03 おかしいですね
そこで目にした姿はあまりにも思いがけず、オルフィ、それともヴィレドーンは繰り返し、目をしばたたいた。
「あ、あんた」
ごくり、と彼は生唾を飲み込む。
目の前にいるのは、年の頃二十代の半ばの青年だ。少し赤みがかった茶色の髪と夜のように深い濃紺の瞳は特徴的で、よく覚えている。
彼はあの日も赤っぽい髪をきらめかせ、英雄と呼ばれる男の隣で、不思議な杖を振るっていた。
「ラバンネル……!」
そう、そこにいるのは彼の――ヴィレドーンの知る、かの大導師ラバンネルに相違なかった。
出会ったのは――未来か過去か――いまにして思えば、〈導きの丘〉の近くだった。あのときはそんな名称など知らなかったが。
魔物に襲われた小さな隊商を助けんとしているふたりの若者に手を貸した。だが彼らは本来、騎士の手など必要としなかっただろう。
そうだった。アバスターが名乗らなかったものだから、隊商主の感謝はみんな〈漆黒の騎士〉の方にきて、妙な居心地の悪さを覚えたのだ。
その引っかかりもあって、立ち去ったふたりを追いかけた。そして、年上の剣士がかのアバスターであると知った。
ラバンネルの名は知らず、ただアバスターの友人と理解した。魔術師であることは聞いたものの、まさか彼より年下の青年がそれほどの使い手であるなど、思いもよらなかった。
だがすぐに――互いに名乗り、「あなたがあの」アバスターか、〈漆黒の騎士〉か、と驚き合ったあと――ラバンネルは言ったのだ。
「おかしな噂に耳を傾ける前に、誰がそれを流したか、あなたに聞かせようとしたのか、考えてみるべきです」などと。
それはあまりにも突然で、ヴィレドーンはとっさに反応できなかった。
多くの意味で「奇妙」と言える回想が彼の内を駆け抜けた。
「いま」、彼にとって現在と言えるこの地点は、しかしファローが二十歳という「過去」である。だがヴィレドーンは本来、二十歳のファローを知らなかった。だからここは過去であるが、彼にとって新しい現在であることに変わりはない。
これだけでも充分厄介であるのに、いまここにまた、「新しい過去」が。
(そうだ)
(この男は間違いない)
(大導師ラバンネル)
「おや」
赤みがかった茶色い髪の青年もまた、目をぱちくりとさせた。
「どうして私のことを?」
問われて彼ははっとした。
「そ、それは」
(「この」俺は、ラバンネルのことを知らないはず……)
(あれ?)
何か違和感を覚えた。だが、それが何なのかぴんとこない内、相手の方が呟くように言った。
「おかしいですね。あなたとはまだ出会っていないはずなのに」
「……え?」
「ええと、どこかでお会いしましたか?」
「ど、どこって」
彼は混乱した。ラバンネル、アバスターの両英雄に会ったのは過去だが、未来ということになる。
(ん?)
(出会っていないはず、だって?)
違和感の理由が判った。
そうなのだ。
出会っていないはずなのだ。
これはファローと同じ事態ということになる。だがファローと異なるのは、向こうの方でも「おかしい」と気づいていること。
それに――。
(まさか)
きゅっと拳を握り、彼は賭けに出ることにした。
「ああ、会ってる。俺とあんたは、十年近く……あとに」
実に奇妙な台詞だ。相手が「不思議なこと」をよく知る魔術師であっても頭がおかしいと思われるか、最上でも意味が判らないと困惑させるだろう。
だが、彼は札を切った。
もしかしたらと、思ったからだ。
「おや」
ラバンネルはまた言った。
「合っています」
さらりと、魔術師は認めた。
「奇妙な話ですね、とても」
「し、知ってるのか、俺のこと。いや、十年後の……」
何と言ったらいいのか。
「あんたは、何でここに? つまり、この時代に、と言えばいいのかな」
言葉を探しながら、彼は再び札を切った。
とっさに「ラバンネルだ」と出たのは、その姿が彼の知るラバンネル術師と同年代に見えたからだ。先ほどファローに覚えたような違和感がない。だが、そのことこそが違和感の原因なのだ。
「おかしな言い方だが、この十年後に俺が会うあんたは、いまと変わらない姿に思える」
それはこのおかしなことのなかでも、極めておかしなことであるはずだった。
「ええ、そうなります」
ラバンネルはうなずいた。
「私はいまから十年後の私ですから」
「……は?」
「それより奇妙なのはあなたの方ですよ、ヴィレドーン殿」
「あ……」
「おや。どうしました?」
魔術師は首をかしげた。
「もしや、いまのあなたの名前は違いますか?」
「へっ」
その通りなのだが、何故――。
(どうして判るのか、なんて愚問……か?)
