03 同行者がいたら
「僕がいたら嫌ですか?」
「嫌だってことは、ないけど……」
「首都に行くことは、真剣に視野に入れましょう」
「は?」
「ジョリス様と行き違う可能性は十二分にあります。オルフィさんがこちらへきている間に、もうナイリアールに向けてお戻りかも」
「ないとは言えないなあ」
オルフィは両腕を組んだ。
「このサーマラ村は砦から北だけど、ジョリス様が向かったチェイデ村は西だもんな」
ジョリスが黒騎士を追ってより遠くへ行くことはない――黒騎士は昨夜、砦とサーマラの間に現れた――のだ。騎士はチェイデで話を聞いたあとカルセンへ出向いてタルーの死を知り、オルフィの伝言も聞いて、既に首都へ戻ろうとしているところかもしれない。
「わしが騎士殿であれば、見知らぬ若造に預けた荷のことが気になって、容易には帰れんと思うがなあ」
「お師匠、何ですかそれは。オルフィさんが信用ならないとでも言うんですか」
「これはわしの感想じゃないわい。騎士殿の立場であればそう考えて当然だと言っちょる」
ふんとミュロンは鼻を鳴らした。カナトはまるで自分が信用ならないと言われたかのように師匠を少し睨んだ。仕方なくオルフィは片手を上げる。
「ミュロン爺さんの言う通りだ。ジョリス様はどうしてか、荷運び屋としての俺を信用して下さった。でもそのことと、俺が信用されたってことは似て非なるんだ」
考えながら彼は言った。
「カルセンを出るときはふたつの強烈な出来事に興奮してたけど、落ち着いて考えてみれば、俺はちょっと舞い上がってた」
彼は唇を歪めてあごをかいた。
「ジョリス様のことを考えるなら俺はカルセン村であの人を待つべきだった。神父様の用事を果たすことにしたなら、『神父様以外には決して渡さないように』との指示はもう意味をなさないと判断して、リチェリンに荷を預けるべきだったのかもしれない」
でも、と彼は呟いた。
「もし……黒騎士が荷を追ってリチェリンに迫ったらと思うと、俺が持ってきてよかったなとも、思う」
「リチェリンさんというのは?」
「あ、俺の幼馴染みだ。タルー神父のところで神女になる勉強をしてた」
半ば独り言のように呟いていたことに気づいたオルフィは、はっとして説明した。
「成程」
ミュロンがにやりとした。
「お前さんのコレか。ああん?」
そして、肉体関係のある恋人を表す、いささか品のない仕草をする。
「違うッ」
「お師匠! 失礼ですよ!」
「わはは、すまんすまん」
老人は深刻さのかけらもなく笑った。
「まあ、そう、だな」
オルフィは誰にともなく呟いた。
(リチェリンが危ない目に遭わなかったってだけで、俺としちゃこの選択でよかったと)
うん、とオルフィはうなずいた。
(籠手の件はともかく、箱を持ってきたことは正しかった)
結果的には、ということになるものの、彼は心からそう思えた。
過ちは、ひとつだけだ。
(ひとつでも、充分すぎるけどさ)
「少しは落ち着いたようだな?」
「え?」
「顔に出とる」
ミュロンは鼻を鳴らした。
「詳しいことは何も訊かん。わしが聞いたところで何の手助けもできんだろうからな。だが、年寄りからひとつだけ助言だ」
老人は指を一本立てた。
「視野は常に広く持て。『選択できることはひとつだけ』なんて状況は、滅多にないもんだ。先ほど、荷を持ってくるべきだったかどうかということを思ったろう。ああしたことを考えるのを忘れるな」
ミュロンはじっとオルフィを見つめた。
「あらゆる角度から……というのは難しくとも、ちょいと二、三個、違う方面から物事を考えてみるようにな。たとえ採るものが最初の考えと変わらずとも、異なる視点を持ったことは必ず役に立つ」
「……はい」
少し考えて、オルフィはうなずいた。
(カナトがこの爺さんを師匠とするのが)
(ちょっとだけ判った気もする)
「よし、まずはジョリス様だ」
オルフィは立ち上がるとそう言った。
