12 お前でもいいんだよ
「私が? それは、いくらか一緒に過ごしましたしね。ああ、もちろん、兄上の花嫁に妙な手出しはしておりませんよ? 美しき柔肌は拝見しましたが、しるしを確かめるためでしたから」
「判っているさ」
ロズウィンドは笑った。
「ところで、兄上は彼女を花嫁にしたあと、どうするんです?」
「どう、とは」
第一王子は首をかしげた。
「かのコルシェント術師は、神子の処女性を重視したというお話で。もとより彼の場合、ピニア嬢以外の女に手を出す気はなかったのかもしれませんがね」
「処女性がどうのと言うのは八大神殿の考え方であろう」
第一王子は手を振った。
「私の妃であれば子を産むことは大切な仕事だ」
「そうでしょうな」
うなずいてからラスピーシュは首をかしげた。
「では、ウーリナは?」
「どういう意味だ?」
「あの子はあの年で、男と女のことをろくに知らない。それはもちろん、兄上がそうした教育を排除してきたからでしょう。レヴラール殿が正式な婚姻前にその気になったら、ひと騒動起きたはずですよ」
「成程。それがお前の言いたいことであったか」
ロズウィンドは唇を歪めた。
「あの王子の気質は把握している。厳格な祭司長や清廉な騎士たちに囲まれて育った若者が、一時の昂ぶりでウーリナを押し倒すとは思わんな」
「おや。意外と信頼しているんですね」
「信頼?」
かすかにロズウィンドは笑った。
「蛮族の成り上がりを?」
「ウーリナをその成り上がりに対する駒として利用したくせに」
ラスピーシュは顔をしかめた。
「この際ですから言っておきますよ、兄上。私はそれにだけは反対だった。あの子は何も知らず、純粋に私と兄上を信じて、レヴラール殿の妻になると信じた。いまだって、婚約者のつもりです」
「可哀想だ、と?」
「簡潔に言えばその辺りですな」
「いつまでも蝶よ花よともてはやしてはいられない。それはウーリナのためにもならない」
「判らなくはないですよ。しかし他国の王子の嫁ぐと信じさせたあとで、親愛なる兄上がその王子を国ごと滅ぼそうとしていると知らされる、それは少々、教育には刺激的すぎませんかね」
「ラシアッドの歴史をきちんと理解していれば、神子姫とも呼ばれるウーリナを蛮族の王子に嫁がせるはずなどないと気づこうに」
「それはもしや、ウーリナではなく、私に言っているんですかね?」
ラスピーシュは片眉を上げた。
「お前も知っているだろう。ウーリナには、ラシアッドの黒い歴史をほとんど教えずにいる。エクールから分かれたということは知っていても、何故分かれたのか、それは伝わっていないのだとあの子は思っている」
「では、やはり私が不勉強だということですな」
弟は嘆息した。
「それにしても、ようやく判った」
対する兄はまた笑みを見せた
「お前が帰国以来機嫌が悪いのは、ウーリナを案じるためか」
「おや、機嫌が悪いと見て取られましたか」
目をしばたたいてラスピーシュは顔に手を当てた。
「表には出さなかったつもりなんですが」
「戴冠式の日取りを決め、カーセスタ、ナイリアン両国の出席を取りつけ、なおかつ自分の『友人』たちも招き入れ……全てがお前の思うままの割には、いつもとあまり変わらぬようだったからな」
ロズウィンドは手を振った。
「成程」
得心したと言うようにラスピーシュはうなずく。
「もう少し派手にはしゃぎ回った方がよろしかったと」
「あまりよくはないな。礼節は保て」
少し顔をしかめて、ロズウィンドは命じた。
「心得ておりますとも」
優雅に第二王子は宮廷式の礼を決める。
「ですが兄上、本当にウーリナのことはどうするつもりなんです。きちんと考えてやって下さいよ」
「もちろんだとも。私は最初からウーリナのことをきちんと思いやっているとも。あの子を駒にしたなどとはお前の誤解だよ、ラスピーシュ」
にこやかに兄王子は言い、弟は片眉を上げた。
「ウーリナは純粋にレヴラール殿の妻になるのだと思い込み、ろくに恋も知らないままで――いえ、男女のことも知らないままで敵陣に放り込まれた。忌憚なく申し上げれば、兄上、とても愛情あってのこととは思えませんね」
「ちゃんと呼び戻したじゃないか」
にこっとロズウィンドは笑んだ。
「傷物にならない内に」
「兄上」
ラスピーシュは不味いものを食べたような顔でその発言を聞いた。
「形はどうあれ、兄上がウーリナを思っていることは判りました。レヴラール殿もとんだ道化という訳だ」
ふう、と彼は息を吐いた。
「では改めて、リチェリンのことについて訊きましょう」
「何を訊く?」
第一王子は首をかしげた。
「お前の友人に、もてなしが足りないとでも」
