04 偶然とも考えづらい
ヒューデアの状態は奇怪でもあったと言う。
外傷はあったが、刀傷と言ってもこれは大した問題ではない。浅く斬りつけられたという程度だ。広い範囲に火傷らしきものを負っていたが、これも幸い酷くはなく、通常の治療で癒やすことができた。
しかし彼は目を覚まさなかったのだ。
敵の刃に毒物が塗られていたのではないか、というのが宮廷医師の見立てだった。だが医師はもとより神官たちが通常使う解毒薬も効き目なく、名のある薬草師や魔術師協会まで頼ったにもかかわらず、彼は意識を失ったまま。
キンロップやイゼフも彼の治療にかかりきりとなり、ラシアッドへやってくるのが難しくなったそうだ。
相談の結果、ラシアッドへの使者にはサレーヒ――と言うより、オードナー侯爵と、その供としての〈赤銅の騎士〉が決定したらしい。やはりサレーヒだけでは身分が足りないという判断のようだ。
しかし、供という名目なれば、あまりサレーヒと何かを相談することもできないだろう。彼が侯爵を離れる訳にもいかないからだ。
というような話を聞けたのは、ラスピーシュが知らせをもたらしてからずいぶん時間が経った頃だった。リチェリンが行方不明――おそらくは再び拐かしに遭った――という報にオルフィはいても立ってもいられず、どこにいるかも判らない彼女を助け出すと騒いだのだ。
「誰か」はまず、確定していると言っていい。
ハサレック・ディア。ヒューデアが対峙して剣で後れを取る可能性があるとすれば、相手はそれくらいだ。
だがその居場所は判らないまま。カーセスタという考えは、まだ疑惑でしかない。
「いまカーセスタに乗り込んでも何にもならないだろう」
諭すようにラスピーシュは言った。
「行ったところで何を尋ねるんだい? ハサレックという男が貴国を訊ねて、ナイリアンを陥とすならいまだと提案しましたか、とでも?」
だいたい、と彼は続けた。
「本当に関わっているのか判らない。仮に事実だとしてもカーセスタの誰が関わっているのか判らない。そんな状態ではどうしようもあるまい?」
「そんなことは判ってるさ。でも俺は」
「駄目だよ、オルフィ君。私が君たちを招待した理由に気づいてない訳じゃないだろう?」
「……何だって?」
オルフィは顔をしかめた。
「おや。気づいていないのか」
ラスピーシュは目をぱちくりとさせた。
「ハサレック・ディア氏はリチェリン君のみならず籠手の持ち主にもご執心だ。君たちを揃えておけば必ず動くと踏んだんだがね」
「ああ、いや、籠手についてなら判るが、俺にだって?」
「違うかい?」
「それは」
(ないとは言えないな)
(あいつは――ヴィレドーンのことを知ってる)
ニイロドスの「本命」はコルシェントではなくハサレックだった。だから黒騎士はヴィレドーンのことを知っており、オルフィがアバスターの籠手を身につけていることを知って笑った。
(ジョリス様と本気で戦いたかった、か)
同じことを「ヴィレドーン」に対しても思っているのか。そんな様子もなくはなかった。
「判ったかい。向こうは必ず、君に接触してくる。それを待つのがいちばんだ」
「まるで確信してるみたいに言うんだな」
胡乱そうにオルフィは呟いた。
「何か、俺の知らない事実を掴んでるんじゃないのか」
「ふふっ、どうかな?」
「何?」
オルフィは顔をしかめた。
「何を知ってるんだ」
「おおと、そんな怖い顔をしないでくれ。冗談だよ」
ひらひらとラスピーシュは手を振った。
「私がいったい、どんな重要な秘密を掴めるって言うんだ」
「知るもんか。ただあんたはカーセスタを訪れた。ハサレックについては何も確証がないと言うけど」
「ないとも」
降参する湯に両手を上げてラスピーシュは先取った。
「気配程度でもあったらきちんと話すさ。君に隠す理由なんてない」
(そうした「理由」も隠されてるんじゃないかと思ったんだよ)
という考えは口には出さなかった。言ったところで隠す気ならば恍けられるだけだからだ。
「――カーセスタか」
ロズウィンドは両腕を組んで呟いた。
