06 同然だもの
「父親への対応に関しては、あいつは本当に馬鹿だと思う。正面から喧嘩したところで解決にはならんだろうが、少なくとも、黙って罵倒に耐えるような必要はどこにもないのに」
「……へえ?」
興味深そうに、悪魔は片眉を上げた。
「そう。彼の弱みはそこにあるんだ」
「あれを弱みと言うのかは、知らんな。理想を追って騎士になった連中ってのは、多かれ少なかれ、家族への負い目があるもんだ。家族を捨てても国を守りますと宣言してるようなもんだからな」
「ふうん、成程」
悪魔は首をかしげた。
「君も?」
「皆無だとは言わん。だがぎくしゃくしたのは実際に騎士になるまでで、青銀位に就いた途端、掌を返したようになった」
彼は肩をすくめた。
「下らん名誉欲だが、それがあるから出世したような親父だ。別に俺はかまわんさ。もう死んだしな」
「そう言えば母親の方は確か、突然の息子の『死』に思い出の土地を離れ、カーセスタに暮らしているんだっけね」
「ああ。〈ドミナエ会〉の復讐を避けるためだと説得した。実際、その怖れもいくらかはあったが、実際は知っての通り」
「必要とあらばその情報をナイリアンに洩らして、君がカーセスタにいると思わせることもできると……結局使わなかったようだけれど」
「まあ、知られたところで王子様方が使えない札をひとつ手に入れるだけだ。こちらは損をしない」
「ふふ」
悪魔はまた笑った。
「成程ね。家族への負い目は誰でもあるし、親愛もそこそこあるが、弱みになるってほどじゃない……と、僕に教えてくれたのかな」
「どういう意味だ」
ハサレックは片眉を上げた。ニイロドスは両手を拡げる。
「家族はジョリスの弱みじゃない、と暗に示したいんだろう? 生憎だけれど、君がそうしてかばうことで却って確信したよ。父親もだけれど、やっぱり兄上殿も充分、彼への札になりそうじゃないか?」
「おい」
「何かな?」
「おかしな言い方はするなと言っているだろう。どうして俺がジョリスをかばわなくちゃならん」
「だって君は、彼に手を出すなと言っているも同然だもの」
くすりとニイロドスは笑った。
「面白くてたまらないよ。まだ君はどこかで、彼を友のように思っている。それとも『改めて』なのかな」
「改めて、だと」
「そうさ。彼を死の寸前まで至らしめても、彼が君を憎みも恨みもしていないことに安心して。言うなれば、また懐いてるんだ。あはは、本当に君はもう一度、彼と戦えるの?」
「懐く、とは」
ハサレックは口の端を上げた。
「言ってくれるもんだ」
「ほら、答えてくれないか、ハサレック・ディア。噛み付いても君を叱らないご主人様に、君はもう一度牙を剥くことができるのかい」
「俺を怒らせたいのか?」
「いいや。見えるままを言っているだけさ」
ニイロドスは首を振った。
「悔やんでいないと言う。君もヴィレドーンもね。でも判っているんだろう? 必死で自分に言い聞かせているだけだ。『彼』に刃を向ける必要は本当にあったのかと、それを考えてしまうと、判らなくなるから」
「ヴィレドーンのことは知らない。だが俺は真実、後悔なんてしていない。あいつと双刃なんて呼ばれるのは悪い気分じゃなかったさ。だが違う。俺は戻りたいとは思っていない」
「やむにやまれず実行した彼と、率先して向かい合った君だものね。そこを同じだとは言わないよ。でも不思議なことに、抱えているものは同じなんだ」
「俺に後悔があるとすれば、それは殺し切れなかった後悔だ」
ハサレックは言った。
「ラバンネルだと? ふざけている。そんな奴が出てくると判っていれば、首を切断でもしてやったものを」
「ハサレック、ハサレック」
両手を上げてニイロドスは、まるで彼を落ち着かせようとするかのようだった。
「僕の前で、心にもないことを言うのはよすんだね」
「心にもない? 今度こそ的外れだ、悪魔殿。全くの嘘じゃないさ。本当にそういう気持ちもある。どうして俺はまた、あいつが生きて喋って、俺に礼を言ったりするのを聞かなくちゃならんのだと」
