05 お客様ですか
かと言って、本当にただ座して待っているなどはできない。
ロズウィンドとの食事を中座し――丁重に詫びは入れた――オルフィは部屋に戻るふりをして、城内を足早に回った。見かける使用人使用人に声をかけ、目当ての人物の居場所を探し当てた。
「クロシア」
オルフィはノイ・クロシアの姿を発見すると駆け寄った。
「使者を迎えに行く話は聞いたか」
「……ええ」
王子たちの護衛にして密偵は、少しの間ののちにうなずいた。答えることでもないが、オルフィが知っているのなら隠す必要もない、という判断だろう。
「俺も行く」
その宣言に男は顔をしかめ、それから意図的に表情を消した。
「それはなりません」
「どうして? 俺がラスピーシュの客だから?」
「そうしたこともございます。しかし何より、私の任は、誰であろうと近くにいられてよいことはないのです」
「ついてこられちゃ邪魔って訳だ」
「有り体に言えばそうです」
全く悪びれずにクロシアは答えた。
「ま、気をつけるさ。邪魔にならないよう」
「オル」
「ちなみに俺は『連れて行ってくれ』とは言ってない。『行く』と言ったんだ。あんたが否と言おうと行くし、俺を撒くなら別に、俺なりに行動して識士サンと接触するさ」
それは酷い――質の低い――脅しであったが、効果的でもあった。勝手に行動されるのは、クロシアが最も避けたいことであるはずだからだ。
「仕方ありません。ただし、勝手な真似をすれば殿下のご友人であろうと容赦はいたしませんからね」
「はいはい」
判りました、とオルフィは片手を上げて宣誓のようにした。
もっとも、捜索自体は予想以上に簡単だった。識士という地位とオルフィらが見た態度からすれば、高級旅籠にでも滞在しているだろうとの推測は簡単だったからだ。
「そうか、判った」
旅籠の人間に確認を取ると――いちいち正面から話を通さなくても、既に彼の手の者がいるようだった――クロシアはオルフィを振り返った。
「確かに、ディナズという人物ともうひとりの若い連れが宿泊している。早速訪問するとしよう」
この段になるとクロシアから敬語が取れていた。礼儀を尽くすこと自体は苦ではないようだから、オルフィの様子に合わせたのだろう。或いは城の外でそうした態度は立つという考えかもしれない。
「訪問? 正面から?」
片眉を上げてオルフィは確認した。
「奇襲をかける訳じゃない」
正面からで当たり前だろうと言うようだった。
「俺も行っていいのか?」
「駄目だと言ったところで、ついてくるのではなかったか」
「ま、そのつもりだけどな」
ここまできて見学というのもおかしな話だ。
「もっとも、しばらくは黙っていてもらいたい」
勝手に余計なことを話しはじめるな、という意味であろう。
「努力するさ」
オルフィは適当に受け流した。クロシアは渋面を作ったが、彼はオルフィに命令できる立場でもない。もしも彼が無謀な振る舞いに出れば全力で止めもするだろうが、それ以外は致命的な事態にならない限り、静観を心がけるだろう。
(と言っても俺だって出しゃばる気はないんだ)
(まずは城へ連れるのだって有用な作戦)
識士がラスピーシュやロズウィンドの前でどんな態度を取るのか。それは大いに参考になる。
クロシアはまっすぐにカーセスタ人たちの部屋へ行くと、躊躇なく戸を叩いた。
「失礼いたします、仁の識士クーストス・ディナズ様」
(仁の識士、って言うのか)
初めて耳にする位だった。それに、ディナズの完名も。
(やっぱりこのクロシアも油断ならないな。しっかり調べてやがる)
何も敬遠することではない。調べてくれて助かると、感謝したっていいくらいだ。だがどうしてか引っかかる。
(「俺の側」って訳じゃない、からなのかな)
ラスピーシュの側。ロズウィンドの側。彼らはいまオルフィと同じ川岸にいるようであるし、敵対する理由もないが、それはラシアッドがナイリアンに――悪い言い方だが――尻尾を振っているためだ。もしもその必要がないとか、カーセスタについた方が得策だとか考えれば、彼らの態度は変わるだろう。そういうものだ。
そう、何かひとつ歯車が狂えば、ここは敵陣になるかもしれない。
オルフィはそのことに気づいていた。だから、クロシアが有能であることに素直に拍手できないのだ。「敵に回せば怖ろしい」と感じるが故に。
少しの間ののちに、かちゃりと扉が開いた。意外にもと言うのか、開けたのはあの青年ではなく、識士の男当人であった。
「……何だ」
やや太めの中年男は計るようにと彼ら訪問者を眺めた。
「ディナズ識士でいらっしゃいますね」
丁重にクロシアは礼をした。
「いかにも」
ディナズがこくりとうなずいた。
「ラシアッドの迎えか」
それからずばりと言い当てる。
「ふん。城下をうろうろするのはやめて、城内で動向を管理されるよう提案にきたか」
じろりとクロシアを睨んで、ディナズは言い放った。
(ずいぶん、攻撃的だ)
オルフィは自分が睨まれたかのように顔をしかめた。
