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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第7話 迫りくる網 第2章

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10 どうして、お前は

「さあ、どうかな」

 ハサレックはまた言ったが、先ほどと違い、面白がるような笑みが浮かんでいる。

「どうだ、ジョリス。俺と一緒に……」

 すっと彼は手を差し出した。

「また一緒に、やらないか」

 わずかに沈黙が下りた。

矛盾(レドウ)があるようだな」

 それからジョリスはそうとだけ言った。

 本気で戦うことともう一度肩を並べることが両立するはずはなく、もちろんそんなことはハサレックも判っているはずだ。

「まあ、そうだろうな。〈白光の騎士〉様まで消えちまった日には大変だ。王子殿下も今度こそ完全に怒り心頭で、何をやらかすか」

 さっと手を引っ込めると、ハサレックは軽い調子で言った。

「ハサレック」

「何だ? ジョリス」

「目的は」

 静かに騎士は尋ねた。

「レヴラール様を貶めることでもあるまい」

「もちろんだ。彼は少々幼いところがあるだけ。お前が子守りをしてやれば、ご機嫌で巧くやるだろうさ」

「ハサレック」

 繰り返し彼はかつての友を呼んだ。

「それ以上続けるならば、私の方から決闘を申し込むが、よいのか」

「……その顔色で仰る台詞じゃないですな、ナイリアンの騎士殿」

 口調は気軽いまま、彼は片目を閉じてみせたが、かすかに気圧された様子は隠し切れなかった。

「判った、判ったさ。いまのは言い過ぎた。俺が悪かった。抑制をやめたとは言っても、何でもかんでも思うことを垂れ流せばいいってもんじゃない」

 「思った」こと自体は否定しないまま彼は手を振った。

「目的なんて別にない。見舞いだと言ったろう。様子を見にきたんだ。そうしたら『引っ越し』の算段中ときた。手伝おうかと、最初に言ったと思うがね」

性質(たち)の悪い冗談としか聞こえなかったようだ」

「言ってくれる」

 ハサレックは唇を歪めた。

「少しでも本心が混ざっていたのであれば言っておく。どういうつもりであろうと、お前の手を借りることはできない」

「二代目『裏切りの騎士』とこうして話をしているだけで、騎士様としちゃ不名誉もいいところだな。斬れるもんなら斬りたいだろう」

「そうしたことを言っているのでもない」

「へえ?」

 では何だ、と元騎士は問うた。

「――悪魔に近くある者と、どんなかりそめの絆も結ぶことはない」

「は……」

 口を開け、それから閉ざし、ハサレックは反応に困るかのようだった。

「は、はは。そうか、そこか、騎士殿」

 それから彼はまた笑う。

「相変わらずだなあ、本当に」

 また言って、元騎士は、また笑う。

「本当に――変わらない」

 その顔から笑みが消えた。

「憎らしい、くらいだ」

 すうっと手が、両手が伸ばされる。彼のつけた傷に。殺し損なった友の首に。

 ジョリスはそのままでいた。避けるでも、払うでもなく。

 まるで気づかないように。

「お前は、見なかったのか? 死の淵に近づいて、のぞき込まなかったのか? 導きのラファランなんていやしない。あの先にあるのはただの闇……いや、そうじゃない。無だ。完全なる無」

 ジョリスの首に両手をかけ、呟くように彼は続けた。

「あれは虚無と言うのか。何ひとつ、生への未練すらない世界。死んだ先には何もないんだ。ラ・ムールの大河なんて幻想さ。俺はそんなものは見なかった。ありやしないのさ、冥界なんて」

 その手に力が、込められる。

「だが、獄界はある。悪魔の存在がそれを証明している。お前はそこには堕ちないだろうな、ジョリス・オードナー。お前は死ねば、無に還るだろう。獄界に行くよりは、楽かもしれんな」