大導師の力の片鱗は、知っている。出会ってから分かれるまではわずかの間だったが、散々見せつけられた。いや、彼は何も見せびらかしなどしなかったが、状況が彼の魔力を必要としたのだ。
「いまは、俺は」
「あ、待って下さい」
しかしそこで彼は片手を上げた。
「私は多分、知らない方がいいでしょう。もしかしたら違和感があるのかもしれませんが、あなたのことはやっぱり、ヴィレドーン殿……いいえ、ヴィレドーン君と呼ばせてもらいます」
「は、はあ」
戸惑いながらもオルフィは受け入れることにした。知らない方がいいと彼が言うならおそらくそうなのだろう、と思えるからだ。
「何と言うか、驚きですね。私はあなたに会いにきましたが、あなたが私を知っているとは思わなかった。これは少々、こういう言い方もあれですけれど、脚本に修正が必要です」
「脚本だって?」
「すみません、実はちょっと嘘をつく予定でした」
にっこりとラバンネルは言った。
「エクール湖の長老から、あなたの様子を見てきてほしいと頼まれたというようなことを言って、話をさせてもらうつもりだったんです。初対面の私を信用してもらうには、そうした理由を作った方がいいかと思って」
でも、と彼は続けた。
「余計な嘘は要らないようですね。よかった」
「確かに、あんたとは初対面じゃない」
変な話だが、とつけ加えてから彼ははっとした。
「――あっ! お、俺」
オルフィは声を上げた。
「あんたを探してたんだ! あんたに頼みたいことが」
そこで彼はぷつっと言葉を切った。
「何です?」
「あ、いや、その……」
そこで彼はようやく気づいた。
これまで衝撃的すぎる出来事の連続だ。気づかなかったのも無理はないと言える。
だがこれもまた、大きな衝撃だった。
(無い)
彼は呆然とした。
この何月かの間、彼にずっと、寝ても覚めても忘れられずに悩ましさを与え続けてくれた、かの青き籠手。
〈閃光〉アレスディアはそのとき、彼の左手に存在しなかった。
「あれ……?」
事態が急変するまではずっと、外すことを望んできた。そのために、生死も判らない伝説の大導師をあてどもなく探して。
「でっでも」
彼は声を裏返らせた。さっと顔色が青ざめる。
「消えてなくなられちゃ、困る!」
大事なものなのだ。「王家の宝」「アバスターの籠手」という名誉や金銭的な価値の話にとどまらない。あの力は未熟な彼が戦うのに必要でもあったが、そういうことでもない。
何より、預かりものという意識があるのだ。
アバスターからの。
そしてジョリスからの。
「ふむ」
ラバンネルは目をぱちくりとさせながら彼の百面相を見ていた。
「察するに、アレスディアですか?」
「なっ」
その通りだ。だがあまりにもさらりとずばりと言い当てられたことにオルフィは口を開けた。
(底知れない人なのは判ってるつもりだけど)
(いまのは)
「その辺りの話も含めて相談をしたいんですが、いかがでしょう」
「それは、願ったりだけど」
どうにかオルフィは言った。
「俺に会いにきたって?」
「ええ」
こくりとラバンネルはまたうなずいた。
「想定より話が早く済む点もありそうですが、お互いに確認したいところもとても多いですね。申し訳ありませんが、ご友人と何か約束をしていても、それをあと回しにして私につき合ってはくれないでしょうか」




