04 疑うべきことも
ナイリアールは何とか落ち着きを取り戻そうとしていた。
「もうひとりの黒騎士」は退治されたことになった。だがその詳細は公表されなかった。鋭い者は、つまりはそれがハサレックであったのだと正解を言い当てたが、元とは言え〈青銀の騎士〉が子供たちを殺して回っていたという話はあまりにも受け入れがたすぎたのだろう、同調して吹聴する者は少なかった。ただ人々は、もう黒衣の剣士によって未来ある子供たちの命が奪われることはないという事実にだけ純粋に感謝した。
各騎士隊は治安維持の目的で各地を回った。黒騎士による子供殺しは模倣されるような事件ではないが、全く関係のないことまで「黒騎士のせい」にして幅を利かせる悪党たちが出没していることが知れたからだ。
もっとも首都を完全に空ける訳にもいかない。ジョリスはまだ復帰できず、サレーヒも異国だ。赤銅位のシザードが城に残ることとなり、マロナと黄輪のパニアウッド、ノイシャンタ、ホルコスが国中を回っていた。
騎士の姿は人々を安心させたが、〈白光の騎士〉はどうしているのだという不満も、さすがに人々の間に上がりはじめた。
「――通常の任に就いているなどと出鱈目を言っても意味はないな。実際、ジョリスは登城すらしていないのだから」
顔をしかめてレヴラールは言った。もうすぐ姿を見せられるという目算でもあればよいのだが、彼の回復には想定の何倍も時間がかかるという話だ。こんな話を聞けばジョリスは意地でも登城しようとするかもしれないが、ふらつくような状態であれば却って不安を抱く者とて出よう。
「休養などと茶を濁さず、大きな負傷をしたと公表してしまった方がよかったやもしれませんな。今更ですが」
キンロップもまた、渋面で答えた。
「或いは黒騎士の件とは無関係に、病に伏しているとする方法もあるかと。大病ではないが大事を取っていると」
「いや、それは駄目だな」
王子は首を振った。
「改めてそのような話を流せば、見舞客が大勢訪れる」
「……仰る通りですな」
目をしばたたいてキンロップはうなずいた。
「だがお前の言う通り、いまになって負傷を公表するのも妙な話だ」
「そうですな。ここはもう、黙って通すしかありません。しかしもう少しすれば、オードナー殿を盗っ人と言い立てた連中も、元通りに再び掌を返しますよ。そうなれば『実は死闘を演じていたのだ』という噂だって悪いものにはなりますまい」
「そうであればよいのだが」
王子はきゅっと眉根をひそめた。
「すまないな。俺が不甲斐なかったばかりに」
ジョリスの騎士位を剥奪などしなければ、最初からキンロップがいま言ったように「名誉の負傷」ということにもできた。だが一度落ちた評判を回復させるためには、〈白光の騎士〉は黒騎士を圧倒したという印象を作ることが大事だったのだ。
しかしジョリスの回復は長引くと言う。
「謝って気が楽になるのであればかまいませんが、謝るたびに自らを責めているのであればおやめなさい」
祭司長は王子を見て言った。
「後悔は時に心を落ち着けることもあります。ですが多くはただ気持ちを沈め、つらさを増幅するだけだ。自らの罪に罰を欲して自らを責めても、得られるものはありません」
「……うむ、そうだな」
レヴラールはうなずいた。
「俺の所行を罰するべきは俺ではなくジョリスだ」
「殿下」
「無論、ジョリスは俺を罰さないだろう。それどころか、正しい判断だったとでも言いかねんな。そこが、俺は……何と言うのか」
王子は言葉を探した。
「いや、よそう。あまりにも心弱い」
「それが判っているのなら――少しは口にしてもよいのですよ」
「……何?」
「いえ」
何でもありません、とキンロップは首を振った。
「オードナー殿のことですが、ひとつ」
「何だ」
「彼の首の傷痕は、おそらく残ります」
その宣言にレヴラールは少し青ざめた。
「残る、のか」
「ええ。時間が経てば目立たなくはなってくるでしょうが、それでも人目は引くでしょう。制服の意匠を替える手もありますが……」
「そのことはいずれ考えよう」
