07 栄誉ある役割
「ナイリアールで、何か変化が?」
思わずオルフィは尋ねた。ウーリナは目をぱちくりとさせた。
「何か、ございましたの?」
「え」
(リチェリンやヒューデアの件は知らないのかな)
心配させまいとラスピーシュが伏せたか。有り得ることだった。
「いや、その」
兄たちが隠しているのであれば彼が告げることでもない。ウーリナには直接関わりのないことでもある。そう思った。
「お勉強をなさっていると伺いましたわ。少しお休みしてお茶にいたしませんこと?」
オルフィとシレキは顔を見合わせた。
『おい、どうするんだ』
『どうって言われても、断れないだろ』
そっと小声で相談する。
『まあなあ。王女様ににこにこと誘われちゃあな』
シレキは本を閉じた。
「では、王女殿下」
男は下手くそな礼をした。
「その栄誉ある役割はこの男にお与え下さい」
にやりとオルフィを指し、シレキは一歩下がった。
「おいっ」
「いやいや、俺は遠慮しよう。若いもん同士で、ごゆっくり」
「やっ」
『やめろよ、そういうつまらない冗談は。おっさんもくればいいだろ』
小声でオルフィは抗議した。
『いや、俺は無理だって。お前さんと違って秘めた過去も何も』
シレキも声をひそめて顔をしかめる。
『別に何も難しいことなんかないって。俺だけ息抜きなんかできるかよ』
王女様のお相手というのはとても息抜きにならなさそうだが、それは別の話だ。
「まあ、何か問題でも?」
心配そうにウーリナ。
「問題ってほどでも」
「オルフィにお供させますから」
「おっさんっ」
「あら、シレキさんにもご一緒していただきたいですわ」
ウーリナはきっぱり言い切った。シレキは目をしばたたく。
「もう三人分の支度はできていますもの」
さあ、と促されては仕方がない。男たちは諦めて王女に従った。
この段でウーリナがラシアッドに戻ってきているというのは、少々ややこしいことでもある。兄王子たちも認めていたように、彼女は「人身御供同然」にナイリアンへ赴いたのだ。
もちろん、レヴラールとの婚約が整った訳でもなければ、兄の戴冠式に彼女が参列するのは当然でもあるが、何しろカーセスタとのことがある。疑いの眼で見るのであれば、「最初はナイリアンにいい顔をするつもりだったが、カーセスタにつくことにしたのでウーリナを連れ戻した」と見ることだってできる。
だがそうしたことはレヴラールやキンロップだって考えただろう。その上で彼女の帰郷を許した――現状、禁ずる権利はないのだが――だから、オルフィがどうこう考えることではない。
招かれたのは王女の部屋であったが、意外と慎ましやかで、派手な装飾品などは置かれていなかった。部屋の配色は明るく、「娘らしい」という感じはした。
「あら、まだ支度の途中だったのね」
ウーリナは目をしばたたいた。
「も、申し訳ありません。おっ、遅くて……」
侍女が慌てたように頭を下げた。
(あれ? この子……)
この前見かけた侍女だ。オルフィは首をひねった。
(やっぱりどこかで見たことがあるような)
「いいのよ。かまわないから慌てないでやって頂戴」
王女は優しく語りかけ、彼らを向いた。
「入ったばかりの新しい侍女なのです。戴冠式の支度に人手が足りないとかで」
「そうなんですか」
相槌を打ってオルフィは娘の顔をよく見ようとしたが、彼女の方はまるで避けるように顔を伏せ、焦るようだった。
「あっ」
がちゃん、と音がする。皿が一枚、落ちて割れてしまった。
「わっ、しまった、どうしよっ」
侍女らしくない言葉が出たかと思うと、彼女はかがみ込んで破片を拾おうとした。
「あ、待って。触っちゃ駄目だ」
思わずオルフィは近寄った。
「慌てて拾うと危ない。何かこう、手袋みたいなものでも」
「わわっ」
と、彼女は飛びすさった。
「へ?」
「すす、すみません、す、すぐ、ええと、どうしたら」
「――誰か」
ぱんぱんと手を叩いてウーリナはほかの侍女を呼んだ。
「はい、姫様」
もうひとり、支度をする者がいたのだろう。盆を持って別の侍女が現れた。
「片づけを手伝ってやって。叱っては駄目よ?」
「まあ……はい、そのようにいたします」
皿を割る、それも王女の前で、となれば侍女としては大失態だ。ウーリナの言葉があるから少なくともこの場では叱られないだろうが、あとでこってりとやられるだろう。クビになるかもしれない。
(大丈夫かな)
ついオルフィは心配になった。
(何だか危なっかしいと言うか……侍女っぽくないよな)
ヴィレドーンの知るナイリアン城の侍女たちはみな優秀だ。こんな失敗など見たことも聞いたこともない。
(それにやっぱり)
(知っているような気がするんだけど)
どことなく感じる既視感。しかし、どこの誰とも思い出せない。オルフィはもやもやした。
そうこうする内に問題の侍女――ふたつの意味で――は姿を消し、慣れた侍女だけが行き来をして、その後は滞りなく支度が調い、順調な茶会がはじまった。
ウーリナの見たナイリアンのことや、彼らの見たラシアッドのことなど、話題は無難なものに終始した。オルフィはちらちらと探りを入れてみたが、やはりウーリナはヒューデアやリチェリンに起きたことを知らないようだった。
となれば彼が焦っている様子を見せる訳にもいかない。オルフィは笑顔が引きつらないようにしながら王女と語らった。
「そうだわ、カーセスタのお客様もいらしているのですわね」
ふと王女が言った。
「先ほど、見かけましたわ。ふふっ」
思い出して彼女は笑う。
「この城なんてナイリアン城や、きっとカーセスタ城に比べても小さなものでしょうに、迷ってしまわれたらしいんですの」
(……あいつだな)
ディナズではないだろう。あの青年に間違いない。
「少しだけお話をしましたけれど、楽しい方でいらっしゃいましたわ」
「それは」
「何より」
ウーリナとあの青年がどんな会話をしたのかと想像すると、少し苦笑いが浮かびそうだった。
(全然、噛み合わなかったんじゃないか?)
「わたくし、今度あの方もお茶にお呼びしてみようかと思いますの」
「ん?」
オルフィは目をしばたたいた。
「よろしかったら、オルフィさんたちも――」
「おっ、お邪魔します! ぜひ!」
立ち上がりそうにさえなりながらオルフィは答えた。
(これは、好機!)
ディナズから何か聞き出すのは困難そうだが、あの青年ならば。
(あれで観察眼は鋭いみたいだが、なあに、こっちには隠す秘密もない)
ヴィレドーンや籠手絡みのことはカーセスタには関係がない。仮にハサレックがカーセスタに全て洩らしているとしても、やはりそれなら今更隠すこともない。
「まあ、オルフィさんたら」
ウーリナは少し驚いたと見え、軽く目を瞠ってから笑った。
(張り切りすぎたか)
オルフィは頭をかき、シレキは苦笑した。考えが判ったぞ、という感じだった。
「俺もよろしいですかね、王女殿下」
「もちろんですわ。うふふ、楽しいお茶会になりそうですわね」
「ええ」
彼はうなずいた。
「とても、楽しみです」




