04 魔力
カナトとクートントはすぐに仲良くなった。
この荷車にはたいていオルフィと荷物しか乗らないのだが、小柄なカナトは重さも大したことがないようで、驢馬の歩みはいつもと変わらなかった。
「オルフィさん」
「うん?」
「あの、僕、思ったんですけど。まずはルタイの砦に行った方がいいんじゃないですか」
「カルセンより先にってことか? ちょっと遠回りになっちまうけど」
「ジョリス様のことなら砦で聞けると思います」
「そうだな。俺が黒騎士と遭遇したって話もしといた方がいいだろう」
判ったとオルフィはうなずいた。
「まずは砦だな」
そうして彼らは、寂れた街道を南へと向かった。
「あの、さ。カナト」
御者席からオルフィは少年に声をかける。
「変な話だけどさ、君は俺を心配してくれて、かつ、このまま黒騎士を放ってもおけないから、魔術が役に立つならと思ってくれた訳だろう?」
「そうです」
こくりと少年はうなずいた。
「何も変じゃないですよ」
「俺にとってそれは有難いんだけど、同時に君のことが心配にもなるんだ。いくら魔術師だと言っても未成年なんだし」
「自分のことにはちゃんと責任を持ちます。オルフィさんに面倒を見てくれなんて言いませんよ」
笑って少年は言った。
「そうだ、それ」
「はい?」
「オルフィ『さん』っての、やめないか」
「駄目ですか?」
「『さん』なんてつけられると、何だかもぞもぞする」
「セル・オルフィ」だなんて、ちょっとした冗談以外ではまず呼ばれることがない。ジョリスに言われたときもそうだったが、くすぐったい感じがした。
「ただのオルフィでいいよ」
「オルフィ」
カナトは試しにという風情で呟いた。
「何だか照れます」
「さん付けの方が照れるよ」
「そうですか?」
「俺が『カナトさん』って呼んだら変な感じがするだろ?」
「そりゃあ、だって、オルフィさんは年上ですし」
「『オルフィ』」
「あ、はい」
すみません、とカナトは謝った。
「謝らなくてもいいよ」
若者は苦笑した。
「むしろ俺が、そう呼んでくれって頼んでるんだから」
「判りました。頑張ります」
真剣な声音でカナトは答えた。オルフィはまた苦笑する。
「なあ、カナト」
「はい、オルフィ」
「……さっきのあれ、何なんだ?」
サーマラ村を出て十数分、オルフィはようやく尋ねた。
「あれって、何ですか?」
「包帯の話をしたとき。その、何て言うか」
ううん、と彼はうなった。
「君の声が、頭のなかで聞こえたみたいな感じがして」
「ああ、あれですか」
カナトはうなずいた。
「お師匠には言わない方がいいかなと思ったんです。オルフィさ……オルフィ、隠そうとしていたみたいでしたし」
「あれってやっぱり君の声だったのか。魔術?」
「ええ。すみません。驚かせて」
「いや、それはいいんだけど」
「〈心の声〉なんて言い方をします。普通は魔術師同士が使うもので、相手が目の前じゃなくてずっと遠くにいても言葉をやり取りすることができるんです。ですが僕がやったみたいに、魔力を持たない相手にも声をかけることはできます。さっきのやり方はちょっと上手じゃなかったですけど」
「上手下手があるのか? ちゃんと伝わらないとか?」
「いえ、そういうことはありません。現実の声と違って、かすれるとか騒音に紛れるとかいうことはないんで」
「じゃあ上手じゃなかったっていうのは」
「オルフィを驚かせたからです」
カナトはどこかしょんぼりと言った。
「非魔術師に声をかけるときは本来、もっと慎重にやるべきなんです。でもさっきは、僕が同行することをオルフィに認めてもらいたくて」
「いや、そのことはいいよ。確かに驚いたけど、びっくりして腰を抜かすってほどじゃなかったし」
それより、と彼は続けた。
「呪いってどういうことだ」
「そのままです」
少年魔術師は答えた。
「何でもないって言いますけど、魔術師には一目瞭然です。その包帯の下から魔力が感じられます」
「魔力……なのか」
「はい」
「悪いもの、か?」
少し動悸を激しくしながら彼は問うた。
「魔力には、いいとか悪いとか、ないんです」
まず魔術師はそう答えた。
「おとぎ話なんかではよく『悪い魔法使い』というのが出てきますよね。魔術を使って悪事を働き、人々を困らせる」
少し笑ってカナトは言った。魔術師としては笑うしかないという辺りなのかもしれない。
「ですが、悪事に使われた魔力と、そうではない魔力……お話では、悪い魔法使いをよい魔法使いが退治するということはあまりないですけど、仮にそういうことがあったとしても、その二者の魔力に違いはないんです。判りますか?」
心配そうにカナトは言った。
「何となく」
オルフィはうなずいた。
「戦士で言うなら、『剣』に善悪はないってことか」
「そう! そうです」
嬉しそうな声がした。
