12 残念だよ
ともにリチェリンを――神子を守った日々も、偽りのようなもの。ラスピーシュが彼女を気にかけたのは、利用するためだった。
反逆者にしてピニアを傷つけた魔術師を手駒にし、何か企んでいる。
これは、敵だ。
躊躇わなかった。
次の瞬間、彼は素早く踏み込んだ。
そのつもりだった。
「無理は、よくないな」
気遣うようにロズウィンドは呟いた。
「まだ本調子ではないということを忘れていたのか?」
「魔術……ではないと言うのか」
うなり気味に彼は言った。
目の前が、真っ赤になった。
何が起きているのか、判らない。
「せっかく助かった命だと言うのに……そんな無駄遣いをして終わることになるなんて」
嘆息混じりの声が聞こえる。これはラスピーシュか、ロズウィンドなのか。
「残念だよ、ヒューデア君。本当に残念だ。君にもラシアッドにきてもらいたかった」
ひざが折れた。立っていられない。剣を落とした。手放す気はないのに。腹に手を当てた。
そこには、腹がないように感じられた。
代わりに、何かぬるぬるとした不気味な感触がある。これは、何なのか。
「だが仕方ない。これだけはっきりと敵意を見せられては懐柔の余地はないと判断せざるを得ない。女への感情のためとは、くだらなさすぎる」
「残念だなあ」
くすりと笑う声は、また別のものだった。
「僕も少し、楽しみにしていたところがあったんだ。キエヴは、アミツはどう動くのか。使いたる若者に何を示唆するのか。彼が敵に回ったらオルフィはどうするのか、なんてこともね」
空中にあぐらをかき、手が疲れたとでも言うように振りながら、悪魔は彼らを見下ろしていた。ロズウィンドはちらりとそれを眺め、ラスピーシュは顔をしかめてそれと、そして――。
「ああ」
ラスピーシュは嘆息した。
「何も殺さなくても。私に任せてくれたらよかったのに」
「操れたか? お前に」
「正直、自信はなかったですが」
仕方ない、と彼は肩をすくめた。
「せめて、痛みを感じないようにしてあげてくれ。私と彼の素晴らしい時間に免じて」
第二王子が言えば悪魔は少し笑った。
「悪魔に慈悲を要求するのかい?」
面白そうにニイロドスは問い返した。
「気にしなくてもいいようだよ。そこはアミツが何とかしてくれているようだからね」
もとより、とニイロドスは手を振った。
「僕だって苦しみは好きだけれど、単に肉体を痛めつけて生じるものはあんまり面白いとは思わないかな」
戯けた台詞に言葉を返すことも、彼にはもうできなかった。声が、音が次第に聞こえなくなっていく。
何か遠くに、見えるものがあった。
(光)
(あれは、アミツ?)
(いや、違う。もっと――)
(もっと強い、何か)
(エク=ヴーなのか)
そうした考えが不思議と自然に浮かんだ。
(俺を)
(迎えに)
そこで、彼の思考は途絶えた。
「アミツはあくまでも指針、それを目にする者を守る役には立たなかったか。皮肉なものだ」
腹部をえぐられたような凄惨な遺体を見下ろしながら、ロズウィンドは目を細めた。
「これでクロセニーも途絶えた。やはり分断したのが問題だったと私は思うが。ラスピーシュ、お前はどう思う」
振り返って彼は尋ねた。
「どうでしょうね」
ラスピーシュは首を振った。
「血筋、ということ自体が弱いのかもしれないと、時々思うようです」
「それは我々自身もということか」
「もとより、彼はクロセニーであったが、アミツを見る者は血筋に頼らない。それがエク=ヴーの選択なのでは、とも」
「ほう」
ロズウィンドは片眉を上げた。
「いえいえ」
弟は両手を振った。
「誤解しないでいただきたい。我々の血筋、そして権利……それは重要なことだ。そこを否定したつもりじゃありませんよ」
「何も怒ってなどはいないさ」
優しく、兄王子は笑った。
「クロセニー。クロシア。ただ、クロセニーはともかく、クロシアがエクール湖に残ったままだったら、いろいろと不都合だったのでは?」
「そうだな。ノイがいないと困る」
簡単に答えてロズウィンドは肩をすくめた。
「魔術師殿のご意見は?」
彼はコルシェントを振り返った。答えは何もなかった。
「エクールの民や、クロスの血筋などに興味はない、というところかな」
残念そうに、またはそれを装って、ロズウィンドは首を振った。
「少なくとも『彼が可哀相だ』ということはないだろうね」
くすりとニイロドスが言った。
「恋敵が片付いて万々歳だろうから」
「どうでもよいこと」
うっそりとした声が言った。
「それは何が? アミツを見る若者の死が? 占い師嬢のことではないだろうね、君の最高の心残りなんだから。……ああ」
ぽんとニイロドスは手を叩いた。
「ジョリス・オードナーが生きているからには、この彼なんて大した恋敵じゃなかったってことか。それは確かだな。でも君は巧くやっていたじゃないか、気の毒なピニア殿は、騎士殿の顔だって見たくなくなっているはずだ」
魔術師はまた無言に戻った。その瞳は不気味に赤く光り、何を考えているものか読みがたかった。
「さあ、いつまでもここで話していることもない。もう移るとしよう」
ロズウィンドが告げた。
「いささか人目を引く遺体となったが」
「やり過ぎたかな?」
悪魔が首をかしげる。
「ちょっと撫でたくらいのつもりだったんだけれど。人間は弱いから」
「私を彼の剣から守ってくれたんだろう。文句はないさ」
肩をすくめてラシアッド第一王子は返した。
「幽霊騒動と結びつけてもらうのがいいだろう。かのイゼフ神官なら、少々気づくこともありそうだ。こちらから誘導してもいい」
第一王子はそんなふうに言うと、笑みを浮かべて弟を見た。
「どうした? ラスピーシュ」
「いいえ」
彼は嘆息した。
「ヒューデア君とは、少々縁がありましたのでね」
「成程」
兄は気の毒そうな顔を見せた。
「ならば悼んでいくといい」
「では少しだけ、挨拶を」
ラスピーシュはすっと地に膝をつけると、瞳の光を失ったヒューデアの顔をのぞき込んだ。
「さらばだ、ヒューデア君」
小さく彼は囁いた。
「おそらく君は真っ当に冥界行きだろうから、あちらでの再会は望めないな」
本当に、と彼は首を振った。
「とても残念だよ」
(第4章へつづく)




