10 どんな思想があると
ヒューデアの前に立つ、ふたりの男。それはラシアッドの第二王子と、黒ローブの魔術師だった。路地裏でヒューデアは、じろりと二者を睨んだ。
「どういう意味だ」
「どうもこうもない。そのままだよ」
ラスピーシュは気軽に答えた。
「こちらはリヤン・コルシェント殿。ナイリアン国の前宮廷魔術師ということになる」
「俺はその人物の顔を知らないが」
ヒューデアは魔術師を睨んだ。
「コルシェントは死んだはずだ」
「ああ、そうだ」
平然とラシアッド王子は返した。
「だがたまには、冥界から帰ってくる者もいるんだ。ああ、獄界かな。まあ厳密に言えば、獄界までも行かなかったんだろうけれど」
恍けた調子でラスピーシュは肩をすくめた。
「……話は、聞いている。お前が、死を見届けたと」
「そうだったかな?」
「ラスピー」
「はは、君の疑いが判ったよ。私が何か、ごまかしをしたと思っているんだろう。彼を死んだと見せかけて、実は生かしておいたというような」
「そのようなことは、一言も言っていないが」
ヒューデアは眉根をひそめた。
「そうなのか?」
「さあ」
どうかなとラスピーシュは嘯いた。
「貴様」
「おっと、冗談だ、そんな顔をしないでくれ。だいたい、あの場には祭司長もイゼフ神官もおいでだった。彼らが死んだふりなんかに騙されると思うのかい?」
「いいや」
きっぱりと彼は返事をした。
「キンロップ祭司長のことは知らない。だがイゼフ殿は小細工などに弄される人物ではない」
「信頼しているんだな」
ラスピーシュは目をしばたたいた。
「彼は俺の恩人でもある。だがそのような話はどうでもいい」
少し苛立たしげにヒューデアは手を振った。
「どういうことだ。これがコルシェントだと?」
「いかにも」
魔術師が、うっそりと口を開いた。その低い、かすれた声に、ヒューデアは少しぎくりとした。
「我が名はリヤン・コルシェント」
コルシェントを知る人物が見れば、驚愕したであろう。それは死んだはずの前宮廷魔術師としか見えなかった。
だが同時に、別人のようでもあった。
確かに顔かたちはリヤン・コルシェントに相違ない。しかし、浮かんでいた表情は、たとえ腹の底で何を考えていたとしても表面的には穏やかで理知的な様子を保っていた前宮廷魔術師とはあまりにも違った。
と言っても冷酷だとか残虐だとか言うのではない。無表情と言うのとも違う。
それは、どこか苛立たしげとでも言うのか。何かをこらえているような。だが理性的にこらえていると言うよりは、むしろどす黒いものが阻まれることなくにじみ出てしまっているかのような。
「私は死んだ」
不気味に響く声に、ヒューデアともあろう者がぞっと肌に粟を立たせた。
「ああ、殺されたとも。――そこのいまいましい相手にな」
コルシェントはラスピーシュを見ていた。
「何だと……」
「はは、これは内緒で頼みたいね。いかに極悪人と言えども、他国内でラシアッドの王子が人を殺害したなどとは、よろしくないから」
笑ってラスピーシュは、認めるも同然のことを言った。
「何かな? 私に罪があると告発でもするかな? だとしても、意味はない」
彼は首を振った。
「どうせ術師は囚われ、処刑されただろう。それまでにはいろいろな手間もかかっただろうな。大魔術師を逃がさないためには何人もの魔術師を雇いでもしなければならなかっただろう。その辺りの面倒を省いてやったんだ、感謝されこそすれ、罰される謂われはないはずだ」
全く悪びれる様子もなく、ラスピーシュは言い放った。
(判っていて、言っているな)
本心から感謝されるとは思っていないだろう。だが実際問題、ナイリアンとしては罰せるはずもない。そこを判って、言っている。
(思っていた以上に、性質の悪い男ということか)
見抜けなかった。軽い言動に騙され、その裏にあるものを。
ヒューデアは拳を握り、ラスピーシュと、それからコルシェントを見た。
「……死人は蘇らない。死んでいなかったということなのだろうが」
「例外もあると言った通りさ」
さらりとラスピーシュは返した。
「幽霊というのは近いようで遠いだろう。ああしたものは霊体のみの存在だが、この彼には実体がある」
ぽんとラスピーシュはコルシェントと呼んだ魔術師の肩に手を置いた。魔術師は少々嫌そうな顔を見せた。
「ならば〈蘇り人〉か」
「はは、よく知っているね、そんなもののこと」
「キエヴとて何も閉ざされた村ではない」
ナイリアンでよく聞かれる伝承は同じように聞かれる。アミツの話が当たり前である分、ほかの場所では「子供向けのおとぎ話」と思われるような話も重視するくらいだ。
「近いけれど、少し違うだろうな。〈蘇り人〉は妖術、妖力で蘇った死体……いや、あれは動くだけで蘇ったとはとても言えない。時間が経てば腐ってしまうしね。一方でこのコルシェント術師は」
ラスピーシュはにっこりと魔術師をのぞき込んだ。
「鼓動も呼吸もしている。意思もあって、魔術だって使える。ただし、生憎と記憶にはかなり穴が空いている。愛憎にまつわる強烈なことはしっかり覚えているようだけれど」
くすりと男は笑った。
「〈蘇り人〉よりは賢いと思うけれど、言うなれば生ける屍……かな」
「生きていた、ということでないのなら」
思い至ることもある。
「――悪魔の業か」
「当たり」
実に気軽な様子で、ラスピーシュは拍手などした。
「私だってこういうことが楽しいとは思わない。でも、ナイリアンにはちょっと優秀な駒が多すぎるんだ」
彼は肩をすくめた。
「兄上も同じご意見で」
すっとラスピーシュは背後を振り返った。そこにはもうひとり、ラスピーシュをそのまま数年年を取らせたような青年が立っていた。
いや、類似性は高いが、印象は違う。
ラスピーシュが陽気で人好きのしそうな青年と言えるなら、その人物は穏やかで物静かな青年という雰囲気だった。
だがそれが誰であるか、そしてどういう位置にいる人間であるかが判っていれば、冗談にも「害のなさそうな」などとは言えないであろう。
「……ラシアッド第一王子、ロズウィンドか」
緑色の瞳をきゅっとひそめてヒューデアは言った。質問の意図はない。判っていた。
「無礼は許そう」
ロズウィンドは優しい笑みを浮かべて鷹揚に返した。
「何の思想もなく、ただ地位だけに対してかしずかれるのは、私も好みではないのでね」
「思想」
ヒューデアは繰り返した。
「隣国を荒らそうという王子に、どんな思想があると」
「クロシアがみな話したはずだ」
第一王子は気にもとめない様子だった。
「ラスピーシュの言った通り。現状では少々、均衡が悪い」
「ラシアッドにも少し、もらいたいということだよ」
にっこりと弟が補足する。
「お前たちが何を企もうと知ったことではない。だが」
ヒューデアはふらりと立ち上がると、左腰の細剣を抜いた。ラスピーシュは片眉を上げる。
「おやおや、ヒューデア君。街なかでの抜剣はいけないと、キエヴでは教わらないのかな?」