「使う人物と使い方の問題であって、魔力そのものに善し悪しはありません」
「そっか」
オルフィはその説明を感覚的に理解できたものの、生憎と解決には結びつかなかった。「悪いものである」と言われなかったのはいいが、「よいものである」でもない。
「でも、呪いだと思ったんだろう? それはどうしてなんだ?」
「よいものだとオルフィが考えているなら、慌てたり隠したりすることはないだろうと思ったからです」
その言葉にオルフィは乾いた笑いを浮かべた。
「驚かされてばかりだなあ。カナト、君、本当に十三?」
「はい。もうすぐ十四です」
何を問われたか判らないと言うようにカナトは目をしばたたいた。
「まるで年下って感じがしないよ」
「すみません。生意気だって言われます」
「いやいやそうじゃなくて」
遠慮と謙遜の塊みたいな子だな、と思いながらオルフィは片手を振った。
「君はずいぶんいろいろ知ってて、俺は負けてるなあって思っただけだよ」
「そんな。勝つとか負けるとかじゃないでしょう」
「それもまた、ごもっとも」
「あっ、すみません。また生意気なことを言いました」
「謝らなくていいってば」
オルフィは背後を振り向いた。
「サーマラ村ではさ、何だか威勢のよかったときもあったじゃないか。俺には『心得』がないとかって」
「あ、あれは、その」
カナトは少し顔を赤らめた。
「たまにやっちゃうんです。何だかかーっとして。余計に生意気だって思われるから気をつけないといけないんですけど」
「気にしてないよ。と言うより、それまで遠慮がちだったのが直接ぶつかってこられたみたいで、悪い気分じゃなかった」
「そう、ですか?」
「ああ」
そう、とオルフィは認めるとまた前を向いた。
「波風を立てないように謝ってしまうのもひとつの手だけどさ。カナトみたいな年齢からやること、ないじゃないか。爺さんにはぽんぽん言ってたし、あっちの方が君の自然体なんだろ?」
「お師匠には、その、すぐ話を混ぜっ返されるので、対抗しようと思っていたらいつの間にかあんなふうに」
「成程なあ。案外ミュロンさんは、判ってて君のそういうとこを引き出したのかもな」
「え?」
「いや、俺はあの人のことは何にも知らないけど。たまに突拍子もないことを言う割には変な人じゃないって言うか。神父様が信頼してたんだから、ああ見えても立派な人なんじゃないかと」
言いながらオルフィは苦笑した。ミュロンを褒めているのかけなしているのか自分でもよく判らない感じの言いようになったからだ。
「僕はずいぶん早くから魔力を顕してしまって、物心ついたときには既に親から離れて導師の世話になっており、そのお宅から魔術師協会に通う暮らしをしていました」
不意にカナトは言った。驚いてオルフィはまた振り返った。
「あっ、そんなには珍しいことでもないんですよ。魔力が発現するのは子供の頃であることが多いので。親元から離れるのはよくあることです」
「いや、でもいま君が言ったのは」
オルフィは顔をしかめた。
「物心つく前に親から引き離されたってことじゃ……」
「まあ、そうです」
カナトは肩をすくめた。
「母とは少々手紙のやり取りがありましたけれど、僕はその顔を覚えていません。魔力を持つ子供を協会に預けて縁を切ってしまう親は珍しくないん……」
「珍しいとか珍しくないとかじゃないだろ。たとえほかに同じ境遇の奴が何十人何百人いようが、カナトの体験はひとつなんだから」
「オルフィ」
少年は目をぱちぱちとさせた。
「大変だったな、なんて言うのも、月並みだけど」
ううん、とオルフィはうなった。
「有難うございます。でも別に大変ということはなかったですよ。魔術を学ぶには適した環境でしたし、お師匠も紹介してもらえましたし」
カナトはあっけらかんとしたものだった。
「そ、か」
当人にとってはそんなものなのかもしれない。むしろ、哀れまれるなど筋違いで不愉快だと感じることもあるのかもしれない。
(でも何だか)
(可哀相だと言うんじゃないけど、何だか)
違和感があるとでも言うのか。いや、そうではない。だが何かもやもやしたものを感じる。
(……魔力)
(そうか。魔力ってもんの存在がカナトの人生を変えた、そのことが)
もしカナトに魔力がなかったら。いや、そうでもない。もし、魔術が忌まわしいものだと思われていなかったら。そうであったら子供は親に捨てられることがなかった。
「実の親と暮らす」ことは、必ずしも幸せに繋がるとは限らない。両親の人となりや状況次第では、協会に引き取られる方がその子にとってよかったということも有り得る。
だから、一概にいいとか悪いとか言うことはできない。
ただ、少なくとも、カナト自身に選択の余地がないところで彼の人生が変わってしまったことは間違いない。そんなふうに。




