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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第7話 迫りくる網 第3章

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02 教えてくれ

 失敗した過去を「なかったこと」に。

 もう一度やり直して、いちばん都合のいいように。

 望んでも叶わないと、叶うはずがないと信じていたことが――。

『その代わり』

 悪魔は笑う。

『君は僕のものになる』

「どういう意味で言っているんだ」

『そのままだよ。君は今度は、僕のためにナイリアンを乗っ取るんだ』

「……なに?」

 非常に単純な、だが強烈な言葉。

『ああ、「裏切りの騎士」がやろうとしていたこととは違うよ。君は英雄になるんだ』

「英雄だって。何を馬鹿な」

『〈漆黒の〉、いいや、〈白光の騎士〉が狂気の王から国を守った、なんて逸話は裏切りの騎士に匹敵するんじゃない?』

 悪魔の脚本は、「ヴィレドーン」が正義を掲げて国王を殺害するという、とんでもないものであるようだった。

「そんな馬鹿げた話があるもんか。そんなこと」

『できるはずがない? それは君次第だ』

 ニイロドスの気配がすぐ近くにあるような気がした。

『大丈夫。ファローの生命は保証してあげるし、君が一生、何にも困らないようにもしてあげる』

「ただし死後には魂を?」

 皮肉めいて彼は問うた。

『それは、もちろん』

 当然だと悪魔は言った。

『でもね、ただ魂を持っていったって仕方ないんだ。美しいものでなけりゃ』

 楽しげにニイロドスが口の端を上げる様子が見えるような気がした。

『君の魂が、死 神 (マーギイド・ロード)も滅多に味わったことのない極上のものになるように……僕は力を貸そう』

 何か怖ろしいことが提案されている。そのことだけは判った。

『大したことじゃないよ』

 もっとも悪魔はそう告げた。

『君が失った三つの命。何とか無事に戻ってきたもうひとつも、もしもう一度同じことをしたらどうなるか判らない、薄氷の上』

「何だと」

『四つの運命を守る代わり、そのほかのたくさんの、君にとってはどうでもいい命をもらおうかっていうだけだ』

「ほかの……」

 すっと血の気が引く思いがした。

『ふふ、誰の命も失わせたくないなんてことは言わないだろうね? 全てを守ってみせるなんて。まさかね。君は知ってるはずだ。そんなことは不可能だって』

「だ、誰を殺すつもりなんだ」

『僕が? 僕は誰も殺したりしないよ。やるのは君だ、ヴィレドーン』

「俺に……まさかハサレックにやらせたように、子供たちでも殺させようって」

『違う違う。そんなの、意味ないさ。君が手を下す必要はない。英雄になってもらうって言ったろ?』

「いったい、何を」

『そうだね。ヴァンディルガ辺り、攻め込んで滅ぼしちゃったらどう?』

 何とも気軽にそんな言葉がやってきた。

『君ならできるよ。漆黒のヴィレドーン……いや、どうせやり直すんだからやっぱり白光のヴィレドーンというのがいいよね』

「ふ、ふざけるな! 俺は白光位なんて望んでないし、戦だって起こすつもりは――」

『君の「つもり」なんてどうでもいいんだ』

 さらりと悪魔は流した。

『これは契約だよ。君と僕の新しい契約だ。僕が君の望みを叶える代わり、君は僕の望みを』

 さあどうする?――と悪魔は囁く。

『死んだ彼らは戻らないよ。僕の手を借りる以外には』

 メルエラ。ファロー。カナト。生きてはいたが、いまだに――「いま」とは?――剣を握ることもままならないジョリス。

 なかったことにしてやろうと、それが悪魔の提案だ。

 その代わり、ナイリアンを戦に導けと。

 いや、彼の意志で導くと言うのとも違うのか。アバスターが言っていたように、悪魔は「彼の性能を持つ操り人形」を手に入れて、好き放題をする。

 だが、そうなるかどうかは彼次第だと。

(選べと、言うのか)

(彼らの運命と、名も知らぬ多くの誰かの運命を引き換えに)

 即答はできなかった。応とも否とも。

 彼らが無事でいてくれるのなら何でもすると、そう思うのは嘘ではない。しかしそのために、ほかの多くの命が失われることになる。この天秤がどちらに傾くのか――いや。

 正直なことを言うのであれば、傾いている。ファローとメルエラ、ジョリスとカナトの無事に。

 彼らを助けられるのなら。

「俺は……」

 のどが乾く。声が巧く出せない。

 助けたい。彼らを。

 しかし、いいのか、本当に。

 すんでの所で理性はとめる。四つの悲劇をなくす代わりに作られる、数え切れないほどの別の悲劇のことを考えさせる。

 だがここで断れば、死んだ者たちは二度と戻らない。

 いったい、どうすれば。

『ふふ』

 ニイロドスは笑った。

『躊躇っているね。所詮、死んだ彼らへの親愛なんてそんなものかな?』

「ちが……っ」

『ふうん? じゃあ、いいんだね? 僕のものになってもらえるのかな? ヴァンディルガを火の海に。カーセスタもやっちゃおうか。まあ、そうなるともちろん、ナイリアンの兵士だって無傷とはいかないけれど』