「兄上がまめに顔を出してもリチェリン君が参ると思いますし、たまに私がかまうくらいでいいでしょうよ」
ひらひらとラスピーシュは手を振った。
「ですがそのことではありません。本当に、彼女を妃に? つまり、彼女に子を産ませるつもりで?」
「どちらでも」
ロズウィンドは肩をすくめた。
「何ですって?」
「神子との『結婚』は、エク=ヴーと近くなるための儀式だ。あの神子姫が、私に抱かれるくらいなら舌を噛んで死ぬと言うのであれば、形の上だけだっていい」
「割とあっさり言いますね。子を成す役目はどうしたんです」
意外そうにラスピーシュは目をしばたたいた。
「我ら王家と神子の間に子ができれば言うことはないが、無理強いをして死なれても困るだろう。それくらいなら」
笑みを見せたままでロズウィンドは続けた。
「ウーリナに産ませればよい」
「……何ですって?」
一瞬、ラスピーシュですら、絶句した。
「何か不思議か? 弟よ」
第一王子はあくまでも優しい笑みを浮かべている。
「王と神子姫の子孫、という話をしている。リチェリンが駄目ならウーリナだ。何も知らぬからこそ、不要な倫理に阻まれることもあるまい」
「兄上……まさか最初からそうしたことを考えて、あの子の教育を制限していたとでも」
「さあ、どうだったかな」
忘れてしまったよ――とラシアッド第一王子は嘯いた。
「でも、ラスピーシュ。私が駄目ならお前でもいいんだよ」
「……何、ですって?」
警戒するように第二王子は三度聞き返した。
「ウーリナはお前の方により心を許しているようだから。妹と子を成すのはお前でもいいんだ」
「あまりにも性質の悪い冗談だ!」
リチェリンでも聞いたなら驚いただろう。かっとしたようにラスピーシュは声を荒らげた。
「兄上! それは、いくら何でも」
「お前ができぬと言うなら、私だ。断じてウーリナと交わるのはならないと言うのであれば、やはりリチェリン。根と幹はどちらも同じ……私はどの枝でもかまわない。だから」
まるで優しい顔で、ラスピーシュとウーリナの兄は言う。
「お前が選んでいいんだよ、ラスピーシュ」
「これが」
ラスピーシュは暗い視線を兄に向けた。
「これが、『悪魔に魂を売った』ということですか、兄上」
「さあ、どうかな」
ロズウィンドは首をかしげた。
「ニイロドスが現れる前は一度も考えなかったかな? いや、そういうものではないようだ、弟よ。いかに悪魔とて、存在しない種から芽を出させることはできない。『悪魔のような』心は常に、私たち人間のなかにあるんだ」
そっと彼は胸に手を当てた。
「流れによっては、レヴラールとの婚姻を済ませた上で、お前の子種をウーリナにということにもなったろうが――」
「それ以上はもう、口にしないでいただきたい」
オルフィやリチェリンの前で一度も見せたことのない厳しい顔でラスピーシュは言った。
「〈はじまりの地〉を再び我らの手に。その悲願には私も全力で手を貸します。ですがウーリナをこれ以上傷つけることは」
「ならばリチェリンだ、と言っている。それは当初の予定通りだ。お前が神子殿に同情的な様子を見せるから、私は違う案を出しただけのこと」
「判った、判りましたよ。リチェリン君のことは、胸が痛いながらとうに了承したことだ。もとより彼女を知るより前からの話であるのに、同情的になるほど近づいたのは私の失態だ」
「惚れているのか?」
「リチェリン君に?」
ラスピーシュは片眉を上げた。
「いいえ、それほどのことは」
「ならばかまわぬな」
「オルフィ君には少々、悪いですがね」
「オルフィか」
ロズウィンドは両腕を組んだ。
「そう言えば兄上、彼は本当に戻ってこないんですか?」
「ニイロドスの陥穽に落ちれば、ということだろう」
「成程。彼ならリチェリン君のために這い上がってきそうだけれど」
「それならそれで、こちらでの利用法を考えるさ」
「ああ見えて、簡単に利用できる若者でもありませんよ」
「『ヴィレドーン』のことを言っているのか?」
「それもありますが、『オルフィ』自身もね。ヴィレドーンの記憶や技術がなければただの田舎の若者だと自負してるようですが、それは彼自身、謙遜でなければ判定違いというもので」
「そうか。見誤るところだったな」
第一王子は目をしばたたいた。
「お前の目は信じる。お前がほかでもない彼自身を買っているということは、忘れぬようにしておこう」
にこりと笑んで自分と違う意見を受け入れる様は、寛容な賢王のように見える。いや、事実、たいていの者は世辞を抜いても、ロズウィンドがそうした国王になると考えるだろう。
彼が優しい顔のままで差し込む毒のことは、わずかな者しか知らない。




