08 珍しい皮肉
〈赤銅の騎士〉マロナの姿に人々は少しほっとした顔を見せ、それから制服を身につけていない〈白光の騎士〉ジョリスに少し驚いた様子を見せたあとで、もっとほっとしたようだった。
ジョリスがいたなら何でも解決する、というような、子供が親に寄せる全幅の信頼が彼にはあったからだ。
「ジョリス様」
「騎士様、陛下が」
訓練を受けた精鋭である近衛の兵ですら、騎士らに頼った。
「どういうことだ」
ジョリスは問うた。
「曲者というのは」
侵入者でもあったなら大捕り物になっていても不思議ではない。いや、それが当然と言える。だが兵らはレスダールの部屋の周りをうろうろするばかりだ。
「まさか、また」
先にマロナが気づいたのは、ジョリスよりも「前回」に近かったこともあろう。
「だが、黒騎士は」
ひと月前に起きた騒動では、誰も王室に入れなかった。しかしそれは黒騎士の、或いはコルシェントの術であったはずであり、その両者は共にいなくなったはず。
「――成程」
小さくジョリスは呟いた。
彼が気づいたのはマロナが示したことばかりではない。
(死者が)
(蘇った)
イゼフの言葉が思い出される。
「状況を説明できる者は」
「はっ」
簡潔かつ重要な問いに、近衛兵は緊張した顔を見せた。
「こちらの部屋には侍女が二名と近衛が二名、常にいることになっております。我々はちょうど交代の時刻で、連絡事項も兼ねて、四名が扉の付近に集まる形になりました」
「そこに、私どももたまたま、花瓶の水を替える用と、冷めた湯を取り替える用に出向こうとしておりまして」
青い顔をした侍女が言う。
六名が扉の近くにいたとき、外で大きな音が聞こえたのだと言う。とっさに全員が外を確認したのは、殊に近衛兵にとっては大失態だ。たとえ外で何が起きたのだとしても半数、最悪でもひとりは国王のもとに戻らなければならなかっただろう。
気づいたときには扉は固く閉ざされていた。施錠されたのかどうかは判らない。取っ手や扉そのものに触れると全身が痺れ、意識を失ってしまうのだと。
「成程」
もう一度ジョリスは言った。四名いたはずの近衛が二名しかいないのはそういう理由だ。扉に触れたひとりをもうひとりが連れたのだろう。もうひとりの侍女はマロナを呼びに行ったあと、ほかの騎士でも探しているか。
「も、申し訳……」
「私に謝る必要はない」
ジョリスは素早く、兵の謝罪を制止した。
「では侵入者を見た者はいないのだな」
とは言うものの、勝手に扉が閉まるはずもなければ、触れなくもなるはずはない。何者かが――おそらくは魔術師が部屋に侵入し、扉を閉ざしたと考えるのはもっともなことであろう。
だが魔術に対しては、いかなナイリアンの騎士であろうとほかの非魔術師と同じように無力だ。〈白光の騎士〉の手に魔力は宿らない。
しかし、彼が、ジョリス・オードナーがここにいる。そのことが、次なる扉を――文字通り――開くことになるのだ。
『……きたか、ジョリス』
どこからか、声が聞こえた。兵たちは剣に手をかけて辺りを見回し、侍女はますます顔を青くした。
『ちょうどいい』
バンと派手な音を立てて、重く豪奢な扉が開いた。同時に奇怪な突風が吹き抜け、兵士たちですらよろめいた。
『ジョリス・オードナーを呼べ、と言おうとしていたところだ』
その声はくぐもって聞こえ、たとえ知人のものであっても判らなかったであろう。
『入れ。貴殿に用がある』
「……ほう」
ジョリスはわずかに唇を歪めた。マロナや近衛たちも近づこうとしたが、その瞬間、ジョリスと彼らの間に稲光が走る。
『〈白光の騎士〉殿だけだ』
「何だと」
「ふざけたことを」
「いや」
色めき立つ彼らにジョリスは片手を上げた。
「ひとりで行こう」
「お、お待ちを、ジョリス殿」
マロナがとめようとする。
「ご無理は……」
彼はジョリスの状態を知っていた。思っていたより体調はよさそうに見えたが、同時にジョリス・オードナーなら不調を押し隠すだろうということもよく判っていた。ましてやこの事態であれば。
「大丈夫だ」
「貴殿のそれは信じぬようにと殿下から仰せつかっている」
苦い顔で彼は言い、ジョリスは首を振った。
「いまは本当に大丈夫なのだ。神官殿のお力でな」
「しかし」
「貴殿は城下へ」
「……はっ?」
突然の言葉に年上の騎士は目をしばたたいた。
「街で奇妙なことが起きている。ほかに、城内にいる騎士は」
「みな、出払っている。シザード殿がそろそろ戻られるはずだが」
「では戻れば彼にも事態が判ろう。とにかく貴殿は街へ。神殿と協力をして、事態の解明を」
「で、ですが――」
〈白光の騎士〉はそれ以上聞かなかった。彼は怖れ気なく戸をくぐった。その背後で人手のないまま扉の閉まる音がしても、振り向きもせず。