傷痕を隠すようなことはジョリスが肯んじないかもしれない。レヴラールはそんなことも考えた。
「それから、王陛下のご状態ですが」
「快方の兆しが見えはじめたということだったな」
少しほっとしてレヴラールは言った。王位に就きたくないということはなく、いずれは必ず彼が上る玉座だが、あの日からこちら張り詰め通しだ。
たとえ現王レスダールが何の問題もない健康体であっても、レヴラールと同じ状況に陥れば体調をおかしくしただろう。ましてや、いくら若かろうとまだ経験の少ないレヴラールである。日々、胃の痛くなる思いであったのだ。
もちろん、身内である父親が回復するというのは喜ばしい話だが、それだけでもない。今後、改めて彼が王になるという話はおそらくすぐに出るだろうが、一時的にでも全ての責任を父に返せるというのは息のつける思いだった。
「ええ。陛下が昏睡状態にあった要因は間違いなくハサレックの凶刃ですが、回復が難しいほど弱らされていた。コルシェントが薬湯と称して緩やかに毒を盛っていたのです。その可能性は以前にも考え、宮廷医師にも伝えておりましたが、何が幸いするか判らぬものですな。ヒューデア殿を癒やすために呼んだ薬師がよい治療法を知っていたのですから」
「〈怪我が招く善事〉か。皮肉なものだ」
もっとも目を覚ましたところでレスダールがすぐ執務につくには難しい。せいぜい、レヴラールの代行が緊急時の暫定的なものから正式なものになったという辺りだった。
カーセスタの件もとりあえずは片づいたが――ナイリアンが把握しているのは「カーセスタはあれをただの演習だったと説明している」ということだけだ――、本当の解決とはとても言えない。
「白光か青銀でも派遣して真偽を問いただしたかったところですが」
キンロップは嘆息した。
「ままなりませんな」
「世の中は〈ドーレンのねじれ輪〉でできているみたいだ」
レヴラールは手を振った。
「どちらが裏で表なのか」
「『真実』『正解』……そうしたものは容易には見つからないものです。容易に見つかった真実は、時に疑うべきこともあるでしょう」
「それは」
きゅっと王子は眉をひそめた。
「ラスピーシュ殿のことを言っているのか?」
カーセスタに開戦の意思はなく、ただの演習であり、ナイリアン国境に近かったのはたまたま――そんなことがあるはずもないが――で、すぐに兵を引き上げたという、それがラスピーシュの持ってきた「答え」だ。
少なくとも兵士の引き上げは確認済みであるが、カーセスタの意図についてはいかんともしがたい。使者を送る案も出たが、当座は泰然として見せ、新オードナー侯爵サズロにラシアッドでカーセスタの使者と接触してもらおうという流れだった。
だが気になる点も多いというのが本当のところだ。
「正直に申し上げて、読めないのはカーセスタよりもラシアッドですな」
渋面を作ってキンロップは言う。
「最も気にかかるのは、何だ」
「ウーリナ殿下です」
「彼女が、どうした」
その返答にレヴラールは表情を曇らせた。祭司長は手を振った。
「王女殿下ご自身がどうのと言うのではありません。何故この段で、ウーリナ殿下を国元へ返したのか……」
「戴冠式のためではない、ということか?」
「本当はレヴラール様を連れたかったのかもしれませんな。だが婚約は調わず、いや、調ったとしても殿下が国外へ出られる状況ではない」
「それでウーリナだけ戻した、というのも妙な話ではないか」
「ええ。王女をナイリアンから離せば、殿下のお妃にはやはり国内の姫君をとの話が進むことも十二分に有り得ます。下世話な言い方ですが、娘に王妃の座をと考える父親は多いですからな」
レヴラールのひとり目の妃が死んだあと、そうした争いも水面下では行われていた。まだ時期尚早と見ていたところに突然浮上したラシアッド王女に歯噛みしていた貴族もいる。彼女がナイリアンを去れば好機と見て当然だった。
「となれば、こうしたことも考えられます。ラシアッドはナイリアンと仲良くしたいとは特に思っていない、と」




