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アバスターの継承者  作者: 一枝 唯
第6話 静かなる魔手 第3章

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06 代表って訳じゃないが

 それからオルフィは、いま彼の立ち位置でできることを探した。

 剣の訓練もそのひとつだが、ほかにも可能なことはある、と助言をくれたのはシレキだった。

 カーセスタについて、彼らはほとんど何も知らない。識士がどれくらいの地位に相当するのか、発言力はどの程度なのか、それを踏まえておかないとあのディナズと話すときに有用なものを掴み損ないかねない。

 ラシアッド城の図書室はシレキが感心するだけあってなかなか立派であり、彼は彼なりにカーセスタを知ろうとした。

 しかしやはり、集中力には欠けた。

 リチェリンはどこでどうしているのか。

 騎士の座になくなったと言えども、ハサレックが彼女を酷い目に遭わせるとは思わないが――ここは奇妙な信頼と言えた――軟禁状態にはあるはずだ。それを思うと、大人しく本など読んでいられない。

「冷静になれって」

 本を抱えながらシレキは言った。

「向こうから動いてくれる目算が強いんだ、何の手がかりもない完全な手探りよりましだとでも思え」

「判ってるって」

 答えてオルフィはちらりとシレキを見た。

「ラスピーにも散々言われた。本当に判ってるんだ、頭じゃな」

「それなら深呼吸して、黙ってこれを読め。読めるんだろ?」

「ああ」

 カナトと魔術師協会の図書室に行ったときのことを思い出した。あのときのオルフィには文字は読めなかった。ヴィレドーンは学んでいたのに、と思うとおかしな気分だ。

『オルフィ』

 少年魔術師の声が頭に蘇る。

『ぱっと一冊選んで開いてくれませんか』

 あのとき彼は、アレスディアのことが掲載されている頁を開いた。〈導きの丘〉の頁を開いた。

 あれが偶然でなければ。

(……アレスディアの力)

(ラバンネルの力と言うべきかもしれないが、そう考えるのが妥当)

(とすれば、いまもその力がある……?)

 判らない。だがやってみて悪いこともないだろう。オルフィは手にした本を適当に開いた。

「識士、識士……あっ」

(あった)

「ん? どれどれ」

 シレキがのぞき込んだ。

「ああ、案外詳しく書いてあるみたいだな」

 識士には階級があり、三段階に分かれる。首位は智、次位は仁、三位は儀の識士と呼ばれ、首位ともなればその力はとても強い。首位識士の同意がなければ、国王でさえ何も決定できない。ざっとそうしたことが書かれていた。

「へえ、そうなのか。それじゃナイリアンの騎士どころじゃないな」

「祭司長と宮廷魔術師だって、ここまでじゃない」

 ふたりは呆れたような感心したような声を出した。

「三階級と言っても、首位がずば抜けてるんだな」

「次位と三位は、ご意見番って程度みたいだ」

 読みながらオルフィは言った。

「もっとも実情は判らんな」

 シレキは眉をひそめる。

「それこそ祭司長や宮廷魔術師みたいなもんかもしれん」

「となると、識士の間でも権力闘争なんかがあるのかな」

「ありそうだ」

「この前の先生は……」

「ディナズは仁の識士らしい」

 思い出しながらオルフィは言った。

「この感じからすると、首位はほいほい国元を離れないだろう。次位というのも納得だな」

「ふうむ」

 シレキは両腕を組んだ。

「権力闘争か。ハサレックは、と言おうか、例の悪魔はそういうのが好きそうだ」

「……ああ」

 言われるまでもない。オルフィはよく知っていた。ヴィレドーンは権力に興味はなかったが、あのときもしアバスターやラバンネルの助けがなければ、彼はニイロドスに導かれるままナイリアン国を乗っ取ったかもしれない。その後のことは全く想像がつかないが、世の中は混沌としただろう。

 混乱。恐怖。嘆き。どれもこれも悪魔の大好物だ。

「どの識士にも従者みたいな助手がつくようだな。あの兄さんはそれか」

 再び書物に目を落としながらシレキは言った。

「あいつが助手、ねえ」

 オルフィはあごを撫でた。

「俺だって不安になるくらいなのに、識士のセンセイはいいのかね」

「ま、どこかに秀でてる奴がまるでその分みたいにどこかぽっかり抜けてるってのは、ちょくちょくある話だ」

 シレキは肩をすくめた。

「もっとも、抜けてる奴の方が助かるさ。要らんこともぽんぽん喋ってくれそうだからな」

 何気ない調子でオルフィは言った。シレキは気遣わしげな視線を寄越す。

「おい、お前」

「判ってるよ」

 彼は遮った。

「いきなり喧嘩を売ったりはしない。俺はナイリアンの代表って訳じゃないがナイリアン人だし」

 現状で、カーセスタ代表とナイリアン人がやり合うのは危険な空気を招きかねない。極端な話、「偉い識士の先生」がオルフィに腹を立てて「ナイリアンの人間などやっつけてしまえ」と思えば、何がどういう方向に動くか判らないのだ。実際には、識士とも呼ばれる人物がそれほど短慮ということもないだろう――と思いたい――が。

「でも、片鱗でも掴めれば俺は容赦しないからな。ナイリアンもラシアッドも知るか」

 リチェリンを守るためになら、元ナイリアンの騎士の心根ですら捨ててやる。そうした気持ちだった。

 もとより、ヴィレドーンはとうに誓いを破っていた。いまでも、或いはいまやオルフィにも騎士めいた心持ちはときどき発生するが、彼が冗談にもナイリアンの騎士を名乗れないことはハサレック並みだ。

「落ち着けよ?」

 例によって調教師は、動物をなだめるように手を上下させた。

「こうなったらまじで、俺はお前の従者みたいに引っ付いてた方がいいかねえ?」

「よせよ」

 オルフィは顔をしかめたが、シレキは本気のようだった。

「さっきまでは任せておけたが、リチェリンのことが絡むとお前、あれだからな」

「何だよ」

「『若いお前』が前面に出る」

 シレキの指摘は実に的確だった。オルフィは反論できなかった。

(まさしくその通りだ)

(リチェリンを思うと、俺は「オルフィ」だけになる)

 何も知らない、南西部の田舎の若造。思い出した技術や知識が消えてしまうことはないが、感情的にヴィレドーンの入る隙がない。

 これがよいことなのかどうか、彼には判らなかった。

 オルフィでいるようにとの忠告は、理解している。シレキを通じてラバンネルや――そしてカナトが言ったこと。

 彼の過去を知るラバンネルはともかく、カナトが言ったというのは驚くべきことに思えた。あの少年は本当に、優れた魔術師だったのだ。

 返す返すも惜しいとヴィレドーンの部分は思い、オルフィの部分はただひたすらに哀しく悔しかった。

「オルフィさん、シレキさん」

 ふんわりとした声がした。誰のものかは考えるまでもない。

「ウーリナ様」

 ふたりはさっと立ち上がって礼をした。

「ごきげんよう」

 ラシアッド王女はにっこりと笑みを浮かべて挨拶した。

「おふたりがこちらにいらっしゃると聞いて、急いで参りましたのよ」


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