 ジョリスは黙っていた。されるままになっていた。

「お前の血が脈打ってるのを感じる。本当に生きてたんだなあ」

 今更のようにハサレックは言った。

「俺も。お前も。同じものを見てきたのに……何故お前は、変わらずにいられる?」

「どうだろうな」

 声がのどを鳴らし、ハサレックの手を震わせた。

「何?」

「お前と私は本当に同じものを見たのか」

「……お前は、何を見た?」

「確かに……とても暗かった。ナイリアールでは見ることのできない、真の闇。幼い頃、過ごしていた別邸をこっそり抜け出した曇天の夜のように」

「は、お前がこっそり抜け出しただって?」

 思わずと言った体でハサレックは少し笑った。

「この話はしたことがなかったかな。子供の頃のことだ。やんちゃな友人に誘われて、無断で館を出た。近くの林で起こるという怪談話を確かめるためにな」

「はは、お前にもそんな時代があったんだな」

「そのようだ。もっとも、アレスディアを盗み出すようにして王城を抜け出たのは、そう昔の話でもない」

「ははは、言うもんだ」

 それは奇妙な状況だった。ひとりは相手の首を絞めようとせんばかりにしており、されている側は抵抗するでもなくじっとしたまま、まるで茶席にでもついているかのように話をしている。もしも誰かがこの場に入ってきたなら、仰天したあとで呆然と目をしばたたくだろう。

 だが幸いにして、驚く者はいなかった。

 この部屋には、〈ナイリアンの双刃〉と呼ばれた、ふたりだけが。

「なあ、ジョリス」

 ハサレックが呼ぶ。

「どうして、お前は」

 言葉はそこで切られ、沈黙が部屋を包む。

 ジョリスは、ハサレックの言葉の続きを待つように、じっと黙っていた。

 いや、ハサレックが手を引くと知っているかのように。

「は」

 彼はぱっと手を離した。

「はは、なめられたもんだ、俺も。本気に取られんとはな」

「暗殺にきたのではないと言った」

 ジョリスは解放された首を撫でた。

「それを信じた、とでも?」

「判らない」

「判らない?」

「計画的な暗殺でなくとも、衝動的な殺傷というものはある。私は、お前がそのようなことをする人物ではないと知っている……知っていたつもりだが、いまは」

 判らないと彼は繰り返した。今度はハサレックが黙った。

「……そうだな、俺も判らん」

 彼は呟いた。

「ここで『お前はそんなことをしない』と言われたら逆に、それなら見せてやろうと思ったかもしれん。運がいいな」

「どう、だろうな」

 ジョリスも呟いた。

「それとて、判らない」

「『奇跡の生還』はどう考えても強運だな。運も実力、とは言うが」

「実力かどうかはともかく、確かに、それはとても運がよかったと言えるだろう」

 彼は認めた。

「成程、お前の言いたいことは判った」

 ハサレックは肩をすくめた。

「親友と信じた人物に刺されることが運がいいかどうか、という話だな」

 ジョリスは答えなかった。

「安心しろ、それはお前の運の問題じゃない。俺の選択の話だ」

 彼は気軽な調子を取り戻した。

「俺の選択について、お前は何も気に病む必要はないし、負うこともない。そんなことより、現状について考えておけ。俺の手を借りないと言うなら、ほかに誰の足でも何でも借りろ」

 適当なことを言ってハサレックは手を振った。

「とにかくここは出るんだな。それがお前のためだ」

「……ハサレック」

「何だ」

「礼を言う」

 素直な感謝の言葉に、裏切りの騎士は戸惑った。

「馬鹿野郎だ、お前は」

 本当に、と小さく呟くと、ハサレックは胸の辺りを押さえた。はっと思う間もなく、その姿が消える。

 ジョリスの腕に、かすかに粟が立った。

 禍々しいというのはこういうことだ――といういつぞや耳にした言葉が、彼の胸に蘇った。

「ハサレック」

 いなくなった友の名をもう一度呟き、ジョリスはがくりと膝を折った。

 気力だけで本来存在しない体力をまかなう彼を誰もが大したものだと言っただろう。いや、キンロップやイゼフ、それにラバンネルのような人物であれば、それは命を縮めるやり方だと説教したかもしれない。

 だが、彼らに何を言われても、ジョリスは自ら信じる道を行っただろう。

 それが自らの使命であると信じたなら。

「ジョリス様、どうなさったんです」

 部屋を出ると、壁に手を突きながらようやく歩いている騎士の姿は簡単に使用人の目に触れた。

「馬車の手はずを」

 不安にさせぬよう、こうした姿を見せまいとしていた彼だったが、いまは〈白光の騎士〉の名誉にすらかまってはいられなかった。

「王城へ。すぐに、レヴラール様にお話をしなくてはならない」


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