ジョリスとて、この部屋に足を踏み入れたことはそうそうない。ここは国王レスダールの完全なる私室。ナイリアンの騎士たちが王と顔を合わせるのは王室か、或いは彼らの執務室、または兵舎や訓練中の広場などだ。
そこは二室で構成されていた。入ってすぐの部屋は客室という感じだが、訪問客などはまずない。王が就寝前にくつろぐための空間だ。もしも目利きの商人が見れば、絨毯や調度品はもとより、ありとあらゆる小物まで贅を尽くされていることが判っただろう。いや、そうでなくともここがナイリアン国王の部屋であると知っていれば誰だってそう思う。
もっともジョリスは室内を一顧だにせず、まっすぐに隣室へと向かった。レスダールはそこで休んでいるはずだ。そして、彼を招いた「魔術師」もまた。
誰がそこにいるのか、もはや考えてみる必要もなかったと言える。
歩を進めるとジョリスは正面からその人物、またはそれと対峙した。
「ご無沙汰を」
ジョリスは言った。
「いろいろと貴殿の計画に支障をきたしたようで申し訳ない」
まず出た、これはジョリスには珍しい皮肉であった。
「だが詫びはこれだけだ。――リヤン・コルシェント」
まっすぐに彼は死んだはずの魔術師を見据えた。
「ほう」
フードを深くかぶった人影はのどを鳴らすように笑った。
「判るか」
「判らせようとしていたのであろうに」
彼は指摘した。
「幽霊騒動に……ヒューデアの件も」
「ヒューデア」
ぼそぼそと魔術師は繰り返した。
「知らぬな」
「恍けるつもりでなければ、名も知らずにいたということか。彼がどのような人物かも知らぬまま」
ぎゅっとジョリスは両の拳を握りしめた。
「殺した、と」
「ジョリス」
フードの向こうからのぞく瞳は、まるで光るかのようだった。
「殺すのであれば……お前を」
「残念だ、術師」
〈白光の騎士〉は怯むことなくその目線を受け止めた。
「貴殿にとて、真摯にナイリアン国と人々のことを考えた時期があったろうに」
「……殺す……」
獄界から響くような声と形容するものがあるとすれば、それはまさしくこのような声であったろう。
だが引かなかった。ジョリスは。短剣ひとつ、身につけておらずとも。
「疾く、去れ。リヤン・コルシェント。ここから、いや、この世界からだ。行き先が冥界か獄界かは知らぬが――」
「知らない、とはね!」
くすりと笑う声がした。ジョリスはぴくりとする。
「そんなはずはないだろう、〈白光の騎士〉殿。たとえその手ではひとりの子供も殺していなかったところで、悪魔と関わった者にラファランが手を差し伸べるとでも?」
「冥界の理は知らぬ」
彼はまずそう答えた。
「ようこそ、〈白光の騎士〉ジョリス・オードナー殿。お初にお目にかかる」
魔術師の隣に魔術師の如く現れ、優雅に宮廷式の礼をした青年の姿は、ジョリスには覚えのないものだった。
「貴殿は」
しかし、これまでの要素を合わせていけば、自然とはめ絵は完成する。
「ラスピーシュ・レクリア・ラシアッド殿下」
完名を呼ばれた青年は、にっこりと微笑んだ。
「有難いね、私の名を知っていてくれるとは。実に光栄だ」
彼は伸び気味の巻き毛をかき上げて満足そうにした。
「ふむ。これも」
と、ついでのように髪を少し引っ張る。
「そろそろきれいにしないとならないな。私自身はあまり好きではないんだが、さすがに新王の戴冠式に格好を整えない訳にはいかないからね」
まるで茶会か何かで顔を合わせているように、彼は気楽な様子で話した。
「どうかな? 君も」
笑みを浮かべたままラスピーシュは言った。
「みんな、うちへご招待しているところだ。ご存知だろうけれど、君の兄上殿もね」
ラスピーシュは片目をつむり、ジョリスは黙っていた。
「君がやってくると知ったら喜ぶんじゃないかな。兄上たるサズロ殿をはじめ、オルフィ君やシレキ殿、サレーヒ殿も」
彼は列挙した。
「リチェリン君もね」
最後の名にジョリスは顔をしかめた。
「拐かしについて、認めると?」
「ああ、そう言えば!」
ぱちんとラスピーシュは手を打ち合わせる。
「もっと楽しみにしている人物がいた。君の親友だ」
騎士の疑問、それとも確認を完全に無視してラスピーシュは続けた。
「ハサレック殿は君のことが気にかかって仕方ないみたいだね。さっきも訪れたんだろう? そしてラシアッドのことを洩らした」
「計画の上、と?」
「いいや」
ラスピーシュは手を振った。
「私は彼に何も指示を出していない。ただ、魔術のような移動に関しては、彼と契約している悪魔の力だろうから、そこには何か約束ごとがあるかもしれない。注意するといい」
「ご忠告、感謝する」
ジョリスはそうとだけ言った。ラスピーシュは笑う。




