十年後と思われる、『あの日』のことを知っています。もちろんあの日だけではなく、私たちと出会ってから起きたことのほとんどを記憶している」
「何でまた」
「ですから、いま説明したでしょう」
ふう、とラバンネルは嘆息した。
「『順番』は理解できたさ。例の気障ったらしい兄ちゃんが関わってることもな。だがそれはどうしてだ? どういうからくりが、こんな複雑な道筋を作る?」
「そういう問いでしたら、人の子たる私に返答は少々困難ですね。〈名なき運命の女神〉にお尋ねを」
「どこにいるのかね」
恍けた様子でアバスターは辺りを見回した。
「さあ、生憎と」
知りません、とラバンネルは肩をすくめた。
「仕方ない。女神様は気まぐれだ。起きたことは起きたこと。先への対処をしなきゃな」
「同感です」
英雄たちはうなずいた。
「さてと、ヴィレドーン。……若くなったな、お前」
まずアバスターはそんなことを言った。彼は苦笑する。
「俺にはそういう意識はないんだ。急にこの姿になった訳じゃないし」
「成程。そいつは判らなくもない。だが少々、羨ましいぞ」
アバスターはうなった。
「俺もそろそろ、何と言うか、言いたくないが、年齢を感じてきてなあ。十年前はもっと俊敏に身体が動いたのに、なんて繰り言を考えちまったりもする訳だ」
「そんな話はあとにしてもらえませんか」
ぴしゃりとラバンネルが言った。
「いまはもう少し、状況を整理するべきときです。お互いにね」
「はいはい、先生」
降参するようにアバスターは両手を上げた。
(こんなのんびり屋に見えるのに)
(剣を振るうと、ヴィレドーンもついていけないほどだからなあ)
あれで鈍ってきたと言うのであれば、若い頃はどれほどだったものか。それこそ伝説の――神話時代の――勇者のようだったのではないだろうか。そんなことをつい想像した。
「だが、おかしくないか」
アバスターは顔をしかめた。
「この若いのが未来だか何だかぴんとこんが、どこか違うところからやってきたなら」
彼はオルフィを指し、それからどことも知れぬ方角を指した。
「『ここ』にいたはずのヴィレドーンはどこに行った? 未来か?」
両腕を組んで年上の剣士は言い、オルフィは目をぱちくりとさせた。
(そう、か)
(俺が目を覚ます前まで、ここには既にファローと知り合っていたヴィレドーンが、いたはず)
それは不思議な感覚だった。
やはり、ぴんとくるとは言い難い。
(でも、そんなことってあるのか?)
(俺がもうひとり……)
「いますよ」
さらっと魔術師は言った。
「へ?」
「何?」
「ですから。『ここのヴィレドーン』はちゃんといます」
実は、とラバンネルは続けた。
「ごく近くによく似た波動がふたつあったんです。とりあえず両点を確かめてみるつもりでしたが、もう一点が『ここのヴィレドーン』であることは疑い得ません。もっとも、こちらの彼が正解だったようで」
「当たりねえ」
じろじろとアバスターはオルフィを見た。いささか戸惑い気味に彼はその視線を受け、魔術師の言葉を考えた。
(いる?)
(俺が……いや、俺自身とは少しずつ何かが違う十八歳のヴィレドーンが)
想像が少し形になってきた。と、オルフィは何だか寒気を覚えた。
「それって」
彼の声は少しかすれた。
「どっちが本物なんだ?」
ふっと浮かんだ言葉。
「やっぱり……俺が、偽物なのか?」
「どちらも本物です。当たり前でしょう」
きっぱりと魔術師は言った。
「確かに、この時間軸ではあなたじゃないヴィレドーンが生きてきて……これからも生きていくはずなのではないかと思います。ここを悪魔がどうするつもりでいたのかは判りませんが」
「どうもこうもないだろ」
アバスターはひらひらと手を振った。
「こっちを生かすつもりなら、あっちに存在されちゃ困る」
「……あのですね」
じろりとラバンネルはアバスターを睨んだ。
「そういうことをさらっと言うもんじゃありません、さらっと」
「ぐだぐだと言ったって同じだろう。何しろ相手は悪魔だぞ悪魔。穏便な方向を想像する方が間違ってるだろうが」
「言葉には気をつけて下さいと、くどいくらいに言ってると思うんですが?」
「ああ、言霊がどうのってお前さんの信念は理解してるが、言ったから物事が変わるってのは納得いかんね」
ふんと剣士は鼻を鳴らした。
「もっとも、これ以上はわざわざ言い立てもしないが」
「素直じゃないですね」
ラバンネルが言うのは「素直に反省して謝ればいいのに」ということであるらしかった。
「もとより、私たちもいるんですよ?」
片眉を上げて、ラバンネルはアバスターと自分を交互に指した。
「あん?」
「ですから、もうひとり……もうひと組、というところでしょうか」
「ははあ。そうか。成程。いるのか」
ううむ、とアバスターは両腕を組んだ。
「少し会ってみたいような気もする」
呟くように剣士は言い、さすが剛胆だなとオルフィは思った。




