02 父子
「騎士位など、少し剣が巧い程度の兵士を持ち上げることによって不満を抱かせぬようにする、まやかしの仕組みだ」
それはバリアスが以前から、殊に、二男が騎士を目指すなどという「戯言」を口にするようになってから、ことあるごとに述べてきた説だった。
「白光位などといったところで所詮、兵士の頭にすぎん。わしはお前をそのようなものにするために育てたのではなかった!」
そう、それでもいつものことだった。そこまでは。
いつもと違ったのは、「騎士」という地位を貶めることで息子をやり込めたがっていた侯爵に、ほかの材料があった点だ。
「黒騎士に敗れたのだそうだな」
ジョリスはぴくりとした。
「国一番の剣士などと称えられて驕ったか。それとももとから、〈白光の騎士〉の名に誰もが手加減していただけか」
この言いようは看過しがたいものがあった。彼自身だけではない、彼を認めてきた全ての人物を侮辱したも同然だからだ。
「父上。いまのお言葉は撤回していただきましょう」
その声はいまだ、元に戻ったとは言えなかった。当然でもある。宮廷医師は、侯爵家で手厚い看護を受けることを条件に彼を城から解放したが、本来ならば許されるのはせいぜい寝台の上で起き上がる程度という状態なのだ。
「撤回だと」
父親はその声にも――もとより、見るからに憔悴した様子にも、首筋の酷い傷にも――気を払わなかった。
「誰に口を利いている!」
「オードナー侯爵閣下」
ジョリスは返答と呼びかけを兼ねた。
「私自身を貶めるのであれば如何様にでも。ナイリアンの騎士という『仕組み』については見解の相違でしょう。これまで幾度となく話し合ったことをいま蒸し返すつもりはございません」
「ならば何が言いたい」
「『白光位という名』だけで判断されることもありましょう。ですが全てではありません」
「ほう、己の実力だと言い張りたい訳か」
「そうではありません。私はまだまだ若輩だ。ですが買って下さる方々がいらっしゃる。彼らの判断力を貶めるのみならず、地位に媚びるような人物であるという発言は」
「黙れ」
苛ついたようにバリアスは手を振った。
「お前の、その、したり顔が気に入らぬ。わしの反対を押し切って騎士などになっただけでも許し難いと言うのに、それを剥奪されるような不名誉を背負い、オードナー家の名にますます泥を塗った自覚がないのか!」
「そのことは……」
公式には、それは撤回されている。バリアスも知っているはずだった。だがジョリスは、レヴラールに許されたところで、王家の宝を持ち出した罪をなかったことにできたとは思っていなかった。
もっとも、公式の発表を否定することもできない。たとえ――まさしく――親兄弟が相手であろうと詳細を語ることはできなかった。
「おめおめと生きて戻ってくるとは」
ジョリスが言い淀むのを見て、侯爵は歯ぎしりをした。
「いっそ本当に死んでおればよかったのだ!」
「閣下……」
細い声がした。夫が息子を罵倒する様子を前にじっと黙っていた――これもまたいつものことと言えた――侯爵夫人にして騎士の母は、ここまで非道な台詞になってようやく、とても遠慮がちに声を出した。
だがそれ以上、言葉を紡ぐでもない。あまりに酷いとか言い過ぎであるとか、誰もが思い、誰もが認めることであっても、従順な妻には言えなかった。
侯爵はじろりとそれを睨んだが、彼女に当たることはしなかった。
「ずいぶんな恥と、とてつもない汚名。そうは思わなんだか」
これは矛盾のある問いかけであった。バリアスにしてみれば、〈白光の騎士〉の名誉など存在しないはずだからだ。
「それを恥じ入るどころか、王子殿下のお情けを頂戴して、地位の回復。わしの息子はここまで情けない人間だったか」
ジョリスが何も言わないのをいいことに――いつものことであった――父親はがなり立てた。
「黒騎士を倒したという手柄も、王子殿下の情に訴えたのだろう」
「……私の立場でお話しすることはできません」
彼はそうとだけ答えた。いかなオードナー侯爵、実の父親が相手であっても、王子や祭司長の相談ごとを騎士が明かすことなどあるはずもない。
「ふん」
まるで憎々しげに侯爵は息子を見下した。
「追い出す訳にもゆかぬ故、部屋は使わせよう。だが医師の許可があればすぐに」
出て行けと父親は言った。息子は侯爵の命令に従うことを示すべく、胸に手を当てて、踵を返した。
それでも――。
もちろんと言おうか、彼は何も感じていなかった訳ではない。
生家に戻るたびに、父からの罵倒を受けたものだ。だがいずれは理解してくれるものと、気に入らずとも認めてくれるものと信じて、或いは期待して、父を避けることなく必ず挨拶をしてきた。
もっともそれが気に障っているのだろうというのも判る。バリアスには「何の価値もない栄誉をひけらかしている」と見えるのだ。
いったい何故ここまでこじれたのか。父子のどちらにも、判然としないだろう。結局はお互いの意地であるのかもしれない。バリアスには、息子を「騎士業」などに取られたという悔しさがある。ジョリスはジョリスで、騎士という存在の力を信じるが故に。
部屋に戻る足取りが重かったのは、まだ快調にはほど遠いということもあれば、やはり精神的にも厳しい会見であったということがある。
だが〈白光の騎士〉たる彼は、たとえ生家の使用人の前であろうと、憔悴しているところなど見せる訳にはいかない。実際の体調は気持ちでどうなることでもないが、ただ歩くのもつらいのだなどとは、悟られてはならないと――。
「怪我人が、何をうろついている?」
そのとき、驚いたような声がかかった。ジョリスもまた驚いて、声の方を振り返る。
「サレーヒ殿」
「使用人が貴殿の部屋に案内すると言ったが、場所は判っているからと断ったところだ。友人の見舞いにきたのだからと、もてなしもな」
断った、とそれが〈赤銅の騎士〉の説明だった。
「手を貸そう」
「いや……」
「気持ちは判る。だが貴殿がそうしてひとりで意味のない努力をするのと、私が手を貸してさっさと部屋に行くのと、どちらが人目につかないかは考えるまでもないはずだ」
肩をすくめるとサレーヒはジョリスの手を取り、自らの肩に回した。
「申し訳ない」
「何、この程度のことで」
彼は笑った。
「王城では、ほとんど話すこともできなかった故、な。事情はみな聞いているが……」
小さくサレーヒは言った。
「本当に、帰ってきてくれて嬉しく思う。一時的にでも私が首位などとんでもないことだった。いや、そのようなことはどうでもいい。本当に……」
よかった、と彼は呟いた。
「サレーヒ殿……」
「いや、何も言うな。まずは貴殿を休ませねばな」




