05 理由はどうあれ
「……つまり、ウーリナはある種の囮にすぎなかったと?」
「理解のお早い。しかし根拠はありません。カーセスタ国へ鞍替えする意図……という可能性も、置いておきましょう。皆無ではありませんが、右へ左へという蝙蝠じみた動きは、ナイリアンはもとよりカーセスタの信用も薄くする」
首を振ってキンロップは続けた。
「単に、まだラシアッドの王女であるのだから帰還すべきだとの声が向こうの国内で上がったということも考えられます」
「もとより、気にかかるのはラスピーシュ殿だな。彼の許可または指示によってウーリナは、いや、我々は動いているようなものだ」
ナイリアン王子はあごを撫でた。
「お気づきでしたか」
「無論だ。彼は開けっぴろげに話をしているようだが、それでも真実を語っているとは限らない。ナイリアールを探っていたという説明だけでは、ああも的確にコルシェントの動きをつかめた理由には足らないと思うのだ」
レヴラールは嘆息した。
「彼の目論見をはっきり知りたいところだな。こう言っては何だが、ロズウィンド殿よりも気にかかる」
「ロズウィンド殿下は、文字通り〈王〉ですからな。そうそう動かれますまい」
キンロップは盤遊戯の駒にたとえた。
「ではラスピーシュ殿下はさしずめ〈将軍〉か」
「〈王〉以外の駒に命令を出せる……成程、言い得て妙かもしれません」
「嫌そうな顔をするな。お前がはじめたたとえだぞ」
「少々、後悔しております」
祭司長は息を吐いた。
「ラシアッドの『本当の』目論見。我が国との親交でないとすれば、いったい……」
それを判断できる情報は彼らにはなかった。まさかラシアッド王家がナイリアン王家に復讐を果たすべく長い時間を過ごしてきたなどと想像もできるはずはなかった。彼らは長い間、それを隠してきたのだ。
そのとき、規則正しく扉が叩かれた。レヴラールが許可を出せば、扉の向こうに姿を見せたのはコズディム神官イゼフであった。
「お話し中のところ、失礼いたす」
イゼフは王子と祭司長に深々と頭を下げた。
「貴殿がこうしてやってくるからには急の用事だろう。かまわん」
レヴラールは鷹揚に手を振った。
「正直に申し上げるなら、急を要するかどうかは判りかねる。ただ、非常に気にかかることが二点」
「二点」
キンロップは顔をしかめた。
「どちらもよい話ではなさそうだな」
「少しはよい点もある。――ヒューデアが目を覚ました」
「ほう、それは何よりだ」
レヴラールはほっとした顔を見せた。
「ハサレックの凶行であるとの証言が得られるか」
「いや」
イゼフは首を振った。
「何?」
「奴の仕業ではなかったと?」
「判らないままだ」
神官は表情を曇らせた。
「目を覚ました彼が、いなくなってしまったから」
「何だと」
「いなくなった? どういうことだ」
「私は今朝、ここ何日もしていたように彼の眠る部屋へ向かった。だがそこに彼の姿はなかった。そういうことだ」
「目を覚ましたのなら結構なことだが……何も言わずにいなくなったと? それよりも、すぐに動けるような状態ではなかっただろうに」
キンロップも驚いたように言った。
「拉致、というようなことも考えたが、それはなさそうだ。近くに置いてあった彼の装備品がなくなっている」
「さらわれた娘を探しに行った、のか?」
キンロップは額に手を当てた。
「彼の責任感の強さを思えば有り得ることだ」
イゼフは言ったが、すぐに首を振った。
「しかし深更にこっそり抜け出すというのも奇妙な話」
「だいたい、もしかしたら彼女は助けられているということもあるかもしれんだろうに」
実際には違ったが、とキンロップは苦々しくつけ加えた。
「関係する者に何も話を聞かずに出て行くのは、確かにおかしいな」
レヴラールもうなずいた。
「アミツが何か示したということは考えられるかもしれない」
イゼフは言った。
「かの精霊の見せるものであれば、彼は信じるであろうから」
「では……彼は彼女がどこにさらわれたものか判って、それで出て行ったと?」
「いささか、突拍子もない考えであるとは思う。――単純に、あの状態では、誰にも見咎められないことも難しかろうから」
「ひとりでは、だな」
キンロップが呟くように言った。
「誰かが協力した? そうしたことを可能にするのは魔術師か……しかし誰が」
「我が王城はまた何者かに侵入されたのか?」
王子は少し呆れ気味に目をしばたたいた。
「確かにキンロップの言った通り、もう一度魔術師を迎えることを考えた方がよいかもしれんな……」
「王宮を魔術で守るというのは、神官としては歓迎しづらい。ですが申し上げた通りです。私は一神官としてではなくナイリアン国に責任を持つ者として、宮廷魔術師の存在も有用だと申し上げましょう」
「うむ……」
レヴラールは、だがまだ決定しかねた。コルシェントの爪痕は大きい。彼自身がキンロップの意見を呑んでも、王宮内にはびこる「魔術師」の悪評を覆すのは容易ではないだろう。
「ご一考いただければ、それで」
祭司長もそのことは気づいており、そうとだけ言った。
「ともあれ、ヒューデア殿から話を聞けなかったのは少々残念だ」
キンロップは腕を組んだ。
「ハサレックの件が確認できないのは痛いな。だが大した痛みでもない」
王子が言うのは強がりでもなかった。ヒューデアに傷を負わせリチェリンを拐かしたのが「誰」であるかは大きな問題ではない。やはりハサレックだったとしても、べらべらと現状や今後の行動について語ってくれたのでもなければ、大して役立つ情報にはならない。
「理由はどうあれ、彼が決めて動いたなら見送るしかないな。協力者は気にかかるが、まさか追っ手を差し向ける訳にもいかん」
レヴラールは手を振った。
「無論、連絡さえあればいつでも助力を与えるが」
「殿下」
つけ加えられた言葉にイゼフが感謝の仕草をした。
「時に、宮廷魔術師の件」
それからイゼフは顔をしかめた。
「お伝えに上がったのはむしろ、このことだ」
「コルシェントのことか?」
役職としての「宮廷魔術師」ではなくリヤン・コルシェントの件かとレヴラールは片眉を上げた。イゼフは小さくうなずく。
「コルシェントの屋敷は継ぐ者もないまま、王城の管理となっていると伺ったが」
「ああ、確かそのはずだ。家屋はもとより、家財の類も買い手がつきそうにない故、近い内に全て処分し、解体することになるだろうが」
「それがどうかしたのか」
キンロップが尋ねれば、珍しくもイゼフは少し躊躇うような表情を見せた。
「……『出る』のだそうだ」
「出る? それは、つまり」
「幽霊……か?」
王子と祭司長は目をぱちくりとさせて確認した。イゼフは仕方なさそうにうなずいた。
「見たと言うのは兵だが、正式な報告に上げるのを躊躇ったようだ」
「ふむ」
レヴラールも「怠慢だ」というような苦言を避けた。




