07 美女も猫もなし
明くる朝、オルフィとシレキのふたりは畔の村を発ち、一路東へと向かった。
国境を越える経験はヴィレドーンにもなかったが、案じることは何もなかった。行われるのは大きな街に入るときとあまり変わらない実に簡単な問答だけであるし、何より彼らにはラシアッド王家の印が入った招待状がある。もし先にそれを見せていたら、簡単な問答すら必要なかったことだろう。
スイリエは、歩いて数日もかからないところにあった。
彼らはたまたま小さな隊商と行き合い、運よく護衛の仕事をもらうことができた。何でも近頃、街道の魔物が活発だというので、向こうが戦士を探していたのだ。そうでもなければせいぜい「格安で乗せてもらう」程度だったろう。
もっとも、幸いにして何ごとも起こらず、彼らはささやかな報酬をもらって目的地にたどり着き、隊商と分かれた。
首都スイリエ。
そこがもうラシアッドの中心。下手をするとナイリアン国の南西部と呼ばれる地域にラシアッド国全体がすっぽり入ってしまいそうだ。ラスピーシュが比べないでくれと言うのも無理はないかもしれなかった。
「首都、ねえ」
比べるつもりはないのだが、やはりオルフィらナイリアン国人が思い描く「首都」とスイリエはかなり異なり、彼は頭をかいた。
(何かこう、ちょっと栄えた町って感じだよな)
これくらいの規模ならば南西部からナイリアールへ行く途中にひとつふたつある。そんな感じがした。
「あんまり言ってやるなよ」
「あ、ああ。判ってる」
こほん、とオルフィは咳払いをした。
「きれいな町じゃないか。別に世辞じゃなくてさ」
「そりゃ俺に世辞を言ったって仕方ないわな」
シレキは笑った。
「そうだな。実際、確かにきれいだ。派手な歓楽街なんかはなさそうだが、逆に貧民街みたいなのもなさそうだ」
ぱっと見たところでは平和そうでも、裏路地は汚れていたり、治安が悪かったりするものだ。だがスイリエは何気なく入った小道も清掃が行き届いており、危なそうな様子は一切なかった。
人々の格好も、富裕さこそ感じないものの、乞食の類が見当たらない。ナイリアールでは少し歩けば物乞いがふらついているのが普通だ。
「大きいからいいってもんでもないな。……行き届かなくなる」
ぽつりとオルフィは呟いた。
「だな」
シレキもうなずいた。
小国には小国のよさがある。何も上から見て言うのではなく、心からそう思った。
ここにはナイリアールとは違う平和がある。そんなふうに。
「んで、これからどうしよう」
オルフィは道の先を見た。北に伸びる大通りの向こうにラシアッド王城が見える。これまたきらびやかさはないが、堅実という印象を覚えた。
「まだラスピーもウーリナ様も戻ってきてないよな」
自分たちがいちばん早いはずだ。下手をするとまだ王城ではラスピーシュが――勝手に――決めた戴冠式の日取りすら知らないかもしれない。
「王城で待っているよう言われてるが、少し早すぎたかもしれんな」
シレキも同じことを考えたようだった。
「数日、様子を見るか」
「だな」
今度はオルフィがそう言った。
「それじゃ宿でも見つけよう」
彼らは揃ってきょろきょろした。と、そのときである。
「なっ!?」
シレキが大声を出した。
「ど、どうしたんだよ」
驚いてオルフィは振り返る。
「すまん、ちょっと待っててくれ。すぐ戻る!」
「はっ? お、おい、おっさんっ」
急に走り出したシレキにオルフィは目を見開いた。
「ど、どこ行くんだよ!?」
声をかけたものの、とまる気配のないまま、シレキは小道へ入り込んでしまった。
「おいっ」
慌ててオルフィは追いかけようとしたが、数歩遅れてその小道をのぞき込んでももうシレキの背中は見えなかった。
「おい……」
半ば呆然として彼はその場に立ち尽くした。
「何だよ? いったい」
(知り合いでも見つけたのか?)
(でもラシアッドに知り合いがいるなんて話、聞いてないぞ)
(まさか)
彼は顔をしかめた。
「猫でも見つけたんじゃあるまいな」
有り得そうだ、と思ってしまった。
(仕方ない、待つか)
宿なり酒場なりを見つけてひと休みしたいところだが、いまこの場を動いては再会が面倒だ。いくらナイリアールほど広くないとは言っても、お互いに土地勘も全くない。シレキは招待されていないのだから「どうせ王城で会える」という訳にもいかない。
(まあ、ちょっとその辺をぶらつくくらいなら平気か)
この一角から離れなければいいだろう、とオルフィは引き続き様子を見ることを兼ねて周辺をうろつくことにした。
それほど賑やかな街区ではなかったが数軒の店はある。なかに入ってしまうとシレキが戻ってきたときに合流しづらいので、オルフィは外から服屋やら雑貨屋やらを眺め、少々の時間を過ごした。
(……遅いな。どこまで行ったんだか)
せいぜい数分で戻ってくるかと思いきや、シレキは十分以上経っても姿を見せない。いつ現れるか判らない相手を待つのは苛つくものだ。若者はしかめ面をし、どこから知った顔がやってくるかと前後左右を見回しながら街区を往復した。
それは見ようによっては不審人物であっただろう。もし町憲兵でも通りかかれば、何をしているのかなどと問われることも有り得た。
幸いにしてそういうことはなかったが、その代わり。
「あっ、すみませんっ」
どんっというような鈍い音と衝撃。誰かとぶつかった。
「いや、こちらこそ」
スイリエの人混みなどナイリアールに比べたら大したことはないが、それでも向こうとこちらから互いに前を見ないできょろきょろしながら歩いてくれば、どしんとぶつかることもある。
「あ、拾いますよ」
相手が持っていた紙束が四散した。詫びも兼ねてオルフィはさっとかがんだ。
「いえっ、結構ですっ!」
だがそこに、予想以上の強い声がきた。これは遠慮などと言うものではない。
「絶対に、触らないで下さい!」
「拒絶」だ。
「あー……はい」
思わず目をぱちぱちとさせながら彼は立ち上がった。
「んじゃ……ええと」
「旅の方、よい一日を!」
焦っているのか、いちいち大声で相手は言い、もはやオルフィをちらりとも見ずに紙の収拾にやっきになっているようだった。
(何だ?)
(……変な人)
見たところ二十代の前半だろうか。濃紺のマントと首に軽く巻いた赤い布が何だかよく目立つ。赤みがかった茶金の髪が跳ね気味なのは、風に乱れたのか癖っ毛なのか、はたまた手入れを怠ったのか。楽しんでいる訳ではないようだが、丸眼鏡の奥の茶色い瞳は妙に輝いて見える。
「ああっ、あっちにも」
わたわたしながら相手は紙を追いかけ――。
「あっ」
自分のマントの裾を踏んづけて転んだ。あちゃあ、とオルフィの方が額に手を当てる。
「なあ、あんた。やっぱり手伝って」
「要りませーんっ」
叫びながら紙を追いかけて見知らぬ青年は走っていった。呆気に取られた気持ちでオルフィがそれを見送っていると、ちょうどシレキが戻ってきた。
「どうした? 見とれるような美女でもいたか。それとも」
「美女も猫もなし」
シレキの言いそうなことを先取ってオルフィは手を振った。
「変な兄さんがいただけ」