「でもそれ以上に、安堵しているんだろう?」
「安堵だと? 俺がジョリスに罪悪感を抱いているとでも言いたいのか」
「罪悪感とは少し違うかな。でも後ろめたいね、とても。どうして選んでしまったのだろうと、後悔が見えはじめている」
「そんなもの」
「ごまかしても無駄だよ。ふふ、その点ではヴィレドーンの方が優秀かな。つらいことは認めながらも、後悔はしていないと言い続けた」
いまも、と悪魔は唇を舐めた。
「僕にしてみればどちらでもいいんだ。どちらもたまらぬ、美食だから」
「的外れだ」
ハサレックはまた言った。
「どうしてそんなに俺を悔やませていることにしたい?」
「真実に目をつむってもそれは消えないよ」
片目を閉じて悪魔は笑う。
「あんたの得意は不和を煽ることだろう。神官のように慈愛でも説くつもりなのか」
「不和を煽るのは、たいてい、その方が楽しいからさ。でもいまは、こちらの方が楽しいからね」
くすっと笑ってニイロドスは言う。
「とても楽しいよ、ハサレック。僕こそ君に礼を言いたい」
「俺だけじゃ、ないだろう」
彼は肩をすくめた。
「ほかにもオルフィにロズウィンド。みんな見て、楽しんでなきゃならんのだろ?」
「そうだね。おかげさまで、とても充実しているよ」
「充実ときたか」
ハサレックは口の端を上げた。ニイロドスは両手を広げる。
「そう、まるで、気に入りの芸人一座や吟遊詩人が一斉に街にやってきたみたいだ。どれを見物していいか迷う、なんて贅沢な悩みだよね?」
にっこりと悪魔は言った。
「何にも娯楽がない日々は、そりゃあつまらないものだよ。以前はよくエズフェムと勝負ごとをしたんだけれど、彼が消えちゃってからはねえ」
つまらなくて、とニイロドスは肩をすくめた。
「悪魔友だちか。悪魔に友人なんかがいるなら、だが」
「君たちの思うようなつき合いはないね。でも僕とエズフェムはよく賭けごとをして『一緒に遊んだ』とも言えるだろう。――ああ、そうだ」
ぽんとニイロドスは手を叩いた。
「考えようによっては、僕も君たちと似ているところがあるよ。君とヴィレドーンのことだけれど」
「ほう? つまり、友人を殺したか?」
「直接手にかけたと言うのではないけれどね。僕との勝負に敗れて、彼は消滅したんだから」
「消滅」
「そう。人間なら魂が冥界に導かれるか、或いは現世をさまようことになるけれど、悪魔はそのまま死神に捕まって消え去るしかないから」
悪魔は肩をすくめた。
「惜しかったなあ。彼がいたら、もっと楽しかっただろうに」
くすくすと笑う様子は、とても友だか好敵手だかを悼んでいるとは見えなかった。もっとも消沈したような態度が垣間見えでもしたら、ハサレックは仰天しただろうが。
「胸の痛みも後悔も認めないハサレック、君のためにも何とかもう一度ジョリスを舞台に上げたいね」
「何だと?」
「いまのままじゃ、彼は君と剣を交えるどころじゃない。つまらないだろう?」
「お前の業でジョリスを癒やすとでも?」
「『癒やす』のは無理だね。それは僕らの能力には存在しない。でも何か手段を考えるよ、君のために」
「ジョリスは」
ハサレックは何か言いかけ、そこで口をつぐんだ。
「……いや、好きにすればいいさ」
「ふふ、もう巻き込むなとでも、言いたかったのかな?」
「そうは言わん。ただ」
「ただ?」
「あいつは……身体がろくに動かないからと諦めやしないだろう。ほかの騎士を信頼しているが、任せきりにはしないだろう。あいつは、いまのあいつにできる手段を用いて、俺と戦おうとするだろう。ならば俺は」
ハサレックは瞳をぎらりと光らせた。
「それにこそ、対峙したい」
「ふうん」
ニイロドスはその宣言を軽く受け流した。
「まあ、いいさ。僕が彼に何か持ちかけるにせよ、まだ先だ。いまはオルフィ待ちというところだね。彼の選ぶものがこちらにどのような影響を与えるか。僕はそれだって」
楽しみだ、と言って悪魔は、くすくすと肩を震わせて笑った。