(だが、さすがにってとこかな。迎えがきたことに驚いた顔ひとつ見せない)
(それに、城で見張られる可能性についても気づいてる)
直接的な発言こそ意外――知的階級にある者にしては――であったが、警戒の現れとも取れる。「警戒しているぞ」と見せることは手の内を晒すことになろうが、場合によっては効果的に使うこともできる。これが小物であれば無計画な威嚇と思うところだが、識士と呼ばれるだけの人物だ、意図的と見てよいだろう。
「どうなさいました、先生!」
奥から若い声がした。
「えっ、お、お客様ですか? すみません、僕が出るべきで……ああっ!?」
どたどたどた、と何かが落ちる音がした。ディナズはため息をついた。
「落ち着いて、深呼吸してから、こっちにきなさい」
「はっ、はいっ、すみません先生!」
顔を赤くして隣室から走ってきたのは、もちろんと言おうか、あの青年であった。
「あれっ、あなたは、先日の」
青年はクロシアよりもオルフィに目を留めた。覚えがあればそれも当然だろうか。
「どうしたんですか? いったい」
「ラシアッドの使者だ。用件はまだ聞いていないが」
「失礼いたしました」
クロシアは深々と頭を下げた。
「カーセスタの使者殿が既にご到着なさったようであること、ラシアッド第一王子ロズウィンド殿下のお耳に入りました。城下でご不便をおかけするよりは、ぜひ城の方へおいでいただきたいと」
「何も、不便などないがな」
ディナズは肩をすくめた。
(「使者」を否定しなかった)
(やっぱり、この識士サマが招待客か)
しかし早い、という気持ちはあった。
「素朴だがよい町だ」
識士が続けて発した尊大な褒め言葉とも言えた。明らかに下に見た言い方だからだ。だがクロシアは腹を立てた様子など見せることもなく、また礼をして感謝の仕草までする。
(ま、内心ではむっとしてるのかもな)
オルフィはそう踏んだ。
「あれ? でもそちらの方はナイリアンの方では?」
青年がオルフィを見て目をぱちくりとさせた。
「え?」
オルフィもまたまばたきをする。
「何で……」
「あ、すみません。話し方が」
「話し方?」
「ええ。ナイリアン人とラシアッド人の言葉の抑揚はとてもよく似ているんですけれど、わずかに違うんです。普通に話していれば違和感を覚えない程度ですけれど、僕はちょっと、そういうのを研究しているので」
わずかに頬を赤らめて青年は説明した。
「研究」
(成程。やっぱりただのうっかり君って訳じゃないのか)
カーセスタの事情は知らないが、学問である程度以上の実績がなければ識士の従者だか助手だかにはなれないだろうことくらいは想像がつく。
「確かにこちらの方は、ナイリアンご出身でいらっしゃいます」
クロシアが言った。
「ディナズ識士と行き合われたことがあるとのお話でしたので、こちらからお願いしてご一緒していただきました」
さらっとそんなことを続ける。オルフィも素知らぬ顔でただうなずいておいた。
「ではその者はナイリアンの招待客か」
「いえ、第二王子殿下のご学友です」
(学友)
吹き出しかけたがどうにかこらえた。
「ほう? 何を学んでおいでかな?」
興味のある話題である故か、ディナズは太めの身体を少し乗り出すようにしてきた。
「あー……その」
(何て答えりゃいいんだよ)
「学問より、実技の方で」
ヴィレドーンはそれなりに学んだが、専門家に対抗できるほどではない。それに大して頭はよくないとでも思わせておいた方がいいだろう。そんな判断もあってオルフィは剣の勉強だと答えた。
「成程」
案の定と言うのか、ディナズは目に見えてつまらなさそうな顔をした。
「でも先日ご一緒だった方は魔術師でしたよね?」
青年が問う。
「え?」
「あ、違いましたか? そんな雰囲気でしたけど」
(あのおっさんのどこが、魔術師の雰囲気だって?)
オルフィは目をぱちくりとさせた。
「あの人は調教師なんだ」
魔力を持つことは事実だが、わざわざ言わなくてもいいだろう。そうですか、と青年は間違ったと思ったことにだろう、すまなさそうに言った。
(しかし、何で判ったんだ?)
この青年が魔術師ではないということはシレキが確認済みだ。魔力は隠せないという話を聞いたことがある。
(何だかちょっと)
(……不気味なような)
にこにこと人当たりのいい――うっかり者の――青年だが、妙な鋭さがある。
「いかがですか?」
クロシアが話を戻す。
「ラシアッド滞在をより快適なものにしていただけるよう、取り計らいます故」
「ふむ」
考えるようにディナズは少し間を置いた。
「いいだろう。お招きにあずかろう」
「ご快諾いただき有難うございます。では明日の夕刻に迎えを寄越しますので、お支度をお願いします」
クロシアは深々と礼をし、オルフィも少し頭を下げた。
(案外、簡単だったな)
(それとも)
(待ってた、とか?)
扉が閉まる前、彼の目にディナズの顔が映った。識士は微かに笑みを浮かべていたような気がした。




