11 心当たり
「これから、どうするんです?」
「え?」
突然の問いに彼は目をしばたたいた。
「どうって……ああ、一旦、カルセン村というところに戻るんだ。タルー神父のいる……いた村だよ。タルー神父のことは知っている?」
「お名前は伺ったことがありますが」
カナトは顔をしかめた。
「『いた』というのは、もしかして」
「うん」
オルフィは息を吐いた。
「さっきミュロンさんには話したんだけど。賊に襲われて、亡くなったんだ」
「ええっ?」
少年は驚いた。
「神父様を手にかけるなんて……そんな不届き者がこの辺りにいるんですか……」
「黒騎士に、賊。何だか急に物騒な感じになってきたな」
のんびりとした田舎なのに、まるでどこか違う国の話をしているかのようだ。オルフィは嘆息した。
「黒騎士に……賊」
カナトも呟いた。
「オルフィさん。それは本当に賊だったんでしょうか」
「え?」
「神父様を殺したのが黒騎士だ、という可能性は?」
「へっ?」
彼は目をしばたたいた。
「黒騎士が狙うのは子供だと言うじゃないか」
オルフィは手を振った。
「それはどうしてなんでしょう」
「知らないよ」
「でしょう?」
カナトは首をかしげた。
「黒騎士の目的は誰も知らない。それなら、神父様を殺害する理由だってあったかもしれません」
「何だって?」
顔をしかめてオルフィは聞き返した。
「どうしてそんなことを言うんだい」
「オルフィさんも言ったでしょう。急に物騒になってきたって」
「言ったけど?」
「では、賊の目的は?」
「え?」
「どうして賊は神父様を殺したんでしょうか」
「それだって、知らないさ」
「そうなんですか?」
「何で俺が知ってると思うんだよ」
「いえ、オルフィさんがと言いますか」
少年は思慮深げに眉をひそめた。
「賊というのは金品を奪うために人を脅し、傷つけ、殺す連中のことでしょう。そいつらはいったい、神父様を殺してまで何を欲したんでしょう」
「何を……」
繰り返してオルフィは考えた。
「神父様が大金を持ち歩いていたとは思えない。装飾品だって聖印くらいだろう。都会の偉い神官様は豪華な聖印を持っていることもあるだろうけど、タルー神父のは簡素で、不埒者が売ろうったって売れないだろうし……」
賊が「神父を殺してまで奪いたい」と思いそうなものなど何も考えつかなかった。
「あ……」
だがふと、オルフィの内に浮かんだものがあった。
「何か心当たりがあるんですね」
「いや、心当たりと言えるかどうか」
彼の声はかすれた。
無意識の内に、右手が左腕に触れる。
(ジョリス様がタルー神父に預けようとしていた)
(この……籠手?)
すっと血の気の引く思いがした。
(もし、もしもだぞ)
(仮にそういうことだったとすると)
(神父様を殺したのは、カナトの言うように、賊じゃなくて――黒騎士)
昨晩オルフィの前に現れた黒衣の剣士が優しい神父に剣を振りかぶる姿を想像して、オルフィは全身が冷たくなるような感覚を味わった。
「オルフィさん、どうしたんです。顔色が……急に」
カナトはオルフィをのぞき込むようにした。
「すみません。僕、何か余計なことを言ってしまったんでしょうか」
恐縮するように少年は言う。だがオルフィは「君のせいじゃない」と返す余裕を持てなかった。
もし、それが黒騎士であったとして。
もし、オルフィの持っていた箱を狙ったのだとしたら。
それは何の根拠もない想像である。だがカナトの言う通り、黒騎士が子供を殺して回る理由も判らない。もちろん子供たちがこの箱を持っていたはずもないのだが、少なくとも昨夜、箱を持つオルフィが狙われたことは確かだ。
黒騎士が箱を狙ったというのも推測だ。だがこれは、それ以外に考えられない。
『急に物騒になったな』
ルタイの小隊長の言葉が耳に蘇る。彼自身もそう感じ、同じことを口にした。
何ごともなく平穏であった南西部に、急に凶悪で極悪な黒騎士と賊が現れた。チェイデ村の兄妹が殺され、カルセン村の神父が殺された。怖ろしいことが偶然、続けて起こったのか。それとも。
ジョリス・オードナーが持っていた箱。ジョリスが探していた「誰か」のことを知っていたらしいタルー。黒騎士に脅された、箱を持つオルフィ。これには一連の繋がりがある。
〈白光の騎士〉がタルーに渡すよう言った、銀色の箱。或いはその中身。
それはオルフィの手にある。
箱も。
籠手も。
彼の身体は死人のように冷たくなった。若者は急激な目眩に襲われ、頭を抱えてうなり声を発しながら卓に突っ伏した。
「ど、どうしたんです、オルフィさん!?」
慌てたように彼を呼ぶ少年の声が耳に届いた。
「あ、ああ……何でも……」
何でもない、大丈夫だと言おうとしたけれど、最後まで言うことができなかった。
「どう、なんだろう……黒騎士の仕業なんだろうか……」
「あ、す、すみません。何の根拠もない推測、憶測にすぎませんでした」
カナトは謝罪の言葉を口にした。
「でももしかしたらオルフィさんは」
何か心当たりが、とカナトは遠慮がちに繰り返した。
「判らない」
彼は首を振った。
「俺にも、判らないんだ」
タルーを殺したのが何者であるのかなど、判りはしなかった。賊だというのも「おそらくそうだろう」と言うだけにすぎないが、黒騎士だというのも確かに突拍子もない憶測だと言えるだろう。
しかしタルーの殺害と黒騎士を繋げる線はある。オルフィが持つ、ジョリスから託された――。
(落ち着け、オルフィ。黒騎士の仕業だって決まった訳じゃない)
(でも)
頭のなかがぐるぐるした。
いったいこの箱は、籠手は、何なのか。
黒騎士は何故、籠手を狙うのか。
〈白光の騎士〉は何故この箱を持ち、それをタルーに託そうとしたのか。
いったい自分は何に――巻き込まれているのか?
ジョリスとの出会い。タルーの死。黒騎士との遭遇。そして、彼の腕から離れない、美しい青色の籠手。
波瀾の一日はもはや昨日のことだ。
だが、彼の運命は、これから音を立てて変わり行く。
いやそれとも、最初から全て決まっていたことなのかもしれない。
若者は知らない。まだ。
この先に続く一連の大いなる出来事を。
彼は――巻き込まれた訳ではないことも。
(第3章へつづく)




