01 可能性ならある
やがて、老ミュロンが戻ってきた。
彼はふたりの若者たちが黙りこくっているのを奇妙に思い、何かあったのかと尋ねた。
オルフィは少しだけ迷ったが、他者の意見も聞いてみたくて、話を半分だけ伝えることにした。即ちジョリスからタルー宛てに預かったものがあることと、黒騎士がそれを狙っていたかもしれないということだ。
中身については口をつぐんだ。それがいまどこにあるかということも。
「その箱が何であれ、お前さんが頑張ったことで守れた。それが黒騎士の手に渡ることは何か致命的な事態になったかもしれん、それを防いだ。そう考えていいじゃろう」
まずミュロンはそう言った。
「タルーが渡されるはずだったその荷物のために殺されたというのは確かに憶測じゃが、可能性としては充分考えられる。じゃが黒騎士の仕業かというのはまた別の話じゃ」
「どうしてですか?」
オルフィが首をかしげれば、老ミュロンはふんと鼻を鳴らした。
「黒騎士と賊が急にこの平穏な南西部に現れたのは奇妙だと言うんじゃな? だが順番が逆であれば?」
「逆?」
「『急に現れた』のは〈白光の騎士〉殿。黒騎士や賊は、彼とその荷を追ってきたという可能性」
「あ……」
「成程。有り得ますね」
ですが、とカナトは続けた。
「チェイデ村の兄妹のことがあります。少なくとも黒騎士はジョリス様より先に、この南西部に現れていますよ」
「そうじゃな。いまの話とて憶測じゃ。何の根拠もない。〈白光の騎士〉殿が現れなかったとしても、タルーが死ななかったとは言い切れん。奇妙な偶然ではあるが『急に物騒になった』だけかもしれん」
「憶測しかできない、ということですか?」
「現状では、そうじゃな」
弟子の言葉に師匠はうなずいた。
「あ、お師匠。不思議なんですけど」
「何じゃ」
「どうして黒騎士はオルフィさんを殺さなかったんでしょう」
少年の問いにオルフィは思わずむせた。
「あっ、ち、違いますよ。決して、殺されないとおかしいとか、生きていて変だとかは」
「確かに、黒騎士がオルフィ殿を見逃す理由はないじゃろうなあ」
ううんとミュロンは両腕を組んだ。
「だがよいじゃろ。生きとるんだから」
それから老人はあっさりと言った。
「タルーは死んだ。お前さんは生きとる。ふたりとも死ぬよりずっとましだ」
あっけらかんとした物言いに、オルフィは少し気が楽になった。
「誰がタルーを殺したかという話じゃが、確かにただの賊とは思えん。――あやつはあやつで、少々心得があったはずだからな」
「ええっ?」
オルフィは驚いた。
「神父様が?」
「無論、魔力があった訳ではない。戦士のように剣を振り回したと言うのでもない。〈ドミナエ会〉というのを知っとるか?」
「いや、聞いたことないです」
正直に若者は答えた。
「八大神殿を目の仇にしとる過激な連中じゃ。いまの神殿は間違っている、自分たちの教義が正しいと言って小さな神殿や田舎の教会を焼き討ちにしたりする」
「とっ、とんでもない奴らがいるんだな」
善良な若者は心底驚いた。
「あっ、でもそれじゃ、まさか!」
「いや、タルーの殺害は奴らの仕業じゃなかろう。あれらはもっと派手にやる。そして自分たちがやったと喧伝するんじゃ、神の裁きだとな。夜陰に乗じてぶすりとやって、黙って去っていくようなことはないな」
ミュロンは首を振った。オルフィは安心するような落胆するような奇妙な気持ちだった。
「ともあれ、あやつはそうした連中と戦えるくらいの技量を持っておった。神術と言ってな、神官たちに使える業もある。加えて、本格的にではないが僧兵の訓練を受けておったとか」
「へえっ」
オルフィは全くの初耳だった。あの穏やかな神父が「戦う」ところなど想像もできなかったが、それは彼がタルーの若い頃を全く知らないせいもあっただろう。
「老いたりと言えども、村の者たちに脅威を知らせることくらいはできたはず。無論、凄腕の戦士であっても不意を突かれることはあるが……」
ううむ、と老人はうなった。
「やっぱり、黒騎士って可能性もあるんだろうか」
呟くようにオルフィは言った。
「可能性ならある」
ミュロンは口の端を上げた。
「半分に割れた米粒程度にわずかであろうと、可能性っちゅうもんは必ずある。『絶対にない』ということは絶対にないんじゃ」
「それって矛盾じゃないんすか」
思わずオルフィは問うた。
「まあ、いまのは言葉遊びみたいなもんでな」
老人は手を振った。
「もちろんその可能性もある。黒騎士は子供を殺して回っているという話じゃが、ほかに賊の仕業とされている殺害が黒騎士のせいでないとも限らん。ただの狂人という感じはせんが、子供をさらうところを見咎められれば大人でも狙うことはあるかもしれん。もっともタルーが村の子供を守ろうとして死んだのであれば、カルセンの子供が被害に遭っているはずじゃが」
「そうしたことは、なかったです」
「となれば現状の情報では、黒騎士の可能性は低いということになるじゃろうな。賊というのが妥当な判断じゃろう」
ただの賊とは思えないがいまはそう思うしかない、というのがミュロンの意見のようだった。
(黒騎士の、狙い)
オルフィはそっと左腕をさすった。
(「子供」だけじゃない。でも、神父様殺害との関係は判らない)
(……もしかしたら、ジョリス様が探しているっていう人物と、何か関わりが)
ふっと彼は思ったが、それだって根拠はなかった。
(ジョリス様にまたお会いできたら訊いてみようか)
(もし、黒騎士の仕業だったら)
オルフィにはタルーの仇を討つなどできない。ジョリスに頼むことしかできないだろう。〈白光の騎士〉はオルフィごときに頼まれなくたって全力を尽くすはずだが。
「しかし、それにしても」
ミュロンはちらっとオルフィを見た。
「肝心の、騎士殿に託された荷というのはいったい?」
「それは……言えません」
としかオルフィは返せなかった。
「ふん?」
「お師匠」
カナトが諌める。
「オルフィさんは、ジョリス様と約束したんですから……」
「わしは何も、見せろだの寄越せだの、言っとらんじゃろう」
老人は顔をしかめた。
「興味があるくせに」
じとっと師匠を見てカナトは指摘した。
「当たり前じゃろうが。お前はないのか」
「な、なくはないですけど」
「ほれ見ろ」
「オルフィさんを困らせちゃ駄目です」
負けじとカナトは言い返した。
「だからわしは引いたじゃろうに」
ぶつぶつとミュロンは不満そうに呟いた。
「あの、オルフィさん。カルセン村に戻るって言いましたよね」
「ああ、そうするつもりだけど」
オルフィはうなずいた。
「あの」
カナトはじっと彼を見た。
「僕も一緒に行っていいですか?」
「は?」
突然の言葉にオルフィは口をぽかんと開けた。
「僕はまがりなりにも魔術が使えますし、もしまた黒騎士が荷物を狙ってきても少しは対抗できると思うんです」
「そいつぁ……有難くもあるけど……」
彼は黒髪をかいた。
「何で?」




