12 運よく、ね
「クロシアの誘いに応じなかったことは知っているよ。でもそれは即ちナイリアンの騎士のごとく私たちと戦うという宣言じゃない。だからこそ君は城の寝台で休まずに、こんなところへ」
「騙したな……とは言うまい。騙された俺たちが間抜けだったのだからな」
まずヒューデアはそう言った。ラスピーシュは少し笑った。
「有難う、と返せばいいのかな? 君に嫌われては哀しいからね。まあ、その冷たい視線はなかなかにご褒美だけれど」
「リチェリンをどうした。彼女は」
「エクールの神子。大事な存在だ。私たちにとっても」
もちろん、と彼は続けた。
「丁重にもてなしている。そうだ」
ぱちんと彼は指を弾いた。
「私たちに協力するかどうかはともかく、とりあえず彼女の護衛にやってきたらどうかな? 君がいたらリチェリン君も安心するだろうし」
「ふざけているのか」
「とんでもない。私はいつでも本気だよ」
笑みを浮かべながら片目をつむる様子は、しかしあまり真剣とは見えなかった。
「まあ、答えは急がない。もう少しナイリアールに留まると言うのなら、見物していくのもいいと思うからね」
「見物、だと」
その言いようにヒューデアはどこか不吉なものを感じた。
「何を企んでいる?」
「企む? 私が?」
「まさかいまの言葉が『首都見物』という意味合いであるとは思えないな」
彼は鋭く隣国の王子を睨んだ。
「ナイリアン王家には、俺自身は義理などない。だがジョリスが守ろうとする国、人々……不幸に導く企みがあるとすれば、俺はそれと戦う意思があると言おう」
迷いは、あった。しかしナイリアンの民を傷つけてもよいかと言えば、そうは思えない。たとえ過去に、いや、仮に近年に諍いがあったのだとしても、民の多くはただ巻き込まれただけ。
エクールの末裔だから守る、という考えは理解できても、ナイリアンの末裔だからどうなってもいい、とは思えない。そこは確かだった。
「やれやれ。もうそろそろジョリス・オードナーから卒業したらどうだい」
ラスピーシュは嘆息した。
「君がいつまでも彼の思考に縛られるのは、騎士殿だって望まないと思うけれどね」
「黙れ」
彼は低く言った。
「知ったような口を利くな」
「怖い顔をしないでくれたまえ」
ラスピーシュは肩を落とした。
「だいたい、私は何も、騎士殿を悪く言った訳ではないのに」
ぶつぶつと青年は苦情めいたことを呟いたが、ヒューデアは取り合わなかった。
「何をする気だ。俺に何を『見物』させようと?」
「その気があるなら、君には特等席を用意できる」
ぱちん、とラスピーシュが再び指を鳴らしたときだった。誰もいなかった場所にひとりの人物が現れた。
「彼と君はもしかしたら初対面かな?」
まるで紹介するかのようにラスピーシュがすっと手を差し出す。
(いまのは)
(魔術か?)
ヒューデアは警戒した。
「怖がることはない。彼は敵じゃないよ」
「お前の味方は必ずしも俺の味方ではない」
きっぱりと彼は告げた。
「はは、そうだろうね。君がどこに立つかによっては、確かに紛う方なき敵となるだろう」
ラシアッド王子はごまかさなかった。
(誰だ?)
その人物をヒューデアは目にしたことがなかった。彼はその舞台に上がることのなかったままだったから。
「彼はね。少々、終わり方に納得いかないようなんだ。まあ、終わりに納得できる人間なんてそうそういないものだけれど、普通は再挑戦の機会はない。でも彼には与えられたんだ。運よく、ね」
ラスピーシュは笑っていた。
「これはラシアッドの目的にも適う。つまり、もう少しだけナイリアンを引っ掻きまわしていてほしいということ」
「――ナイリアンに手出しをするつもりならば」
「それはやめたまえ、と言ったよ、ヒューデア君。君はジョリス・オードナーでも、ナイリアンの騎士でもない。キエヴとエクールの民を守るという、本来の任務だけを果たせばいい」
「俺の決めることだ」
ヒューデアは反骨的に言ったが、内心では戸惑ってもいた。
(アミツが)
(何も反応を示さない)
それが彼を迷わせた。
「まあ、いい。初対面同士だ、私が紹介をしないとね」
王子は若い剣士と、三十代半ばほどの魔術師の間に立った。
「こちらはヒューデア・クロセニー君。キエヴ族の若者で、言うなればキエヴの神子のような役割を持っている」
その言葉に魔術師はぴくりとした。
「さて、ヒューデア君。こちらは」
笑みをたたえたまま、ラスピーシュは続けた。
「リヤン・コルシェント殿と仰るんだ」
(第3章へつづく)




