07 〈許されぬ者〉イゼフ
主をなくした館は、しかしあの日と変わらずにそこにあった。
コズディム神官イゼフは、王子レヴラールの許可証と祭司長キンロップの委任状という、いまこのナイリアン国で最も力のあるふたりの支持を示す書類で以て、見張りの兵士たちを平伏させた。もちろん実際にひれ伏させた訳ではないが、兵士たちとしてはそうした気分だったろう。
と言っても、彼らは必ずしも権力だけに頭を垂れたのではなかった。王子と祭司長が認める神官ならば、不気味な「幽霊騒動」を解決してくれるはずだという期待があったためである。
小隊長はイゼフを案内しようとしたが、彼は不要と断ると、屋内の兵士を全て外に出して何があっても入ってこないようにと伝えた。これには小隊長も少し困惑したふうだったが、まさか逆らえるはずもない。
彼らが不安と期待の入り交じった目でイゼフを見ながら出て行くのを確認すると、神官は館内を巡りながら、コズディムの印章が刻まれた石を各部屋に置いていった。
観察している者がいたなら、いったいどういう基準で置いているのかと首をひねっただろう。それは特に部屋の真ん中という訳でもなければ、壁際という訳でもなかった。単に置きやすい場所というのでもない。神官はわざわざ椅子の上に乗ってまで、手の届かないところに置いたりもしていたからだ。
実際には観察者はおらず、イゼフも誰かに説明することはなかったが、彼はその石で聖陣を作っていた。
ただ、普通の神官が使用するものとは、少々違う。
普通は聖言と聖水を使って魔を祓う支度をするものだが、イゼフはそうしなかった。その代わり、彼の身に備わった――通常、人間には備わることのない力の波動を利用した。
イゼフと名乗る男は、生まれたときから「人間」だ。だが彼の故郷はとある特異点に近く、そのためにその影響を受けて誕生する赤子が稀にいた。
時折金色に輝く瞳を持つ彼は「取り替え子」「悪魔の子」と後ろ指を指され、厳しい幼少時代を送った。一歩間違えば、その罵声に潜む力に負け、素性や外見によってではなく自ら選んだ行動によって「悪党」と呼ばれる道に進んだことだろう。
だが彼は、持ち前の強い意志で「信仰」を選んだ。
「悪魔の子」などではないと証明するために、神の道を行った。
苦しいこともあった。清廉とされる神官たちでさえ、全ての者が心から差別や、或いは妬みから自由ではいられないからだ。魔物のような瞳と、かすかな力――妖力に近いもの――はほかの神官たちからつまはじきにされるに充分な要素であり、聖典を覚え、理解する天賦の才と努力は、巧くできない者の嫉妬をも買った。
口にするも忌まわしいような、陰湿な真似をされたこともある。
それでも彼は怒りを爆発させず、相手を告発もせず、淡々と努力を続けて、二十代の若さで神官長の地位に就いた。
その頃になると面と向かって彼を貶める者はおらず、同志もできた。
〈神究会〉。初めは数名の若手が理想について熱く語り合うだけの集まりだった。だが次第に現体制に不満を持っていた者たちに評判となり、やがて理想を現実にするべく行動を開始した。
いまにして思えば「青二才の革命ごっこ」。しかしあのときは本気だった。腐った神殿を内部から改革しようという試みは、決して不当な扱いを受けたことへの復讐などではなかったが、そうした経験がなければ同調できなかったかもしれなかった。
神殿という組織の盤石は堅固だ。だが、それに甘んじている。組織として気弱だ。
既存の幹に頼るだけで、枝葉を伸ばそうとしない。これでは枯れないだけで、新たな実がならない。
私心などはなかった。本心から神殿のためにと思ったのだ。
まずは、神殿や教会のない土地への出向。この辺りは、熱心な若い神官ならば自ら望むことも珍しくなく、正規の任から大きく外れることでもなかった。
だがそれは手はじめ。
彼らは決められた儀式を執り行うだけではなく、教会のない村におかしな兆候がないかどうかを確かめた。八大神殿以外の、神官の存在しない自然神などを不必要に崇めていないかというようなことだ。