「そ、それは」

『いい加減に決めるんだね、往生際の悪い』

 言葉だけを取れば苛立っているようだが、悪魔は実のところ、彼の葛藤をも楽しんでいるかのようだった。だからこそ、この命の取り引きに多数の人間が関わることを強調するのだ。そうでなければただ、「四人の無事」という報酬だけで彼を釣ろうとするはず。

『さあ、答えは?』

「答えは」

 きゅっと唇を結ぶ。

「俺は……」

「とても大丈夫とは思えない」

 ふう、とファローが嘆息した。

「えっ?」

 彼は目をしばたたく。霞が晴れた。悪魔の気配は消え、若いファローが首を振っている。

「寝ぼけているのかとも思ったけれど、もしかしたら昨夜、何かあったのか? そんな格好で眠るなんて」

「え」

 自分の服装を見た。それはラシアッド城にいたときのまま。おかしな服ではないどころか彼にとっては立派なものだが、確かに眠るような格好ではない。

「そう言えば、そんな服は初めて見たようだ」

「い、いや、それはたまたま……昨夜も、別に、な、何も」

 何と言ったらいいか判らず、彼はもごもごと言う。

「き、着替えるのも面倒なほど、ちょっと、疲れて」

 適当に言えば、ファローはますます心配そうな顔をした。

「リージェ先生のところに行こう。サンディット家で世話になっている、立派なお医者様だ。心配は要らない」

「い、いやいや、ちょっと」

 彼は慌てた。

「大丈夫、大丈夫だって! ちょっと、寝ぼけただけで……」

「そうは思えないと言っているんだが」

 ファローは繰り返した。

「自らの体調を管理するのも兵士の務めだ。無理を押しては悪化するばかりじゃない、周りに迷惑をかける。その辺りのことも考えた上で、大丈夫だと言えるか?」

「だ、大丈夫、だ」

 彼はこくんとうなずいた。

「よし」

 ファローは笑みを浮かべた。

「それなら信じよう。さあ、さっさと起きるんだ。朝の訓練どころかもう昼近いが、昼食を済ませたあとに学問の時間を取ろうじゃないか」

「あ、ああ……」

 どうにか答えを返し、彼は周囲を見回した。

(ニイロドス……?)

(あいつ、どういうつもりだ)

 これは夢ではない。過去の記憶でもない。だが過去だ。そして現在だ。

 悪魔は彼をこの場に連れ、ファローに会わせて選択を迫り、彼が返答をする前に消えた。

 どうしてこんな真似をするのか。

 何のために。

「どうすりゃ、いいんだ」

 ファローの去った部屋で彼は呟いた。

「このまま……続けるのか?」

 ヴィレドーンの記憶を持ったオルフィが、再びヴィレドーンとして彼の知らないファローと騎士を目指すのか。

(いや、待てよ。それはつまり……)

(俺があいつの契約に了承したって、ことに)

 そういうことに、なる。

 ニイロドスの提案によれば、今後彼は〈白光の騎士〉となる。ファローがどうなるかは言わなかったが、少なくとも命を落とすことはない。メルエラもだ。

 そしてヴィレドーンは、どういう事情が作られるにせよ、ヴァンディルガやカーセスタに攻め込み、たくさんの人間が死ぬことになる。だがアバスターの籠手は後世に残らず、ジョリスもカナトも無事である未来がやってくる。

『ダレモキズツカナイヨ』

 圧倒的な誘惑。だがそれは同時に嘘だ。多くの命が散る。四人を救うことと引き換えに。

『もう一度』

『このあと、もう一度「ヴィレドーン」をやり直したらいい』

 ニイロドスを呼び出してその提案を断ることは、ファローとカナト、メルエラが死んでジョリスが瀕死となった世界に戻ること。納得できない運命が敷かれた時代に。

「俺は、どうすれば」

 彼は顔を覆った。

「どうすればいいんだ」

 ごく小さく呟く。

「――カナト、教えてくれ」

 このときまだ影も形もないはずの、あの少年ならばどんなことを言うだろう。どんな助言をくれるだろう。

 益体もない考え。

 誰も助言などしてくれるはずはない。ましてや、カナトは。

 彼は頭を抱えたまま、じっと考え込んだ。だが答えは出ない。それどころか、まともに考えることができていたとも言えない。

 あまりにも混乱していた。

「やあ、こんにちは」

 そのときである。不意に若い男の声がしてオルフィは顔を上げた。

 聞き覚えの、ある声だった。

「え……」

 扉が開いた気配はなかった。いくら考えにならない考えに沈み込んでいたところで、扉を叩く音やそれが開いて誰かが入ってくることにまで気づかなかったとは思えない。

 だがそこには、確かにひとりの人物がいた。

「少し話をさせてもらいたいんだけれど、いいかな?」

 にこやかに相手は言い、オルフィはあらん限りに目を見開いた。

「あ、あんたは――!」


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