02 遠く祖先を遡れば
「アミツは何と?」
男は問うた。
「――何も」
ヒューデアは正直なところを答えた。
「何も示していない」
「ならば私は敵ではない。違うか?」
「……それは」
オルフィに、ハサレックに対して声高に叫ばれた――というのは比喩だが――危険は、確かに示されていない。
しかし、それは即ち信じてよい相手だということにも限らない。
「状況が判らない。判断できない」
「正直なことだ」
男はかすかに口の端を上げた。
「そこがまた貴殿の『魅力』ということになるのだろうな。彼に言わせれば」
「誰だと」
「我が主のひとりだ」
「主が何人もいるのでは面倒だろうな」
ヒューデアは少し蔑むかのように言った。主は通常、ひとりだ。複数の人間に仕えるなど二心を意味しかねない。
「仕方ない。順位こそあるが、王族がクロシア家の主と決まっている」
「王族……クロシア」
その名前にはっとした。
「ノイ・クロシア。ラスピーの部下か」
「魅力」云々という戯言もラスピーの発言と思えば納得できるものがある。
「その通り」
クロシアは認めた。
「ではここは王城か? ピニア殿の館とは見えない」
「確かに」
またクロシアはうなずいた。
「つい先ほどまで、この場にはキンロップ祭司長とイゼフ神官がいた。今宵はもうこないだろうが、何とか貴殿の身体から毒を抜こうと必死だ。しかしこればかりは」
と男は瓶をまた振った。
「どんな優秀な神官も魔術師も、獄界の力に関わることはできない。人の子である以上は」
決して、とクロシアは呟いた。
「……お前は」
ヒューデアは胡乱そうにクロシアを見た。
「私か? 見た通り、私は人間だ。この瓶については扱い方を教わっただけ」
「教わっただと」
妙だ、と彼も感じざるを得なかった。
「いったい、誰からだ。いまの話からすると祭司長やイゼフ殿からとは思えぬが」
「無論。人間に思いつけることではない。いや、本当に優秀な人物なら思いつくことはあるかもしれない。だが手段を講じることはできない」
「ならば、その手段は人ならぬものから得た……ということになるな」
白銀髪の剣士はゆっくりと身を起こそうとした。身体はまだ言うことを聞かなかった。
「尋ねておこう、ノイ・クロシア。貴様はラシアッドの王族、王家に仕えていると言ったが本心か」
「……何故」
わずかな沈黙をおいて、クロシアは言った。
「そのようなことを?」
「俺を愚者だと思っているのか? 獄界の炎……それがどういうものであるのかは知る術もなく興味もないが、貴様は人の子ではない存在からその扱い方を教わったと言った。つまり」
「そうは言っていない」
クロシアは遮った。
「私が直接教わったとは、言った覚えがない」
「では間にいる人物は誰だ。ハサレックか」
「いいや」
「では……ラスピーか」
ヒューデアはラスピーシュのことを特に疑ってはいなかった。疑う理由がなかった――見つからなかった――からだ。だがクロシアの関係者、仕える相手として客観的にその可能性を考えた。疑う理由こそなくても、「彼がそんなことをするはずがない」とまで思う理由もない。
「いや、ラスピーシュ殿下でもない」
「ならば」
きゅっと彼は眉根をひそめた。
「ほかの王族……ウーリナ王女か、第一王子ロズウィンド」
「王女殿下は何もご存知ない」
クロシアは三度、瓶を振った。
「ウーリナ様をナイリアールにというのは、ラスピーシュ殿下の反対するところでもあった。だがナイリアンの機嫌を取る……『機嫌を取っていると思わせる』ためには、単純だが効果の高い案だ」
「つまり、第一王子に企みありという訳か」
ふんとヒューデアは鼻を鳴らした。
「どうやら、ただ親切心で助けてくれた訳ではなさそうだな」
言いながらヒューデアは自身の体力をそっと計った。
酷い脱力感がある。疲労感に近い。何日も眠っていた上、毒と戦っていたとなれば当然か。
だが、どういう形であれ、その戦いは終わったということになる。声は出にくいが、これだけ話していても息が切れるほどではない。自ら掴み取った勝利ではないのがいささか気にかかるところだが、いまは生き延びたことをアミツに感謝するのみだ。
そして、次は勝利するために。
「人間が知り得ぬ毒を知り、それを癒やす手段も知る何者かからそれらを教わった人物、それがお前の主人であるなら、お前は俺とリチェリンを襲ったハサレックの一派だと考えられる」
淡々とした調子でヒューデアは指摘した。もとより、声を荒らげるようなことは難しかったのだが。
「『ハサレックの一派』はいただけない」
クロシアは首を振った。
「ハサレック・ディアは確かにとても優秀な剣士であり、私も彼に命じられれば限定的に従う立場だが、彼は言うなれば客員だ」
「裏切りの騎士を客員にとは」
彼は目を細めた。
「ラシアッド王家……ラシアッド第一王子殿下はずいぶんと懐が深い」
「何、当然の帰結だ」
クロシアは否定しなかった。
「そして経過にすぎない。『ラシアッド王家』が正当なる座に返り咲く日までの」
「正当なる……?」
何の話がされているのか、彼には見当もつかなかった。
「ヒューデア」
クロシアはまっすぐにヒューデアの目をのぞき込んだ。
「私とお前は、とても近い位置にいる」
「近い、位置だと?」
「ああそうだ。クロシア、クロセニー。姓の類似はラスピーシュ殿下が指摘なさっただろう。我々にはエクールの守り人クロスの血が流れている」
「クロス?」
続けて尋ね返し、彼は顔をしかめた。
「何のことだ。俺は知らない。聞いたこともない」
「キエヴには伝承が失われたか、はたまた長のような人物だけが知る話となっているのか」
「――エクールとキエヴにつながりがあるというのは、では」
「事実だ。信じるかどうかはお前次第だが」
「答えはまだ、保留にさせてもらう」
ヒューデアは言った。
「だがお前は、何だ。エクールの出身なのか?」
「遠く祖先を遡れば。それはお前も同じということになるだろう」
「保留だ」
短くキエヴの若者は繰り返した。
「判った。ともあれ、もう一度言おう。ヒューデア・クロセニー。私とお前には同じ血が流れている。湖神が守護戦士、ナイリアンの蛮族に残虐に処刑されたクロスの」
ヒューデアは黙っていた。
クロスという名を耳にしたことがないのは事実。もしキエヴの長にでも聞かされたのなら興味を持って聞くが、この状況で聞きたいとは思わない。
「もっとも私とて、何も今更先祖の仇討ちなどと言い出すつもりはない。たとえ卑怯な手段の前に敗れたのであっても敗北は敗北。勝者には敗者をどうとでもする権利がある」
恨みはないとクロスの子孫は手を振った。
「ただ、クロスの血。それはエク=ヴーに仕え、エクールの民を守るべき血筋。お前はキエヴ族についてのみ、そう考えているのかもしれないが」
「エクール……キエヴ……」
本当なのか。彼は迷った。ラスピーシュの言ったこと。そして、アミツのしるしと酷似した、エクールのしるし。全てはつながりを示している。
「もしもキエヴ族がエクールの民に連なる存在であるならば、エクールの神子はキエヴの神子でもある、ということになるのか」
呟くようにヒューデアは言った。もとより、考えていたことだ。信じるかどうかは別として、その思いがあったからこそリチェリンをキエヴの集落に案内しようとした。その結果が現状だ、ということを思えば情けなくもあるが。