「それじゃカナト。とりあえずカルセン村までつき合ってくれ。そのあとのことはまたそこで考えよう」
「別に考える必要ないですよ」
少年魔術師は肩をすくめた。
「僕は、オルフィさんと行くって言ってるんですから」
「でもなあ」
「いいじゃないですか。同行者がいたら」
ちらっとカナトはオルフィの左腕に目をやった。
「包帯を替えるのも楽ですよ」
「えっ、これは別に、俺ひとりで」
「遠慮しなくていいですよ」
カナトはにっこりとした。
『――呪いは専門外ですけど、少しはお手伝いできるかと』
「えっ?」
オルフィは目を見開いた。
「いま……」
「さあ、それじゃ行きましょう。簡単な支度をしてきますから、少しだけ待って下さい」
「そうじゃ。餞別をやろう」
ぽん、とミュロンが手を叩いた。
「何ですって?」
カナトが師匠を見た。オルフィは質問の時機を逸した。
「これを持っていけ」
言うと老人は懐から何か取り出して弟子に差し出した。
「これは何ですか?」
カナトはその平べったい鋳物を受け取ると、ためつすがめつした。
「タルーの話で思い出したんじゃ。あやつのところの村人が拾ったそうじゃが、気味悪がって祓ってくれと教会に持ち込んだのじゃとか」
「何の形だろう?」
オルフィものぞき込んで首をかしげた。
「竜……ですかね」
カナトは黒々とした丸い金板に見て取れるものをそう判定した。
「当たりじゃ」
ミュロンはうなずいた。
「ええ? 竜って言うより……蛇じゃないか?」
思わずオルフィは指摘した。手のひらに収まる程度、直径五、六ファインほどの円のなかに、透かし彫りでうねうねと何かが形取られているようだ。形状は何となく判ったものの、それは「竜」という言葉から想像される翼ある大きな生き物ではなく、少し短めの蛇のように見えた。
「翼のない竜もいるのじゃよ」
ミュロンは簡単に説明した。
「へえ」
初めて聞いた、とオルフィは返した。
「気味が悪いなどとは罰当たりな村人じゃな。〈空飛ぶ蛇〉とも呼ばれる竜のことを知らんのか?」
「知らない」
目をぱちぱちさせて彼は素直に答えた。ミュロンは鼻を鳴らした。
「あれらの竜は、太古の時代には神のように崇められた存在じゃ」
「へえ」
初めて聞いた、とオルフィはまた言った。
「もっともこれは〈空飛ぶ蛇〉そのものではなく、その眷属と言ったところじゃろう」
「ケンゾク?」
「簡単に言えば、親戚という感じです。近いか遠いかは……」
カナトは説明をして、ちらりと師匠を見た。
「判らぬな」
ミュロンは簡単に答えた。
「では悪いものではないんですね」
「そうじゃな。タルーは、少なくとも神官が祓うべきものは何もないと。だが念のためどういう素性のものか確認してくれと、わしにな」
「少なくとも魔力は感じません」
カナトは鋳物のような黒い透かし竜をそっと撫でた。
「うむ。わしが依頼した知り合いの魔術師も同じことを言っておった。生憎と『素性』の方はまだよく判らんが、守護符であることは間違いない」
「守護符?」
「普通は、神官や魔術師が力を込めたもののことです。簡単に言えばお守りですね」
首をひねるオルフィに、またカナトが説明した。
「でもこれには、魔力も神力もないってことなんだろ?」
魔術師の振るう力を魔力と言うのに対し、神官のそれは神力と呼ばれた。
「そうじゃな。じゃが作られたとき守護符となるよう願いを込められた、それだけで充分、守りになるもんなんじゃ」
うんうんとミュロンは自分の言葉にうなずいた。オルフィは正直、ぴんとこなかった。カナトは考えるようにじっと透かし竜を見つめ、その小さな手できゅっと握り締めると顔を上げた。
「有難うございます、お師匠。お預かりします」
「預けるなどとは言っとらんぞ。お前にやったんじゃ。あとは煮るなり焼くなり好きなようにせえ」
ミュロンは顔をしかめて手を振った。有難うございますとカナトはまた礼を言った。