もしもそうした傾向があれば、きちんと「正す」。
暴力などは決して振るわなかった。彼らの時代にはそのような行為はなかった。彼らは本当に「神官」だったからだ。
自然神はあくまでも自然神、季節や行事に応じて祭りや捧げ物をするのは常識的なことだが、それを越えて祈りを捧げたり、ましてや加護を願ったりするのは誤りである。自然神には教義はなく、自然神は人を導かない。そうしたことをこんこんと真摯に説いた。
たいていは、判ってもらえた。そうした人々は純朴で、誠実な啓蒙は巧くいった。
厄介なのが、勘違いした自称「巫女」のいるような、土地神の信仰であった。
土地神信仰は自然神信仰と似て、村の近くにある特殊なもの――泉や山、大木など――に神が宿るとするものであり、その歴史は村のはじまりと密接に結びつくことが多い。となれば信仰を捨てさせるのは容易ではなく、ゆっくり時間をかけて「神界神や冥界神の方が力があるのだ」と悟らせていく方法を採った。
自称「巫女」はたいてい頑固で、彼らの行為を八大神殿の「侵略」だと言い、抗おうとした。
だが数には敵わぬもの。村人たちがひとり、またひとりと「正しい」道に戻っていけば、土地神の巫女もただの狂信的な女になった。
そう、悪くなかった。悪くないやり方だった。そう信じていた。
「異端」を信じる者たちを啓蒙する。
正しいことだと、信じていた。
その理念に疑いを抱いたのは、ある小国での出来事がきっかけだった。
独特の土地神への信仰を彼らはこれまで同様に「誤り」と判定し、八大神殿の名においてそれを「正す」つもりでいた。
しかし彼は、奇跡に触れたことで――或いは、奇跡を呼んだ騎士たちの活躍を目にしたことで、その信仰が誤りだとは思えなくなった。
彼はその国から手を引き、同志にも同じようにさせた。そこから、亀裂が入りはじめたのだろう。
それから幾つかの「異端」に出会うたび、彼はあの小国の若く誇り高い王と騎士団のことを思い出した。以前はひとつだった真実が、見えなくなった。
彼はそのことを何度も仲間と討論したが、仲間は彼が迷っていると取り、説得を試みたために、話は噛み合わなかった。
やがて彼は脱会を決意するが、それは大きな波紋を呼んだ。
彼は初期から会の中心人物であり、会と、そして会が生まれ変わらせる新たな八大神殿の頂点に立つべき存在とされていたからだ。
彼が抜ければ、会はふたつの支えの内、片方を失う。
「もう片方」たるフィディアル神官は何としてもとめようとしたし、断じて彼の離脱を認めなかったが、彼らが互いに歩み寄れる余地はもうなかった。
多くの徒労の末、彼は結局、ほとんど逃げるようにして西を離れた。
ナイリアン国で足をとめたのはもしかしたら、ここもまた高潔で知られる騎士たちのいる国だということがあったかもしれない。
彼はそこでカーザナ・キンロップという神官に出会った。
カーザナはひと目で彼の持つ「異界の影響」を見抜き、苦労をしただろうと、休んでよいのだと、まるで神官ではない相手にするように言った。
それに彼は救われて――再び、自らを律する厳しい生活に戻ることにした。
〈許されぬ者〉イゼフの名は、何も自虐でつけた訳ではない。
あの「革命ごっこ」ですら、いまの彼を作り上げた素養のひとつ。過去を否定するつもりはなかった。だが、認めるというのとはまた違う。
償いはしなければならない。
その頃のカーザナは神官長で、将来の神殿長候補とされていた。そう言われるにはまだ若い年代であったが、彼は驕るでもへりくだるでもなく、評価をただ受け入れた。その辺りの淡々とした様子はイゼフにも通じるものがあり、カーザナの近くにいるのは気安かった。
そのカーザナから〈ドミナエ会〉の話を初めて聞いたときは衝撃だった。
それが〈神究会〉が名を変えたものだと理解するまでは早く、彼は自らの負の遺産に悩まされた。
以前からは驚くほど会は暴力的なものになっていたが、それでも前身が〈神究会〉であることは間違いなかった。
償いは、しなければならない。