「何も不穏な噂は聞かない国だった。だが指導者が変われば国は変わるものだ。いや、人物が同じであっても、人は何がきっかけで変わるかは、判らないものだからな……」
「兄上におかれましては、豹変などしないで下さいよ?」
ラスピーシュが片眉を上げた。ロズウィンドは顔をしかめた。
「つまらない冗談はやめなさい、ラスピーシュ」
「本心ですよ。ただ、私は、平和を保つためであろうと」
弟王子は首を振った。
「ウーリナの件には反対でした。ナイリアンと友好を保つためとは言え、何も可愛い妹を差し出さなくたって」
「ラスピーシュ」
第一王子は少し困ったような顔を見せた。いかに弟の「友人」であろうと、他国の――ナイリアンの人間の前で行いたい話題でもあるまい。
「失礼。控えますよ」
肩をすくめてラスピーシュは謝罪の仕草をした。
(ウーリナのことにラスピーは反対だったのか)
ナイリアンではそうした様子を見せなかったが、それは「兄王子の指示」に従っていたためということらしい。
(確かに、どうしたって人身御供って感じはあるもんなあ)
(レヴラールは、まあ、そう悪い奴でもないかもしれないけどさ)
そんなことを考えていると、気持ちが落ち着いてきた。確かに、焦って飛び出したところで何にも鳴らない。
「私とて、ウーリナを道具のように使うつもりはない」
ロズウィンドは表情を曇らせた。その話題が続くことがオルフィは少々意外だった。
「だがナイリアンの王妃となればラシアッドで生きるよりずっとよい暮らしが送れるだろう。あれのためにもなる」
「成程、ウーリナのためだと」
ラスピーシュは口の端を上げた。
「おっと、失敬。そんな話はもうよしておこう」
少なくともいまは、と言うと第二王子はオルフィの方を向く。
「オルフィ君、気持ちは判るが、いまはここで様子を見るのが最上だ。せっかく、カーセスタからの使者もやってくるのだからね」
「そのことだけど」
彼は思い出して片手を上げた。
「城下で、識士って男とその連れを見た。使者かな?」
「識士が使者というのは十二分に有り得るね」
ラスピーシュが答えた。
「しかし、もうスイリエにきている? 早くないかな?」
「俺もそう思ったんだ」
オルフィはうなずいた。
「だから、戴冠式の招待とは関係ないかもしれないとも考えたんだけど」
「偶然とも考えづらい。そういうことだね」
「まあ、な」
「よし。城下のカーセスタ人のことはノイに調べさせよう」
ロズウィンドが言った。
(ノイってのは確か、クロシアの名前だったな)
あの男は王子兄弟にずいぶんと信頼されているらしい。
「見つけたら、さっさと城に招き入れてしまって話を聞くのがいい」
「使者ではなかったら?」
ラスピーシュが尋ねた。ロズウィンドは肩をすくめる。
「以前から識士の先生とお話しすることに興味を持っていたとでも何とでも、理由は作れる」
「興味を? 誰が?」
「お前にやれとは言っていない」
兄王子は嘆息した。
「私で結構だ」
「立場ある人間の招待なら断れないだろうとの予測なら、使うのは私の名で充分でしょう。何も、間もなく国王陛下となられる方が、他国の学者風情に気を使う必要はない」
「ラスピーシュ」
諌めるような口調で兄は呼んだが、弟はどこ吹く風だ。
「大丈夫、敬意を払うふりはしますし、オルフィ君の前だということなら、それも問題ありません。何しろ親しい友ですからね」
にこっとラスピーシュはオルフィに笑いかけた。オルフィにしてみれば笑う気分でもなければ、同意したいところでもなく、無表情を保った。
先ほどまでラシアッド第一王子の前で礼儀を取り繕っていたオルフィだったが、この騒動でラスピーシュに対してもいつも通りの態度を取ってしまい、それからそのままになっている。そのことをからかわれたのかもしれないが、不遜だと罰されるよりはましだと許容することにした。
「さあ、ではとにかくカーセスタの現状を知る人物と話す機会を早急に作りましょう」
いまはそれしかできない、とラスピーシュは繰り返しオルフィに釘を刺した。彼は嘆息を隠し、小さくうなずくしかなかった。




